トップレースクイーン・根岸しおりの意外な過去 人前が苦手だった“芋女子”が趣味で始めたコスプレ

レースクイーン3年目にして「レースアンバサダーアワード2025」を受賞した29歳の根岸しおりは、遅咲きのデビューだった。転機が訪れたのは22歳の時。堅実に一般企業で働いていたが、一念発起で退社を決断。キラキラとした表舞台に飛び込んだ。工業系の会社で油にまみれながらも汗を流していた会社員が、なぜサーキットに立つことになったのだろうか。

インタビューに応じた根岸しおり【写真:増田美咲】
インタビューに応じた根岸しおり【写真:増田美咲】

トップレースクイーンの座をつかんだ根岸しおりの意外な過去

 レースクイーン3年目にして「レースアンバサダーアワード2025」を受賞した29歳の根岸しおりは、遅咲きのデビューだった。転機が訪れたのは22歳の時。堅実に一般企業で働いていたが、一念発起で退社を決断。キラキラとした表舞台に飛び込んだ。工業系の会社で油にまみれながらも汗を流していた会社員が、なぜサーキットに立つことになったのだろうか。(取材・文=中村彰洋)

 かつては、人前に立つことが苦手な少女だった。人から見られることを意識したことすらもなかった。社会人デビューならぬ「レースクイーンデビューだったと思います」と笑う。

 幼い頃の夢は「声優」。そういった世界への憧れは持ち続けていたが、行動に移すことはなかった。

「目立つことが嫌いで、写真に写ることも嫌いでした。当然、見た目にも自信はなかったですし、表立って前に前にというタイプではありませんでした。今になって思えば、もったいない期間でした(笑)」

 高校卒業後は、工業系の会社に就職。事務職のみならず、作業着に安全靴姿で、油にまみれながら、汗を流す日々を送っていた。

「働き始めてからも、キラキラした世界への憧れを持ち続けていました。でも『大人にならなきゃ』と自分の気持ちを押し殺していました。当時はとにかく“芋女子”だったんです。アニメやゲームが好きな“オタク女子”で、化粧やヘアセットへのこだわりもなく、ミニスカートなんて履いたことがなかったです」

友人から誘われたコスプレで人生が変化した【写真:増田美咲】
友人から誘われたコスプレで人生が変化した【写真:増田美咲】

コスプレきっかけでイベコン挑戦「勢いだけで会社を辞めました」

 社歴を重ねるにつれて、安定した未来が見えてくるようになった中で、「何のために生きてるんだろう」と思うようになっていった。そんなタイミングで、友人からコスプレに誘われたことをきっかけに大きく人生が変化していった。

「友達からコスプレに誘われて、試しにコミケ(コミックマーケット)で挑戦してみました。SNSでも発信するようになっていって、撮影会などにも参加するようになりました。誰かに見てもらえて、少しでも自分が変わったらいいなという思いでした」

 当時は芸能界を意識することはなかったが、撮影会で出会った関係者からの紹介で、イベントコンパニオンという職業に挑戦することを決意した。

「当時はイベコンというお仕事をそこまで理解していなかったのですが、『頑張ればこれで生活できるかも』と思いました。人生1度きりなんだから、やるからには本気でやってみようと、勢いだけで会社を辞めました」

 イベコンとしての初の現場は、東京ゲームショウ。いきなりの大舞台を経験したことで、さらに根岸の思いは加速していった。

「右も左も分からずの状態だったのに、本当にラッキーなお仕事でした。それまで、大人数の前に立つことなんてなかったので、最初はビビっていました。でも、そこで人から注目を浴びることの楽しさに目覚めてしまいました(笑)。一緒に立たせていただいた女の子の立ち振る舞いなど、学ばせていただくことも多く、本当に刺激的な経験でした。もっと挑戦していきたいと思えたのは、その現場を経験できたからです。とはいえ、会社はすでに辞めた後だったんですけどね(笑)」

 そこでの出会いが、道しるべとなっていった。「ゲームショウの時に仲良くなった子がレースクイーンをやっていて、『こういうお仕事もあるんだ』と初めて知りました」。

「いきなり、実力以上のすてきな現場に立たせてもらったものの、その後は、仕事がほとんどなくなって、底辺のような生活をしていました。でも、あのキラキラとした世界が忘れられなかったんです。他の女の子にはファンの人もたくさんいて、『私もそうなりたい』って。その子たちがやっていたのが、レースクイーンでした。これはもうレースクイーンになるしかないなって(笑)」

「私が本当にやりたかったことはこれだったんだ」――。漠然とした“キラキラの世界”というものが、現実味を帯びた瞬間だった。そこからはレースクイーンになるために、ひたすら努力を重ねた。

「本当につらかった」とコロナ禍を振り返った【写真:増田美咲】
「本当につらかった」とコロナ禍を振り返った【写真:増田美咲】

背水の覚悟で臨んだ1年「念願の合格でした」

 しかし、現実は残酷だった。会社を辞めて間もなくコロナ禍に突入。イベントや撮影会は全て中止となり、生活も逼迫していった。「本当につらかった」と当時を振り返る。

「あんなことになるとは思わず会社を辞めていたので、めちゃくちゃ焦りました。裏方のお仕事などで、なんとか食いつないでいました。表に出るチャンスも減ってしまった時期で、限られたイベントに出演するにも倍率が上昇してしまい、『これが現実か』と痛感しました」

 コロナ禍が落ち着いてからは、イベコンの仕事で生計を立てられるようにはなったものの、肝心のレースクイーンのオーディションには、落ち続ける日々が待っていた。

「3年間ぐらい落ち続けていました。そもそも書類すらも通らなかったです。もちろん落ちた理由は教えてはもらえないので、『何がいけないんだろう』と苦しんだ期間でした。それに、1度落ちてしまうと、シーズンが終わるまではオーディションが開催されないので、1年間待つことが本当につらかったです」

 美容に興味関心のなかった根岸にとっては、勉強の日々だった。「イベコンの仕事で一緒になる女の子に、『これは何を使ってるの?』と、化粧品などについてとにかく聞きまくりました。今もずっと同じ美容師さんに担当してもらっているのですが、自分ではどうしたら良いか分からないので『全部お任せします』と、自分を信じず、人の感性に頼っていました」。

 しかし、なかなか思うようにはいかず、気付けば年齢も20代半ばになっていた。「ラストチャンス」のつもりで事務所の移籍も決断した。「そろそろ他に道を探さないと将来がないかもと思っていました。社会経験を積まないと転職も難しくなってしまうので、そろそろ厳しいかもなと思っていました」。

 そんな背水の覚悟が、念願のデビューにつながったのかもしれない。2023年、ついにオーディションに合格。“26歳の新人”が悲願のサーキットに立つこととなった。

「念願の合格でした。本当に本当にうれしかったです」

 デビューから3年後には、“トップレースクイーン”の地位まで上り詰めたが、その道のりも決して簡単なものではなかった。

□根岸しおり(ねぎし・しおり)1996年11月5日、埼玉県出身。プリッツコーポレーション所属。2019年にイベントコンパニオンとしての活動を始める。23年にレースクイーンデビューを果たすと、同年に「Adam by GMO 日本レースクイーン大賞2023」新人部門でクリッカー新人賞を受賞。25年には「レースアンバサダーアワード2025」を受賞。26年は『Moduloスマイル』として活動。愛称は「ねぎしお」。

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インスタグラム:@negishio_lv

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