不整脈治療の第一人者が語る“アスリートと心臓の歴史”「訓練厳しい自衛隊員も症例多い」
かつて“不治の病”とも言われていた不整脈の治療が飛躍的に進歩したことで、選手生命が伸びたアスリートは多い。不整脈治療の国内第一人者の1人で、東京心臓不整脈病院の理事長・院長を務める鵜野起久也(うの・きくや/66)さんに不整脈治療の今を聞いた。鵜野さんは、プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんのエベレスト登頂をアシストした経験を持つ。

東京心臓不整脈病院の理事長・院長を務める鵜野起久也さん
かつて“不治の病”とも言われていた不整脈の治療が飛躍的に進歩したことで、選手生命が伸びたアスリートは多い。不整脈治療の国内第一人者の1人で、東京心臓不整脈病院の理事長・院長を務める鵜野起久也(うの・きくや/66)さんに不整脈治療の今を聞いた。鵜野さんは、プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんのエベレスト登頂をアシストした経験を持つ。(取材・文=宮脇広久)
不整脈の治療は、1980年代に米国で「カテーテルアブレーション」が開発され画期的な進歩を遂げた。カテーテル(細い管)を足の付け根などの血管から挿入して心臓まで進め、不整脈の発生源となっている心筋の部位を高周波電流で焼灼することによって、異常を抑える治療法だ。日本でも94年から保険適応となり、急速に普及した。
たとえば野球界では、通算206勝193セーブの江夏豊さん、ヤクルトの茂木栄五郎内野手、オイシックス新潟の笠原祥太郎投手(元中日、DeNA)らが、過去にカテーテルアブレーション手術で不整脈を克服している。
鵜野さんは、日本国内の“不整脈治療の聖地”と言われた茨城・土浦協同病院の循環器内科部長を務めるなど、長年にわたって研究・施術を重ね、通算で約1万9000件ものカテーテルアブレーション手術を手掛けている。2021年6月には東京都江戸川区に「東京心臓不整脈病院」を開院し、理事長・院長に就任。66歳の今も自ら、多い時には1日4~5件、計7~8時間もの手術を行っている。
「スポーツ選手や、日頃から厳しい訓練を積んでいる自衛隊員などに、不整脈の症例が比較的多いと思います」と鵜野さん。これまでプロ、アマを問わず、野球、サッカー、ボクシングなどの選手の手術を手掛けてきた。
その中で最も印象的なのは2008年5月、三浦雄一郎氏の75歳でのエベレスト登頂だ。前年の秋ごろ、不整脈を抱えていた三浦氏に2度のカテーテルアブレーション手術を施したのが、当時、土浦協同病院にいた鵜野さんだった。実際のエベレスト登頂でも三浦氏の心拍数などのデータを、インターネットを通じて日本で受信し、アドバイスを送った。
「ドクターストップではなく、先生はドクターゴーですね」
6~7合目に差し掛かった時、「脈が飛ぶ感じがする。これ以上登っても大丈夫か?」と不安を吐露する三浦氏を、鵜野さんが「それは脈が速くなれば消える性質のもので、不整脈にはつながりません。絶対に登れます。僕を信じて登ってください」と激励する一幕もあったという。
「後日、三浦さんの娘さん(恵美里さん)から『ドクターストップという言葉はよく聞きますが、先生は“ドクターゴー”でしたね』と言っていただきました」と鵜野さん。
三浦氏はその後、13年にも80歳でエベレスト登頂を果たし、エベレスト最高齢登頂者となった。鵜野さんにとっても「心臓を治療し若返らせることは、人生の再構築、アンチエイジングにつながることを実感しました」という、感慨深いプロジェクトとなった。
今も66歳にして手術の現場に立ち続けている鵜野さん自身、体調管理を含め、アスリートに似たストイックな生活を送っている。「そこは、若い人と大きなギャップを感じています。最近の若い人はQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を意識し、私生活を充実させていて、それはそれですごくいいことだと思いますが、僕ら昭和世代の人間はそういう教育を受けていない。これまでの僕の人生は、休日にも救急患者への対応などがあって、余暇の方が逆に疲れるほどです。僕はゴルフを1度もやったことがありませんから」と苦笑する。
今後も臨床にこだわり、一途に医療へ携わっていく決意は変わらない。「何でもそうじゃないですか? どこまで腹をくくって、自分の人生を懸けられるか。(プロ野球最多の通算868本塁打を誇る)王貞治さんはどれだけバットを振り、大谷翔平選手はどれだけ人生を野球で埋めてきたか、という話でしょう」とアスリートの世界になぞらえた。
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