かつては“不治の病”→「100%根治目指す」 不整脈治療に人生捧げる第一人者の決意
かつて“不治の病”と言われていた不整脈の治療に人生を捧げた1人の医師がいる。2021年6月、東京都江戸川区に「東京心臓不整脈病院」を開院し、理事長・院長を務める鵜野起久也(うの・きくや)さんだ。66歳の今も病院経営や研究にとどまらず、臨床にこだわり、豊富な経験に裏打ちされた技術を発揮し続けている。

2021年に東京心臓不整脈病院を開いた鵜野起久也さん
かつて“不治の病”と言われていた不整脈の治療に人生を捧げた1人の医師がいる。2021年6月、東京都江戸川区に「東京心臓不整脈病院」を開院し、理事長・院長を務める鵜野起久也(うの・きくや)さんだ。66歳の今も病院経営や研究にとどまらず、臨床にこだわり、豊富な経験に裏打ちされた技術を発揮し続けている。(取材・文=宮脇広久)
鵜野さんが還暦を過ぎてから自分の病院を立ち上げたのは、医療に対する思いに突き動かされたからだった。
「僕は若い頃から、いろいろな病院で治療に携わってきました。時には、あるべき医療、自分が納得できる医療をできないこともありました。たとえば、臨床例の少ない治療法や、患者さんに既存の病気があって治療のリスクがあり、それをやらないと患者が亡くなってしまう状況でも、病院の方針で『リスクが高いから、やめてくれ』とか、『前例がないから』と言われるようなケースです。『それをやって、誰が責任を取るの?』と聞かれ、『僕が取ります』と答えても、『自分の病院じゃないから、取れないでしょ』と返されました」と振り返る。鵜野さんが決定的に思いを固めたのは、病院の経営方針や収益目標などのために、本来あるべき医療が損なわれることに気付いてからだった。
それならばと、「自分の理想の医療ができる環境を生涯探し求めてきて、自分でそういう病院をつくろうと思い立ちました」と語る口調に熱がこもる。
少年時代に、心臓治療と運命的な出会いがあった。鵜野さんの出身地は、北海道勇払郡穂別町(現・むかわ町)。小3の1968年8月、車で約2時間の距離にある札幌医科大学で日本初の心臓移植手術が行われ、大ニュースとなったのだ。
「親にせがんで札幌医科大学に連れて行ってもらい、知り合いの先生に構内を見学させていただき、実際の手術室の前まで行かせてもらいました。人が人の命を救えるという事実に、感銘を受けた覚えがあります」
通算1万9000件、多い時には1日4~5件のカテーテルアブレーション手術を行う
札幌南高校を経て、その札幌医科大学に進んだ鵜野さんは、米国で「カテーテルアブレーション」という画期的な不整脈治療法が開発されたことを耳にした。カテーテル(細い管)を足の付け根などの血管から挿入して心臓まで進め、不整脈の発生源となっている心筋の部位を高周波電流で焼灼し、火傷をつくることによって異常を抑える治療法である。
それまで“不治の病”といわれていた不整脈の治療に、光明が差した。「聞いたこともなかった治療法で、びっくりしました」と強く興味を引かれた鵜野さんは、カテーテルアブレーションの研究・実験を始めた大阪・国立循環器センターの心臓血管内科レジデント(研修医)となった。
その後、カテーテルアブレーションは日本国内でも1994年から保険適応となり、急速に普及していった。鵜野さんはそれと歩調を合わせるかのように、不整脈治療の研究に没頭していく。米オハイオ州のケース・ウェスタン・リザーブ大学に留学し、帰国後には当時“日本の不整脈治療の聖地”と言われていた茨城・土浦協同病院の家坂義人副院長から「関東に出てこないか」とヘッドハンティングされ、循環器内科部長として赴任した。
カテーテルアブレーションの権威となった鵜野さんは、やがて東京医科大学八王子医療センターに准教授として招かれ、さらに「北海道時代の仲間2人に誘われて」札幌ハートセンターの不整脈センターの立ち上げにも携わった。「札幌ハートセンターでの不整脈治療年間1300人は国内最多記録で、今も破られていません」と屈託なく笑う。
その後、東京での病院準備もあって千葉西総合病院に移り不整脈センター長を務め、2021年6月に“自分の病院”をつくるに至ったのだった。
いまやカテーテルアブレーションは、日本国内で年間11万件以上行われている。使用機器は進化を重ね、鵜野さんの東京心臓不整脈病院では他に先駆けて「パルスフィールドアブレーション」も導入した。異常のある心筋を焼灼するのではなく、瞬間的な高電圧パルスをかけて細胞膜に穴を空け不整脈を止めるもので、患者の体への負担が軽いという。
鵜野さん自身、これまでに手掛けたカテーテルアブレーション手術は通算約1万9000件に及び、66歳の今も、多い時には1日4~5件、7~8時間の手術を行っている。「患者さんを助けられるという確信がある限り、いつまでも臨床を続けていきたいです。脳が働き、腕が動けば、70や75を過ぎても、できると思います」と人生を医療現場に捧げる覚悟だ。
「若い先生が信念を持って治療できる場所になれば幸せです」
一方で「この病院のコンセプト、医療技術、医療資源を、なんとしても後世に残したい」という思いも強い。自ら臨床現場に立ち、共に手術を行いながら後進の若い医師たちに直接伝えられることは多い。
また、不整脈に関する市民講座を積極的に開き「皆さんに健康リテラシー、健康IQを高めていただき、自分の病気を正確に理解してほしい」と訴えている。不整脈医を目指す若い医師に対しても、年に1度“治療ライブ”を行い、手術風景を公開しているのは、「かつての自分と同じ思いで悩んでいる若い医師が、熱い思いで活躍できる病院をつくる」という信念によるものだ。
そして「映画では『フィールド・オブ・ドリームズ』が好きです。主人公の耳に『おまえが野球場をつくれば、彼が来るよ』と天の声が聞こえるのです。僕がつくった病院が、若い先生が信念を持って治療できる場所になれば幸せです」とうなずく。
鵜野さんは手術に際し、成功率をあらかじめ患者に示すようなことはしたくないと語る。「あくまで根治を目指し、100%成功させるべく治療を行うのであって、予防線を張るようなことはしたくない。僕は時にはリスクを背負い、人生を懸けて本気でこの仕事をしています。だからこそいい治療ができると思っています」と力を込める。
66歳にして今日も、不退転の決意で手術台の前に立っている。
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