【オヤジの仕事】ダイアモンド☆ユカイ「きっと俺の子供だってことが嫌になる時期が来るんじゃないのかな?」

来年、ソロミュージシャンとして活動30周年を迎えるダイアモンド☆ユカイ(57)。音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組と幅広く活動し、ブログでは妻や子供たちとの日々の生活を赤裸々につづる。そんなロックシンガーが、これまで多くを語ることがなかった父親 晃さんについて、今回初めて自ら語ってくれた。2回に渡ってお届けするロングインタビューの今回は後編。晃さんとの別れ、そして父親としてのダイアモンド☆ユカイについて聞いた。

父親の最期を看取ったユカイ
父親の最期を看取ったユカイ

鏡の前の俺は嫌いだった親父にそっくりだった

 来年、ソロミュージシャンとして活動30周年を迎えるダイアモンド☆ユカイ(57)。音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組と幅広く活動し、ブログでは妻や子供たちとの日々の生活を赤裸々につづる。そんなロックシンガーが、これまで多くを語ることがなかった父親 晃さんについて、今回初めて自ら語ってくれた。2回に渡ってお届けするロングインタビューの今回は後編。晃さんとの別れ、そして父親としてのダイアモンド☆ユカイについて聞いた。

 ユカイの父・晃さんは、レッドウォーリアーズの前身となるバンドを組んで、さあこれからという時期だった85年3月にこの世を去った。66歳だった。

「親父が亡くなったときのことはよく覚えている。60で定年を迎えて、家にいてもやることがないからそのまま嘱託で仕事を続けていたんだ。ある日、手の震えが止まらなくなって、医者に『パーキンソン病』かもしれないって言われたんだけど、当時はその病気をみんなよく知らなくてね。医者からは『できるだけ体を動かすように』と言われたんだけど、実は後で脳梗塞だったって事実を知ったんだ。当時、大学生になったばかりで、お袋は働いていたんで、大学をサボっていた俺が親父の面倒をたまにみて、散歩に連れて行ったんだけど、ある時、親父と2人でこたつに入って『笑っていいとも』を見ていたら『なんで雨戸を閉めないんだ?』って。昼間なのになんでそんなことを言うのかな?と思って、そしたら『寿司を食おう』って。いきなり真っ昼間に寿司を取ったんですよ。それでその後、親父はこたつの中で横になって寝ちゃった。いつものことなんで、気にならなかったんだ。その後、お袋が『虫の知らせ』というか、なんか嫌な予感がしたらしくてね」

 ユカイの母は仕事を早く切り上げて、家に帰った。

「お袋が帰ってきて『お父さんどうしてる?』って聞かれて『寝てるよ』って、親父を見たらもう亡くなっていた。人の死って、こんなものなのかって思ったね。死ぬ直前に元気になるって言うじゃないですか。不思議というかさ、よくわからないことがうちにも起こったんだよ。だって寿司食ってるんだから。まさに親父にとっての最後の晩餐だったんだよね。そして、いきなりの葬式ですよ。俺は髪の毛をオールバックにして正装したら、あんなに嫌いだった親父が鏡の前にいてびっくりしたよね。親父に似ていて、俺の中に親父がいたんだって、そこで初めて気付いたんだよね」

ユカイは優しい父親だったと改めて振り返った
ユカイは優しい父親だったと改めて振り返った

子供たちには「優しい人だった」と伝えている

 子供たちに晃さんについて聞かれたとき、親父・ダイアモンド☆ユカイは次のように答えているという。

「はるか昔に亡くなったから、『優しい人だった』と伝えるくらいなんだよ。確かに優しい人だったね。お袋は瞬間湯沸かし器みたいな性格なんだけど、そんな時にお袋をなだめるのが親父でしたね」

 ユカイは自身が父親になって、あらためて晃さんに気づいた点があるという。

「俺、親父に怒られたことが、1回だけあって、小学校2年生だったかな? わがままで、親父のことをバカにしていたんだ。それで突然思いっきりお尻をパンパンと叩かれたんだけど、力がものすごく強かったのを覚えていて、親父は嫌いだってトラウマになって、その印象をずっと引きずっていたんだ。そして今度は俺が父親になって、子供たちがなかなか言うことをきかなかったんで1回だけ強めに叱ったことがあって、そのときに親父に怒られたことを思い出して、後悔したのを覚えている。俺の親父は、あれから俺に怒らなくなった。もしかしたら俺と同じように後悔したのかもね」

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