神田うの、独立の理由を激白 人生を変えた娘の存在「わがままだった私を変えました」

プロデュースしたパウンドケーキをPRする神田うの【写真:荒川祐史】
プロデュースしたパウンドケーキをPRする神田うの【写真:荒川祐史】

独立後の新たな仕事「Petit Bonnur Uno和栗のパウンドケーキ」をプロデュース

 今後の仕事についても聞いてみた。8月にはパフェのプロデュースを発表した。これまでウエディングドレスのプロデュースも手掛けた美的センスの持ち主。

「今の若い子にも伝えたいのは、これをやりたいからやるのではなく、『させてもらえることを一生懸命にやる』。これがベスト。それが世の中のためになったりするんです」

 ウエディングドレスのデザインは自分がやりたくて始めたことではないのか。

「お話があったから、やらせていただきました。ストッキングのデザインもそうです。自分の中で何かをデザインしようという発想はありませんでした。そもそも、それを仕事にという発想なんかさらさら無かったです。全部ご縁。ありがたいこと。やっていくうちに気合いが入っていき、できた物に誰かが喜んでくれる。ご縁は大事」

 10月下旬には東京・麻布十番のフレンチ「釜津田」とのコラボでプロデュースした「Petit Bonnur Uno和栗のパウンドケーキ」も一般販売する予定。

「これもプライベートの出会いがきっかけです。コラボは元日本テレビアナウンサーの永井美奈子さんの紹介。ご縁です。食材にこだわっています。白砂糖を使わないとか、思い切り大きな和栗を使っています。すごくおいしいです」

 今後の仕事に取り組む姿勢や生き方も聞いた。

「表に出る仕事をしているので、私が何かをすることで、頑張ろうって、みんなに力を与えられる仕事と生き方をしていきたいです。うのも頑張っているから私もお弁当作り頑張りますとか。うのができるなら私もやろうと思ってもらえて、誰かの励みに、力になる生き方や仕事をしたい。仕事をすることでいろんな出会い、ご縁を楽しみたいです」

 取材後、帰り際、うのが話しかけてきた。「やはり娘に尊敬される存在でいたい。娘に尊敬される仕事をしていたいです」。しみじみと語る顔には母の優しさが満ちていた。

□神田(かんだ)うの 1975年3月28日、神奈川県出身。名前の由来は持統天皇の幼名、鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)から。3歳でバレエを始め、14歳からモデルとして活躍し、19歳でバラエティー番組でブレーク。ウエディングドレスブランド「シェーナ・ドゥーノ」のデザイナーを務め、04年には芸能人のデザイナーとして初めてパリコレに参加。07年に結婚。11年に長女を出産。血液型O。

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