誹謗中傷する人に欠けているモノ はっとした9歳少年の言葉
「下駄箱や机の中に、悪口を書いた紙が入っていた…」
その男の子(S君、9歳)は、事情があって母親とは離れて暮らしている。父親はいない。親戚の家に預けられていて、母親とは手紙でやりとりをしている。S君は学校でいじめを受けていた。
「くだらないことなんだけどね、下駄箱とか机の中に、悪口を書いた紙が入っていたりするんだ。直接ぼくに何か言ってくるんじゃなくて、いつも紙切れに意地悪なことが書いてあって。誰がやったのかは分からない」
S君は手紙で母親にそのことを伝えた。母親からは、「先生にちゃんと相談しなさい」「おばちゃん(同居する親戚の女性)にも話して、学校にきちんと対応してもらいなさい」と返事があった。でも――
「男の子なんだからそんなことは気にするなってお母さんは言ってた。おばちゃんにも、そんなの相手にするなって」
先生に相談するとクラス会が開かれ、その後いじめは収まった。しかし、S君は言う。「やっぱりまだ、靴を履き替えるときや机の中を見るとき、ちょっとびくびくするよ。悪口の紙がまた入っているんじゃないかって」
この言葉を聞いたとき、はっとした。そうだ。そういうことだ。
他人からの誹謗中傷にさらされたとき、人は心に傷を負う。それが繰り返し行われればなおさらだ。そして、一度心に負った傷はなかなか癒えるものではない。いくら気にしまいと考えても、その記憶はある拍子に簡単によみがえってきてしまう。
仮に今後、S君の下駄箱や机の中に一通の手紙が置かれていたとする。その中身がラブレターであったとしても、手紙を見つけたS君はどう思うだろうか――。
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違和感の正体は「想像力の欠如」