父が勝手に履歴書送り4度目で合格 アイドルからプロレスラーへ、遠藤有栖「流された先の天職」

プロレス好きの両親に連れられて、会津若松から後楽園ホールに幾度となく通っていた中学生の少女は、いつしかリング上で歌って踊るアイドルに心奪われていた。そして、いつしかその先にいたプロレスラーになることに……。東京女子プロレス・遠藤有栖インタビュー前編は、アイドルからプロレスラーに転身したときのお話を。

プロレスラーになるまでの軌跡を語った遠藤有栖【写真:橋場了吾】
プロレスラーになるまでの軌跡を語った遠藤有栖【写真:橋場了吾】

自分のまったく知らないところで書類通過…流されるままにCheer▽(※ハートマーク)1へ

 プロレス好きの両親に連れられて、会津若松から後楽園ホールに幾度となく通っていた中学生の少女は、いつしかリング上で歌って踊るアイドルに心奪われていた。そして、いつしかその先にいたプロレスラーになることに……。東京女子プロレス・遠藤有栖インタビュー前編は、アイドルからプロレスラーに転身したときのお話を。(取材・文=橋場了吾)

 遠藤有栖は福島県会津若松市で生まれた。両親がプロレス好きで、よく後楽園ホールに通っていたという。しかし本人は、その後楽園でプロレス以上に響くものに出会ってしまった。

「プロレスにはまったく興味がなかったんですよね……。中学時代に、親がWRESTLE-1(武藤敬司が立ち上げたプロレス団体、2013~20年活動)のことが大好きで、よく東京まで長旅をしていました。そのときに出会ったのがCheer▽1(WRESTLE-1の公式サポーターを務めていたアイドルグループ)です。アイドルになりたいという気持ちもなかったんですけど、リングの上で踊っているのがいいなと思って。(Cheer▽1の)物販にも行きましたね。特に好きだったのが、ともさん(永友春菜)でした」

 そんな遠藤の様子を見ていた父が、勝手にCheer▽1のオーディションに履歴書を送ってしまう。しかも3回書類で落ち、4回目の応募で書類が通過した。

「ちょっと変わっているんですよ、うちの親は(笑)。当時は高校を卒業して『東京にいたら大好きな仲里依紗さんに会えるかもしれない』という一心で上京していたタイミングだったんですけど、アルバイト生活でした。『現実は甘くないなあ』と思いながらアパレルを転々としていたんですけど、父から『受かったよ』と連絡が来て。私のまったく知らないところで書類が通過していたんですけど、断ろうと思えば断れるのに、私自身もその流れに乗っちゃったんですよね……」

断崖式鶴ヶ城など破天荒な技も使う【写真:(C)東京女子プロレス】
断崖式鶴ヶ城など破天荒な技も使う【写真:(C)東京女子プロレス】

同じリングからの景色でもプロレスラーになったときは全然違った

 2019年3月、遠藤はCheer▽1のメンバーとしてデビューするが、翌2月にWRESTLE-1が活動を休止し、Cheer▽1も無期限の活動休止状態となってしまう。遠藤はCheer▽1の先輩である才木玲佳(WRESTLE-1でデビューし、東京女子プロレスにレギュラー参戦していた)を追うように、プロレスラーの道を歩み始める。

「Cheer▽1が活動休止になるということは職がなくなるわけじゃないですか……そのときに心の中ではプロレスに関わっていきたいという気持ちはあったんですよね。それで才木さんの試合の映像を見て『いいなあ』と思うようになったのが、(レスラーを目指した)きっかけですね」

 2020年11月、遠藤は翌年の1.4後楽園ホールでデビューすることを発表。プロレスラーとしても、才木の後輩となった。

「来年1月4日の後楽園でちょうど5年ですか……私、飽き性なのでこんなに続いているのはプロレスが初めてです。これまでは頑張っても2年くらいだったので。(デビュー戦は)Cheer▽1のときとは、見える景色が違い過ぎましたね。Cheer▽1ではみんなで踊る・歌うでしたけど、デビュー戦はシングルだったので、一人でリングに上がっていることが不思議すぎました」

 そのデビュー戦の相手、鈴芽とは『でいじーもんきー』というタッグを組み、プリンセスタッグ王座も獲得した(2024年3月~9月保持)。

「正直、デビューするときは鈴芽さんとこんな仲になるとは思っていませんでした。ですが、練習生になる前に東京女子を見に行ったときに、一番目に留まったのが鈴芽さんだったんですよ。こんなちっちゃい子でも頑張っているんだって。勝手に上からですけど(笑)、凄いなって思いました。特にWRESTLE-1では大きな選手ばかり見ていたので……」

(※30日配信の後編へ続く)

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