6歳児が受けた衝撃「なんて乗り心地なんだ」 23歳で上京して探し当てた愛車…34年間“一筋”の奇跡

5歳の時、目に焼き付いた国産車。18年後、大人になって、「夢」を手に入れるために上京した。1972年式のダットサン・ブルーバード 1400デラックス(510型)。2025年11月で、オーナー歴は「34年」を迎えた。幼少期に受けた強烈な体験が、愛車人生を決定付けた。50代男性オーナーは「これに乗れて本当によかった」と感慨に浸っている。

2025年11月でオーナー歴34年を迎えた【写真:ENCOUNT編集部】
2025年11月でオーナー歴34年を迎えた【写真:ENCOUNT編集部】

高速道路でフロントガラスひび割れのピンチも【愛車拝見#349】

 5歳の時、目に焼き付いた国産車。18年後、大人になって、「夢」を手に入れるために上京した。1972年式のダットサン・ブルーバード 1400デラックス(510型)。2025年11月で、オーナー歴は「34年」を迎えた。幼少期に受けた強烈な体験が、愛車人生を決定付けた。50代男性オーナーは「これに乗れて本当によかった」と感慨に浸っている。

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「飛び出したら危ないよ!」。当時5歳、親族と外を歩いていた男性は、体を引っ張られて怒られたことを、今でも覚えている。目の前を走り抜けた1台の車。「中期型のデラックスだったんですよ」。幼心に魅了された。

 運命はそれだけでは終わらなかった。6歳の時、父親がたまたま代車で乗ってきたのが、今の愛車と同じ型式のブルーバード(510型)だった。近くのスーパーに連れて行ってもらっただけだが、後部座席に座った感触が、体に深く刻まれた。「なんて乗り心地のいい車なんだろう。これがウチの車だったらいいなって。妙にずっと覚えていたんです」。2日間だけの代車だったが、印象に強く残った。

 小学校高学年になると、衝撃の“発見”に至る。中古車カタログを読み漁っていた時に、「これだ、ブルーバードだったんだ!」。幼い頃に心を奪われた車について知ることになる。「いつか大人になったら、この車に乗りたい」。夢は次第に膨らんでいった。

 時は流れ、23歳になった男性は、愛知県で社会人として働いていた。当時は別のブルーバードに乗っていたが、夏前に自動車雑誌を手に取った時、愛車人生が加速し始めた。特集ページに掲載されていたのは、まさに自分が探し求めていた510型のブルーバードだった。「これだ! これに乗ろうと決めましたね」と直感した。

 10月、男性は会社に休みをもらい、金曜日に家を出て上京した。当時は携帯電話もない時代。家族には「ちょっと出かける」と置き手紙を残し、“車探しの旅”に出た。雑誌で紹介されていた都内の中古車店を訪ねて、「買います」と契約。11月、念願のブルーバードが納車された。さわやかに輝くブルーグレーも理想のカラーリングだった。

 納車された日の夜、忘れられない時間を過ごした。夜9時頃に帰宅すると、母親が「車が来てるよ」と教えてくれた。夕飯を済ませた後、「うれしくて2時間ぐらい近所を走り回ったよ。もう、幸せで仕方なかったね」と目を細める。

 それから34年。男性オーナーと愛車の絆は続いている。故障や走行トラブルなど、いろいろなことがあった。最大のピンチは、手に入れて25年ほど経った頃、北陸自動車道を走行中に訪れた。飛び石がフロントガラスに直撃し、ひび割れてしまったのだ。緊急事態でも冷静に行動。「この状態では運転できない」とJAFを呼び、自宅まで運んでもらった。

 避けられない経年劣化。あちこちを直しながら、しっかり維持してきた。塗装の傷みが目立ち始め、平成から令和へと元号が変わるタイミングで、全塗装を決意。愛車をきれいによみがえらせた。約50万円のそこそこの出費だったが、「長く乗れるならいい」と前向きに捉え、「車も自分の体も健康に」保ってきた。

 旧車乗りとして、ちょっと言いたいことがある。日本では、新車登録から13年を超えると、自動車税と重量税が一気に高くなる。旧車愛好家からは「自動車文化の衰退につながる」と、税制の改正を求める声が根強い。

 男性も同調。「物を大事にしているのに、なんでこう税金が高くなるのか? と思いますよ。日本は旧車に冷た過ぎますよね」と本音を明かす。ただ、一方的な主張をするつもりはない。「例えば、排ガスを抑えるなど、環境配慮の面について、我々オーナー側も努力すべきだと思います。できることはやっていく必要もあると考えています」と建設的な意見を示す。

 旧車は単なる「古い車」ではない。自動車産業が基幹であるものづくり大国・日本において、現代の自動車技術の礎となった存在だ。「昔の技術が積み重なって、現代の車になっている。旧車が土台になって、今があるんです。もう少し考えてほしいです」。切なる思いを込める。

 これから40年の節目、その先を見据えている。「頭が体をしっかりして、体が動く限りは持っていきたいね」。かけがえのない愛車と共に過ごす時間はまだまだ続いていく。

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