「縁を切った」はずの車と運命の再会…ロードスター保留 「まさか自分が」今度は父を助手席に
大学時代の19歳の時に、思い切って買ったのは、日産フェアレディZ。真っ白なカラーリングの2011年式のZ34前期型だ。ドライブの楽しさにどっぷりハマり、欠かせない人生の相棒になっている。そんな23歳男性会社員のオーナーにとっては、「Z」には特別な思い出がある。幼少期に父親が新車で購入し、親しんできた“ファミリーカー”でもあるのだ。助手席から父の横顔を見てきた少年が、今では父を乗せて……。そこには家族の愛車秘話がある。

【愛車拝見#341】「もうZとは縁を切ったと思ってたのに(笑)」
大学時代の19歳の時に、思い切って買ったのは、日産フェアレディZ。真っ白なカラーリングの2011年式のZ34前期型だ。ドライブの楽しさにどっぷりハマり、欠かせない人生の相棒になっている。そんな23歳男性会社員のオーナーにとっては、「Z」には特別な思い出がある。幼少期に父親が新車で購入し、親しんできた“ファミリーカー”でもあるのだ。助手席から父の横顔を見てきた少年が、今では父を乗せて……。そこには家族の愛車秘話がある。
18歳で免許を取得。育ったのは、大学に行くにも駅に行くにも車が必要な地域。車は「ちょっと好きな程度」で、漠然と「車は移動手段の一つ」として捉えていたところもあった。高校卒業のタイミングで友人に誘われたドライブ。友人がスカイライン(R33型)で現れた時、心の中で何かが動き始めた。“自分の車で遊びに行く”ことに感化され、「そこからハマりました。大学時代は山に行ったり、あちこち走りました」。最初は足車としてコンパクトカーに乗っていた。
Zとは不思議な巡り合わせがある。幼少期に父が乗り換えで買ってきたフェアレディZ Z33後期型。シルバーに輝く車体を見た時、「なんだこれ、見たことない」と驚いたことを記憶している。「最初は違和感があったんです。2人しか乗れないし、普通の車と全然違うじゃないですか」。幼心に衝撃が走った。
フェラーリやポルシェといった海外の有名スポーツカーだけでなく、国産スポーツカーの存在を知った。「乗ってみたら楽しくて」。“家族の一員”として慣れ親しんだ。母親からも「ドライブって楽しいよ。自分の車を持つことは本当にいいことだよ」と、車の魅力を教えられてきた。
19歳の時、スポーツカーに乗ろうと決心。最初は父と同じタイプのZ33型を探していた。「でも、父がZのいいところも嫌なところも全部知ってて、あまりおすすめされなくて……」。Z以外に乗りたい車は思い浮かばなかったが、マツダ・ロードスターを見に行った時に、中古車店で、運命の“出会い”があった。
「後ろのほうに今の車と同じような見た目のZが置いてあったんです。もうZとは縁を切ったと思ってたのに(笑)」。ロードスターは保留。フェアレディZへの思いが再燃した。友人にも相談し、悩んで考え抜いた。「やっぱり、Zに乗ろう」。心に決めた。
Zに方向性を定めてもう一度探し、自分の身の丈に合った価格のZ34を別の店で見つけることができた。頑張って貯めた掛け持ちのバイト代、高校時代の貯金で工面。一括購入を実現させた。
実は父のフェアレディZとは、悲しい別れがあった。事故で廃車になってしまったのだ。男性が中学生の頃の出来事で、悲しみに暮れた父の姿は今でも目に焼き付いている。「みんなで迎えに行ったんです。父が最後に1本だけたばこを吸って。車内では今まで一度も吸わなかったのに。父は『このまま乗ってほしい』とも言ってくれていたんですよ。それからずっと心残りになっていたところはあります」と振り返る。
子どもの頃に父に乗せてもらったフェアレディZ。今は、息子が父の仕事の送り迎えで助手席に乗せている。「父は『自分の乗る車だから好きなもの選んでいいよ』と言ってくれました。その言葉がすごくうれしかったです。たまに仕事に送っていったり、仕事帰りに拾って帰ったりしていますよ。まさか自分が、しかもZで父を送り迎えするとは思わなかったですね」。ちょっぴり恥ずかしそうに話す。母親を乗せての親子ドライブにも行っているという。
青春時代を愛車と共に過ごし、社会人生活も一緒に走り出している。大事に取り扱っており、「この車には、人としていろいろ成長させてもらいました。もめ事もあったし、いいこともあった。その中で、知り合いや友達、いろんな輪が広がったのはこの車のおかげなんです」と実感を込める。
家族とのとびきりの思い出もあり、人生を豊かにしてくれる存在。「この車は乗ったら本当に楽しくて。思い入れのあるZ。何物にも代え難いです。感謝の気持ちを忘れないで、これからもできる限り維持していきたいです」と結んだ。
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