【プロレスこの一年#12】アスカ、佐々木健介、小橋建太、越中詩郎が大ブレーク「復活」に沸いた2007年のプロレス界
越中詩郎が復活の大ブレーク 11年ぶりにIWGPに挑戦した2007年
男子では佐々木健介のカムバックが復活の年の発火点だった。左眼窩底骨折で欠場していた健介が、小橋建太の代打で参戦した前年のNOAH7・16日本武道館以来、約半年ぶりに全日本1・2後楽園に出場した。健介は2月に健介オフィスを団体として立ち上げると、6月から埼玉県吉川市の道場においてホームタウンマッチを定期開催。元女子レスラーの“鬼嫁”北斗晶の人気も手伝い、道場には家族連れのファンが常連として詰めかけるようになったのだ。さらに健介は全日本8・26両国国技館で鈴木みのるを破り三冠ヘビー級王座を奪取。健介にとってこれが三冠王座初戴冠でもあった。
また、弟子の中嶋勝彦も躍動した。2・17両国では史上最年少の世界ジュニアヘビー級王座を奪取。このときの勝彦は18歳。ちなみに、橋本真也の長男・大地が「プロレスラーになる」と公言したのがこの年の7月、ハッスルのリングだった。当時の大地はまだ15歳である。
この年、全日本とともに創立35周年を迎えた新日本はリング内外で大きな動きがあった。3月9日にサイモン猪木ケリー社長が辞任すると、4月25日に菅林直樹新社長が就任。4・13大阪で永田裕志が棚橋弘至を破りIWGPヘビー級王座を4年ぶりに奪取する一方で、お笑い芸人ケンドーコバヤシの物まねから越中詩郎が復活の大ブレーク。5・2後楽園では大「コシナカ」コールで迎えられ、実に11年ぶりのIWGPヘビー級王座挑戦を実現させた。永田に防衛を許すも男泣きの越中はその後、ソウルコネクション6・22新宿でケンドーコバヤシをセコンドにつけてリングに上がった。本家とモノマネのヒップアタック競演が披露され、「やってやるって!」はプロレス界のリバイバル流行語となったのである。
波に乗る越中は日本のみならず、武者修行の地メキシコにもカムバックした。ウルティモ・ドラゴンの闘龍門10・14メキシコシティーにサムライ・シローとして登場したのだ。サムライを復活させた闘龍門は日本でも興行をおこなっており、7月22日にはウルティモのデビュー20周年記念興行を後楽園で開催。佐野巧真と組み、すでに引退している畑浩和を迎え入れ20年前に突然組まれたデビュー戦のトリオを再現してみせたのだ。そしてこの大会では岡田かずちかが闘龍門を卒業し、新日本入りすることがウルティモ校長から発表された。岡田は8・26後楽園で内藤哲也を相手に新日本デビュー戦。この大会は後藤洋央紀が海外遠征から凱旋。後藤もまた、闘龍門メキシコ参戦を実現させていたのである。