月9女優からIT企業の広報担当に転身 小柳舞佳さんが女優業の“表と裏”を激白
女優を続けられる人は…「精神的にタフじゃないとやっていけません」
逆に、女優の大変さはどうか。
「努力をして実績を積んでも、知名度とかその後の仕事に直結しない大変さ。あとは、歩合制なので仕事がなければお給料が入ってこない不安。メンタルを保つのが大変でした。やっている時は楽しいけど仕事が無いと不安になり、どんどん暗くネガティブに。それでも人前に出た時は笑顔で仕事をする。当たり前かもしれないですけど、結構大変でした」
女優経験者ならではの苦労。辞めたのは大好きな大河ドラマのオーディションで初めて2次審査まで通過し、結果はだめだったが悔いはないと思えたこと。お世話になったマネジャーの退職も重なった。加えて22歳という年齢も関係していたという。
「同い年のみんなが22歳で就職して、焦りも加速していたというか。同時に今、自分が持っている力を、他のフィールドで生かしたいという思いも強くなっていました」
大変なことはほかにもあると、笑いながら紹介したのは社会保険関係。
「リアルに大変なのが、年金とか健康保険とか全部自分でやらないといけないことですね。今は会社に入って全部やってもらっていて、ありがたいなと思っています」
そんな中、「情報戦略テクノロジー」を選んで入社した理由について聞いた。
「ひとつは、面接してくださった方(今は私の上司です)が、すごく楽しそうに仕事をしているのが伝わってきたことです。この会社がやっていることや、これから目指すところをとても熱く語ってくださり、直感で、こんな人がいる会社で働きたいと思いました。IT系の知識は全くなかったので、業界の詳しいお話はほとんど理解できていなかったのですが、“業界構造を破壊する”という強烈なワードが頭に残っていました。せっかく新しい世界で仕事を始めるなら、今まで触れてこなかった分野で一から学びたいと思い、情報戦略テクノロジーに入社しました」
ならば女優を続けられる人はどういうタイプの人なのか。
「メンタルが強い人。精神的にタフじゃないとやっていけません。そして、どんなことがあっても自分が一番という自信がある強い人。あとは、先ほどもお話しましたが仕事がなければ収入は無いです。それでも芝居が好きで、好きでという人。私はそっちではなく、生活の安定を考えてしまうタイプでしたので。現実を目の当たりにして、私、5年後、10年後もバイトしながらやっているのかな。それは嫌だなと。学生時代とは違い、仕事がないとやることがない。確約されたものがないのは、こんなに不安なのかと思っていました」
あらためて芸能界とは、女優とはどんな世界かを聞いた。
「すごくキラキラしていて夢が詰まっていて、素晴らしい世界。ですが、そのキラキラを見せるための裏での苦労を知りました。日頃の努力だけではなく、運も大きいです。運を手にするところまで努力を積んだ人だからこそ、あの素晴らしい世界で輝けるのだと思います」
芸能界と一般企業の違いをどう感じるのか。
「違った責任の重さがあると思います。芸能界は事務所に入っていても、売れようが売れなかろうが個人の責任なのに対し、一般企業は組織としての活動に重きがあるところ。また、長期的にみて社員全員で同じ目標に向けて動いているという一体感を、会社に入って感じています」
これからの夢や目標は何か。
「情報戦略テクノロジーの広報の小柳として、業界内外の人に認知してもらえるようになりたいです。もっと知識を付けて社外にも出ていきたいですし、自分で考えて話せるようにしゃべりのスキルも上げて、台本のない世界でアドリブのきく広報になりたいです」
最後に芸能界に未練はないかと聞くと「無いです」と即答した。理由は、自分なりにやり切ったと思えるから。「今、幸せです」と語った。さらに、経済ニュースに興味を持つようになり、世間の波に自分が乗れているのがうれしいとキラキラな笑顔も見せた。
□小柳舞佳(こやなぎ・まいか)1997年1月5日、大阪生まれ。2015年にASIAN KUNG-FU GENERATION「オペラグラス」のMVでデビュー。フジテレビ「スカッとジャパン」、テレビ東京系ドラマ「牙狼 魔戒烈伝~鎮魂歌~」、「トモダチゲーム」などに出演。その他、映画「友だちのパパが好き」やソフトバンクのCMなど幅広く活動。17年から2年間、東海地方のケーブルテレビの旅番組「田中律子の旅するSUP」にレギュラー出演。特技はクラシックバレエ。