『24時間テレビ』企画一挙解禁 仲間由紀恵が書道パフォーマンス、星野真里の難病の娘は大冒険
8月30、31日放送予定の日本テレビ系『24時間テレビ48』の企画が24日、一挙解禁された。

仲間由紀恵は書道パフォーマンス
8月30、31日放送予定の日本テレビ系『24時間テレビ48』の企画が24日、一挙解禁された。
昨年の震災以来、何度も能登を訪れ、朗読会やボランティアなどのチャリティー活動を行っている俳優の仲間由紀恵は今回、「書道パフォーマンスを通して自分たちの抱える問題や能登の今について知ってほしい」と願う高校生に会い、想いを届ける。
訪れたのは、東京・青梅市。実は震災直後、使われていなかった青梅のキャンパスを借りて、石川県輪島市の日本航空高等学校石川のおよそ600人の生徒が能登を離れて生活をすることに。
現在ではおよそ300人が能登キャンパスに戻れず、今回訪れた書道部も能登に戻るめどはたっていない。そんな書道部の生徒たちが青春をかけて取り組んでいるのが、大きな紙に音楽・踊りなどをあわせながら書いていく「書道パフォーマンス」。かつては地元の能登のイベントでもパフォーマンスを披露していたが、震災によってその機会はほぼなくなってしまったという。
震災を経て、生徒たちの青春時代は、いやおうなく、夢に描いていたものとは違う形に。けれど、いつかまたあの美しい能登に。復興を願いながら、毎日を頑張る生徒たちの想いに仲間がよりそい、両国・国技館にて、全国、そして能登に暮らす全ての人々に、ともに書道パフォーマンスを届ける。
星野真里の娘 ふうかちゃんは先天性ミオパチーという難病
俳優・星野真里の娘 ふうかちゃん(10歳)。先天性ミオパチーという難病のため、大人のサポートが必要な毎日。今回は、そんな毎日から一転。子どもしかいない空間で原宿・新大久保・お台場を大散策。しかし、そこには数々の難所が。3人で知恵を絞って解決に挑む。
昨年9月、ふうかちゃんのインスタグラムを開設し、自身の娘が先天性ミオパチーであることを公表した俳優・星野真里。先天性ミオパチーとは、生まれつき筋肉の力が弱くなる、遺伝性の病気。ふうかちゃんの場合は、生後3~4か月になってもが据わらず、2歳のときに先天性ミオパチーであると診断された。それからは、夫で元アナウンサーの高野貴裕と協力し、親としてできることを模索する毎日。福祉制度をくまなく調べ、社会福祉士の資格も取得した。今回の企画では、心配半分・子どもの成長にうれしさ半分で、ふうかちゃんたちの様子を水卜アナウンサーと共にモニターで見守る。
ふうかちゃんのやってみたいことは「子どもたちだけでお出かけしたい!」。4歳から乗り始めた電動車いす。今では巧みに操作し、自由自在に乗りこなしている。それでも日々の生活では、大人のサポートが必要で、なかなか子どもだけでお出かけする機会がなかった。以前から子どもだけのお出かけを頻繁におねだりしていたものの、星野からは、やはり心配だと、なかなか許してもらえず。それでも、ふうかちゃんが諦めなかった背景には、幼稚園からの大親友の2人がいる。
ふうかちゃんの大親友、えまちゃんとつむぎほちゃん。2人とふうかちゃんは、とあるけんかをきっかけに大親友となった。障がいの壁なんてみじんも感じさせず、等身大で接してくれる2人に、ふうかちゃんは大きな信頼を置いている。えまちゃんとつむぎほちゃんも、大好きなキャラクターや漫画の話で盛り上がれるふうかちゃんが大好き。一緒に過ごす時間が長いためか、親友2人は車いすの扱いも自然と学び、今では車いすの角度調整から、車いす専用の机の設置に至るまで、何でも習得している。
「この3人がいれば大体のことはできる!」そう豪語できるのも絶対の信頼があってのもの。今回は、そんな3人の絆を頼りに、母である星野も子どもたちだけのお出かけに賛成した。ふうかちゃんだけでなく、星野自身の挑戦でもある、このお出かけ。向かう先は、原宿・新大保・お台場。初めての挑戦、3人の絆で乗り切れるのか。
さらに、憧れの竹下通りでお買い物。ふうかちゃん、えまちゃん、つむぎほちゃんが口を揃えて楽しみだと語った原宿。カラフルでかわいい雑貨や、ふわふわのスクイーズなど、大好きなものがたくさん。心ゆくまで堪能したいところだが、原宿といえば、所狭しと並ぶ店舗。狭い通路や入り口の段差をどうクリアしていくのか。
韓国雑貨を取り扱うお店が多い新大久保では、自分の好きなパーツを組み合わせながら、人形型のワッペンをデコレーションできる韓国ワッペンのお店へ。だが、店内入り口には急勾配の長い階段が。さすがに、えまちゃんとつむぎほちゃん2人では持ち上げることができない。こんな時、3人はどう対応するのか。
大の動物好きのふうかちゃん。いつもならかがむことができず、触ることが難しい小さな犬とも触れ合う。店内には動物の餌が入ったガチャガチャが。やってみたいけれど、筋力が弱いふうかちゃんにとって、ガチャガチャのハンドルを回すことは、大きな挑戦。やってみるのか、諦めるのか。
西田敏行さんの母の姉夫妻は、生まれてすぐの子どもを病で亡くしていた
昨年10月、この世を去った西田敏行さん。俳優生活58年。そんな西田さんの初主演ドラマといえば、日本テレビで1980年に放送された『池中玄太80キロ』。3人の娘をもつ女性と結婚したが、その妻が亡くなってしまった玄太が、血のつながらない娘たちを引き取り、貧しいながらもともに生活し、父となり、親子の絆を作っていく物語は、多くの人の心に響いた。
このドラマのテーマ“どんな人でも家族になれる”これは、実は西田さん自身の人生に大きく重なるものだった。
1947年生まれの西田さんは、母親に女手ひとつで懸命に育てられるが、生活は楽なものではなかった。すると、相談にのっていた母の姉が「あなたさえよければ、敏行ちゃんは私が育てる」。実は母の姉夫妻は、生まれてすぐの子どもを病で亡くしていた。
西田さんは5歳の時、母の姉夫婦が住む地へ引っ越し。実の母と別れて……。そんな西田さんが、どうして俳優をめざしたのか。人にやさしく、周囲の多くの人から慕われる人になったのか。そこには、さまざまな人たちからもらった大きな愛があった。
今回、西田さんのスペシャルドラマのナレーターを務めるのは数々の作品で共演してきた俳優・遠藤憲一。
遠藤は「ドラマで西田さんの部下役を長年演じさせていただきました。自分の中にあるコメディ要素を引っ張りだしてくれた恩人です。心を込めて精いっぱいナレーションを務めさせて頂きます」とコメントした。
さらに当日の両国・国技館生放送には、西田さんを慕う芸能人が集結。西田さんの往年の名曲『もしもピアノが弾けたなら』を、松崎しげると氷川きよしが歌い、西田さんに捧げる。
