角田信朗が振り返る激闘史 VS極真空手は「戦争」 曙は「人を超えていましたね」
曙戦で実現した超人追及ロマン
――そんな直前に。
角田 僕はあの時、「空手バカ一代」のテーマ曲で入場したんですけど、「空手バカ一代」と言えば超人追求。あの時、88キロの僕と、230キロの曙が闘った時に、僕が足を使ってヒット・アンド・アウェーで逃げ回ってっていう闘い方をして、何が面白いんやろうなって思ったんですね。
――それは違うと。
角田 ええ。超人追求のロマンは、これを熊にたとえて、正面から打ち砕くことなんじゃないかっていうのがあって、正面からの打ち合いを望んだんですけど、やっぱり現実的な体力差もあっただろうし、試合後、散々酷評された時に、自分の思いが世の中にはなかなか伝わらないんだなぁと思ったのがあの試合でした。
――結果的には3R闘って、判定で敗れてしまいました。
角田 ええ。でも、あの後にTBSで「史上最大ガチ相撲トーナメント」ってあったじゃないですか。
――ありましたねえ。
角田 芸能界やスポーツ界の相撲自慢がトーナメントをやって。その時(2011年春)に新日本プロレスの中西学君が勝ち上がって優勝していて。そこに隠し球で曙が出てきて。
――あ、曙でした!
角田 ええ。そこで僕は行司をやっていたんですよ。
――そうでしたね!
角田 それで曙VS中西戦になったんですけど、ボンボン! って突き押し2発で中西君は土俵の外まで飛びましたからね!
――凄ッ! さすが元横綱ですね!
角田 それを見ながら、「ようこんなんと殴り合いをしたなあ」って思いましたもん(笑)。
――当たり前の話ですけど、相撲をやらせたら天下無敵に近いですよね。
角田 (曙の)目も違うしね。まわしを着けた瞬間に。K-1のリングで所在なさげに闘っていた時の横綱の目ではなかったですねえ。
――いやあ、凄い話だなあ。
角田 ホント凄いですよ(とニコリ)。
(後編に続く)
□角田信朗(かくだ・のぶあき)1961年4月11日生まれ。子供の頃はいじめられっ子であった反動から、空手を習うようになる。高校2年で極真空手の芦原道場に入門。関西外語大学卒業後、サラリーマンとして働きながら空手を続け、K-1ファイター・競技統括やレフェリー、タレント、俳優、歌手としても活躍。正道会館空手総本部師範。近年はボディービルダーとしても活躍し、2016年大阪ボディービルフィットネス選手権大会では3冠完全優勝を達成。中学・高校の英語教員免許を持つ文武両道の万能ファイター。