妻と娘からは「早く捨ててくれと…」 壊れまくる国産旧車に乗り続けて35年 走りもデザインも「興味ない」のになぜ?
旧車の愛好家は、名モデルが歩んだ歴史に思いをはせ、走りにこだわり、デザインを愛でるもの。でも、「興味ないんだよ」。初代シルビアに35年間乗っているのにもかかわらずだ。人一倍、情熱を注いできたのは「直すこと」、維持することに誇りを持っている。ものづくりが大好きで、長野に住む60代男性オーナーの、一風変わったシルビア物語を聞いた。

シャンパンゴールドに“職人魂” 純正シート・音にこだわるマフラーもレア
旧車の愛好家は、名モデルが歩んだ歴史に思いをはせ、走りにこだわり、デザインを愛でるもの。でも、「興味ないんだよ」。初代シルビアに35年間乗っているのにもかかわらずだ。人一倍、情熱を注いできたのは「直すこと」、維持することに誇りを持っている。ものづくりが大好きで、長野に住む60代男性オーナーの、一風変わったシルビア物語を聞いた。
1967年式の日産シルビア 1600クーペ(CSP311型)。シャンパンゴールドの美しい車体が印象的だ。純正シートや音にこだわるマフラーは当時のまま残る、激レアの個体だ。
オーナー男性に話しかけてみると、「まずね、『シルビア』って名前は知ってたの。子どもの頃に絵本で見た。あと、(パトカー採用の際に)第三京浜に見に行ったこともあるかな。でも、旧車にも興味ないし、本当に最初は関心がなかったの」。
一体どういう経緯で、“シルビア愛好家”になったのか。もともと東京出身で、鉄工所の息子。現在は長野でスキー場の設計や建設に携わる仕事に就いている。もともとフェアレディに乗っていた男性オーナー。社会人になって20代半ばから長野に住むようになった。ある時、長野県内の自動車販売店の友人から「シルビアを探して」と頼まれたことから、運命に導かれていったという。
「フェアレディを買った八王子の店に電話をしたら、シルビアを見つけたくれたんです。『台数も少ないから、見逃したら手に入らないよ』と言われたので、俺が輸送費も含めて立て替えて、長野に送ってもらって。それで友人に見せたら、『引き取らない』と言われてしまったので、友人の店の隅にぶん投げておいたの。1年間ぐらい放置。でも、車検も切れてしまって。当時若いから現金が欲しくて、車検を取らないと売るにも売れないとなって、車を再生する必要が出てきたわけ。それで、少しずつ中身を見ていったんですよ。そうしたら、だんだんとエンジンや内装のことが分かってきた。物が悪かったことも分かってきて(笑)。買った値段で売れればいいや、と中古車雑誌に出したら売れましたね」
こうして自分で車を直したり、整備し始めたら、「興味が出てきちゃった」。溶接や板金などの作業は家業として育ってきたので、慣れっ子だった。それに、ものづくり精神が染みついていたのだ。
矢継ぎ早に自身にとって2台目のシルビアを手に入れる。「それは事故車だったの。名古屋で見つけて。シルビアの知識が付いてきたからいろいろ見ていたら、至るところが溶接されていて、乗れないよ、となったの(笑)。それでまた雑誌に出したら買い手が付いたの」。
約1年ごとにシルビアを買い替えていたオーナー。そして、現在の愛車に出会う。35年前のことだった。「長野市内にある車屋の車庫の奥のほうをチラッと見たら、シルビアが止まっていたの。頭だけ見えて。それで店を訪ねて交渉してみたら、その店の社長の車だったというわけ。昔は結構乗っていたけど、車検を切って5年ぐらいと聞いて、『売ってほしい』とお願いしたら、『いいよ』と。キャブレターだけ違ったけど、シートも張り替えしていないような純正だったの。これは再生しやすいなと思って。それが今の車なんですよ」。こうして、初代シルビアと歩む日々が始まった。
ほぼオリジナルで残されていたが、いざ買ってみると、走行距離は不明で、「やっぱり調子が悪いんだ、めちゃくちゃ」。自ら“レストア”を一から手掛けることになった。「しょうがないから少しずつ足回りから全て変えていって。オイル漏れもひどいから、エンジンを自分でおろして、パッキンを替えて、オイルポンプを替えて。ミッションも本当によく壊れた。前の2台目の時もそうだけど、道路の真ん中で止まってね。ベアリングがぶっ壊れて、ギアをかんで割れちゃって。ひどい目に遭ったよ。だから、GT-Rベースの5速に変えちゃった」。
「ぶっ壊れて直さないといけないところが必ず発生する。それがやりがい」
今も4~5年に1度はエンジンをおろして、愛車の手入れを行っている。「でもね、最近は60半ばになったからいろいろ忘れちゃって、最近は疲れてきて、オーナー本人が壊れてきていますよ」と豪快に笑う。
実はカラーリングは特別なものだといい、30年以上前にオールペン(全塗装)したのだが、ペンキ職人がこだわって調合したウレタン塗装なのだ。「ペンキ屋のおやじが『当時の純正色はこれなんだ』と言って、残っていたトランクの中と同じ色に塗られちゃった。でも、30年たっても色が割れたりしていないんだよ」と秘話を明かす。
シルビアはある意味で、人生と密接に結び付いている。「そんな走るのは好きじゃないし、デザインもあまり興味ないんだけど、いじりまくってて、どこかおかしいというのが分かる。めんどくせえけど、やるか。そこが面白い。それで続けている感じ。部品を替えたり、自分で作ったり。原因を究明して、直す。それが楽しいの。当時ものを溶接して作って。図面を書いて頭使わないと部品を作れないし。何度も試作品をトライしてみてね。時間つぶしに最高なの」。ちなみに、フロント部分に止まってしまった場合の牽引(けんいん)のフックが付いているのは、ご愛嬌だ。
ここまでハマり込んだシルビア人生。家族はどう受け止めているのか。「娘と母ちゃんは絶対、車に乗らないの。道路の真ん中で止まった経験があるから。娘は小学校の時に車を押したことがあって、若い頃に母ちゃんと帰省した際は高速で軽井沢あたりで動かなくなって。だから、『早く捨ててくれ』と言われちゃってる(笑)。それが現実ではあるよね(笑)」。ちょっぴり切ないところはある。
「初代シルビアに乗っている人があまりいない、ぶっ壊れて直さないといけないところが必ず発生する。それがやりがいになる。どうせならちゃんとした状態にしておきたい。その思いだけなんです」。そんな修理好きの個性派オーナーによるメンテナンスを受け続けて、初代シルビアは今日も元気に走っている。
