【オヤジの仕事】「銭ゲバ」「浮浪雲」を遺したジョージ秋山の息子が初告白 父が背中で教えた男の生き方
酔って帰っては「大きくなれ」と…
そんな怖い面もある父でしたけど、普段から怒って怖かったわけではありません。それどころか、家族への愛情深さは尋常ではないほどでした。平日の父は朝、僕ら子どもが学校へ行った後に起き出して仕事場へ。徹夜はしませんでしたが、仕事の後に飲んで帰り、帰宅は僕ら子どもが寝た後。だから、顔は合わせませんでした。でも、父は帰宅すると、寝ている僕の身体を毎日のように「大きくなれ、大きくなれ」と言いながらさすっていたそうです。そのおかげか、僕は180センチ超と大きくなりました(笑)。
休日は毎週、西伊豆にあった別荘に家族を連れて行ってくれました。父は海のない栃木・足利出身なので海に憧れ、唯一の趣味が船だったんです。モーターボートで沖へ出て走ったり、釣りをしたり。船から海に投げ込まれて、泳ぎをおぼえさせてもくれました(笑)。父は海でいろんなことを経験して感じ、そんな自分の姿を僕に見せて、僕に同じように感じ、学んでほしい、と考えてたのかな、と今になって思います。海の大きさ、穏やかさ、荒れ狂った波の怖さ……。僕が水平線を見て、小学校の時に作文で「海は丸い」と書いたら、「先生に褒められた」と母が話していました。
父の漫画をしっかりと読んだのは、20歳を過ぎてから。幼い頃はちょこちょこ読んでいたんですけど、父はひ弱な僕を外に遊びに行かせたくて、「漫画雑誌は一つだけ」と。僕が父の漫画の載っていない「月刊コロコロコミック」を選んだので、中高生の頃は父の漫画を読めなかったんです。でも、20歳を過ぎてから、父の寝室に忍び込んで何万冊とある本の中から、最初に選んで読み始めたのは「ピンクのカーテン」。性に目覚めて、というわけです(笑)。
□ジョージ秋山(じょーじ・あきやま)1943年4月27日東京生まれ。栃木県足利市育ち。本名:秋山勇二。66年、「ガイコツくん」(講談社)で正式デビュー。翌67年から連載の「パットマンX」で講談社児童まんが賞受賞。70年に「銭ゲバ」(小学館)、「アシュラ」(講談社)の連載を開始すると、過激なテーマが問題視された。73年に連載を始めた「浮浪雲」(小学館)は高い人気を得て、78年、小学館漫画賞青年一般部門受賞。本作の連載は2017年まで続いた。ドラマ化、映画化された作品も多く熱心なファンに支持されたが、20年5月12日死去。
□秋山命(あきやま・いのち)1970年5月20日、東京・新宿生まれ。帝京高校卒業後、スコットランドや米国へ留学。95年帰国。大リーグなど海外に挑戦する野球選手のマネジャーを務めた後、フリーの放送作家へ。現在はTBS系の朝の情報番組「はやドキ!」「あさチャン!」のスポーツコーナーやBS-TBSの障害者スポーツ番組の放送作家を務める。父・ジョージ秋山さんの作品「銭ゲバ」「アシュラ」「捨てがたき人々」の映像化の企画・制作・脚本に携わったほか、2018年公開の映画「生きる街」の企画プロデュース・原案・脚本も手がけた。