日本にたった5台…愛車は激レア かけた費用は「家1軒ぐらい」 反対押しのけ購入のオーナー「僕の生きざまなんです」
大学時代の19歳の時、群馬の国道でたまたま見かけた英国車に心を奪われた。ローバー 220 クーペ。ディーラーから「学生が乗るのはやめたほうがいい」と反対されても、熱意に駆られて購入に踏み切った。あれから約30年――。今もずっと乗り続けている。「僕の生きざまなんです」。オーナーの40代男性医師の愛車物語に迫った。

「10万キロを超えて、トラブルが解消されるようになりました」
大学時代の19歳の時、群馬の国道でたまたま見かけた英国車に心を奪われた。ローバー 220 クーペ。ディーラーから「学生が乗るのはやめたほうがいい」と反対されても、熱意に駆られて購入に踏み切った。あれから約30年――。今もずっと乗り続けている。「僕の生きざまなんです」。オーナーの40代男性医師の愛車物語に迫った。(取材・文=吉原知也)
これまでの愛車遍歴は50台以上…「車検に通したことがほとんどない」と語る歌手のクルマ愛(JAF Mate Onlineへ)
「大学生の頃から乗り続けています。日本で今も動いているのは、5台前後だと把握しています。本国イギリスでも車検に登録しているのは60台ちょっと。かなりレアなモデルと言えます」。それが、1994年式の愛車だ。数年落ちの中古で手に入れた。
偶然目撃したローバー。「何て言うクルマだろう?」。調べてみると、興味がどんどん沸いてきた。購入を決意してディーラーを訪ねたが、販売員から思わぬ反応が。反対を受けたのだ。実は90年代中盤の当時から故障が多く、扱いが難しい車として知られていた。「普通はディーラーは在庫がはけることを考えると思うのですが、『学生が買っても維持できない』『やめたほうがいい』と散々言われました」。難色を示していたディーラーは、学生の情熱にほだされ、破格の値段で売ってくれた。
いざ乗ってみると、言われた通りだった。「トラブルとの戦いでした」。故障に次ぐ故障の連続。「いつ止まるか分からない。学生時代は群馬から出ることができませんでしたよ」。自分で直そうとしては、逆に壊してしまい、途方に暮れる。その繰り返しを経て、この難解な車をどう動かすかという知識とノウハウを蓄積していった。
社会人になって働き始めて、金銭的余裕が出てきた。整備にもお金がかけられるようになり、「10万キロを超えて、トラブルが解消されるようになりました。ウイークポイントの改善を重ねて、アップデートが完了した。そんなイメージです。10万キロでようやくです」。しかしながら、総走行距離10万キロは買い替えの1つの目安とも言われている数字。そこからスムーズに乗れるようになったというのは驚がくだ。
購入当時の総走行距離は777キロ。それにディーラーから「3万キロを超えて乗っている人はいない」と断言されたが、今や走行距離は24万キロを超える。「調子よく走っていますよ」と胸を張る。
改良と改造を重ねてきた唯一無二の愛車。今はローバーの専門の整備工場に愛車を預け、信頼関係を構築。「工場長の方から、『客を超えた仲で付き合っています』と言われてうれしかったです」。それに、部品ショップと共同でオリジナルのパーツを開発しており、「例えば、この車の外装エアロパーツのデザインは自分が携わりました。ショップと二人三脚でオリジナルで作りました。今はもう日本で手に入らない部品もあるので、関連部品を自分で開発しています。メーターパネルやエンジンのラジエーターなどはワンオフで作っています」とこだわりを示す。それだけでなく、カスタムも徹底。「リアウイングはスカイラインの部品を取り付けています。エンジンは信頼の厚い日本製で、シルビアやS2000、ハチロクなどのパーツを取り入れています」。
何度手放そうと思っても「あきらめたら負け」で24万キロ
さわやかで印象的なブルーのボディーカラー。ここにも“他とはちょっと違う”ポイントが。「これはローバー75の純正色なんですよ。ウェッジウッドブルーです」。もともとは深い紺色だったが、全塗装で塗り替えた。それに、「2リッターターボ、マニュアル、シートはレカロの本革」とお気に入りは尽きない。
実は、3台持ちで欧州車好き。しかもそれぞれ長く乗っており、「ローバー 75は22万キロ、ボルボ V60は11万キロです。ローバー 220も普段乗りですよ。やっぱりクルマは乗ってナンボだと思っています」とにこやかに語る。
当時の購入価格は約100万円。「投げ売り状態だったと思います。自分の貯金と親の援助で工面しました」。その1台に、これまで愛情と情熱を注いできた総費用は「家1軒買えるぐらいだと思います」と明かす。
長年乗り続けて、今や、愛好家や欧州車好きの間でちょっとした有名カーになっている。「何度手放そうと思ったことか。それでも、『あきらめたら負け』と思い直して、乗り続けてきました。僕自身、“一生ずっと乗る”といった考えではなく、『積み重ねていく』という姿勢でここまできました。1つの車を長く乗る。その生き方、生きざまを体現している。そういった感覚を持っています」。クールなまなざしを送った。
