【東京女子】世界で輝く山下実優&伊藤麻希、福岡出身の2人の意外な出会い 上京前にラーメン屋で
今、日本のプロレス界において最もワールドワイドなタッグチームといえば、山下実優&伊藤麻希の121000000(ワン・トゥー・ミリオン、以後ワンミリ)だろう。2021年1月に東京女子プロレスで結成され、仲がいいのか悪いのかわからないことも魅力となり、2023年3月にプリンセスタッグ王座を獲得。しかしわずか2週間で王座陥落、そして昨年9月に2度目の王座戴冠を果たした二人に話を聴いた。

タッグチャンピオンだけど「一緒の入場が想像できない」
今、日本のプロレス界において最もワールドワイドなタッグチームといえば、山下実優&伊藤麻希の121000000(ワン・トゥー・ミリオン、以後ワンミリ)だろう。2021年1月に東京女子プロレスで結成され、仲がいいのか悪いのかわからないことも魅力となり、2023年3月にプリンセスタッグ王座を獲得。しかしわずか2週間で王座陥落、そして昨年9月に2度目の王座戴冠を果たした二人に話を聴いた。
山下実優は2013年に東京女子のリングでデビューした、旗揚げからの生え抜きの選手だ。一方の伊藤麻希はアイドル活動を経て2016年に山下を相手にデビューしている。山下は当時の伊藤をこう語る。
「私は(伊藤の)デビュー戦で相手をして、本当に大物になるだろうなと思っていました。『すごい奴になるだろうな』と思っていて、当時から試合をしていてすごくワクワクするというか、伊藤と戦ったときにしか味わえない境地にいける感覚があったのを覚えています」
実はこの二人、ともに福岡出身なのだがお互いの上京前にすでに出会っていた。
「私が福岡でアイドルをしていた頃に、山下が働いていたラーメン屋さんにポスターを貼りに行ったことがあったんですよ。伊藤(伊藤の一人称)の同期の子が、山下と同じラーメン屋でバイトをしていて。当時の印象は……すいません、覚えていないです(笑)。で、あのときにシフトに入っていた子がプロレスデビューしたと聞いて、(山下は)ずっと空手もやっていてアスリートなので、自分とは真逆の人という感覚でした」
山下もアイドルグループが何人かやってきたなという記憶で、そのときには会話はしなかったという。しかし、運命の糸が2021年1月に絡み合う。バックステージで、伊藤がたまたま近くでグミを食べていた山下にタッグ結成を持ちかけた。
「伊藤発信なんだ(笑)。なんであのとき山下に声をかけたんだろう……なんか楽しかったんでしょうね」(伊藤)
「私も“混ざらない”感じが居心地がよいというか。タッグでチャンピオンになると入場で合体曲が作られるんですけど、私たちはチャンピオンの今でもバラバラに入場してきますし」(山下)
「合体曲を作るという話がなかったわけではないんですけど、一緒に入場してくるのが想像できなくて」(伊藤)
伊藤は今年の1.4後楽園ホール大会から入場曲を一新した。
「前に使用していた『Brooklyn the hole』で知名度がぐんと上がった感じではあったんですけど、“伊藤ちゃん”のキャラクターの色がつきすぎて自分がそれにとらわれてしまう感じがあって。自分もどう見せたらいいかわからなくなった時期があって、だからもう破壊してしまおうと。変化する時期に入ったんだろうなと思って、入場曲から変えました」
一方山下は長らく同じ入場曲を使用している。それこそ“ザ・エース”という趣の楽曲なのだが……。
「エースはもういいかな……という感じではあります。エースという言葉は、すごくかしこまってしまうというか、結構カタくなっちゃうんですよね。自分の中で『こうしなくてはいけない』みたいな。私自身、キャラと違ってそんなにカタくない人なので(笑)、もっと自由でありたいなと思いますね」

得意のフィールドだと思っていた海外での王座陥落で気持ちに火が点いた
ワンミリが初めてプリンセスタッグ王座を戴冠したのは2023年3月18日の有明コロシアム大会。しかしわずか2週間後、同年4月1日にロサンゼルスでマジカルシュガーラビッツ(坂崎ユカ&瑞希)相手の初防衛戦で敗北、わずか2週間天下で終わってしまう。
「本当に最悪でしたね。(これまでのキャリアで)どん底ですよね、マジで落ち込みました。ちょうど海外でも活動していこう、という意気込みを持っていたタイミングで、しかも自分たちの得意のフィールドだと思っていた海外で持っていかれたので……」(山下)
「あのときはまだ純粋にワンミリのタッグ力がなかっただけですね。その後からグングン力をつけていっているので、やっぱりあれは必要な挫折ではあったかなと思っています」(伊藤)
その後、山下と伊藤は海外でシングルでの活動が際立つようになる。アメリカやイギリスで女子のタイトルのみならず、男子が歴代王座に名を連ねるタイトルも獲得し、海外のプロレスファンも山下と伊藤は一目置く存在となった。
「多分これ(タッグ王座陥落)でスイッチが入ったんですよね。この日の直後にGCWのロサンゼルス大会があって、落ち込む暇もなく次の試合に行ってそれでもう吹っ切れて。弱いんだったら強くなろうという気持ちになれたんですよ。だからアメリカがそういう強い気持ちにさせてくれたから、アメリカで武者修行してみようと思いましたね」(伊藤)
「私は海外で試合をするようになって、視野がめちゃくちゃ広くなりましたね。海外で試合をすると、何でも許せるようになるというか(笑)。いろいろな環境……信じられないような場所で試合をすることもあるので、何事にも動じなくなりました。あまり怒らなくなりましたし(笑)。あとはお客さんとの“会話”ができるようになったと思います。それまでは、相手しか見ていない感じだったので。実は伊藤の試合はお客さんと“会話”するイメージがあって、それはすごいなと思っていたんですよね」(山下)
(12日掲載の後編へ続く)
