総額9億円超えの旧車収集 「なんでパパはがらくたのような車ばかり買うの?」 父が返した“答え”とは
7歳の少年が「いつか社長になって、好きな車を全部手に入れる!」と決心した思い、それを夢で終わらせなかった。「世界に1台」しかないという超が付くほどのレアなフェラーリや、デザイン性と希少性を併せ持つイタリア車、日本が誇る名スポーツカー……。そろいもそろえた、とびきりの旧車30台は「9億円以上はかかっていると思います」。熱烈コレクターの男性経営者は、今もスーパーカーに恋い焦がれている。放蕩浪人生活からの一発逆転の起業家人生に迫った。

秘密のガレージはまるで美術館 圧巻のコレクション
7歳の少年が「いつか社長になって、好きな車を全部手に入れる!」と決心した思い、それを夢で終わらせなかった。「世界に1台」しかないという超が付くほどのレアなフェラーリや、デザイン性と希少性を併せ持つイタリア車、日本が誇る名スポーツカー……。そろいもそろえた、とびきりの旧車30台は「9億円以上はかかっていると思います」。熱烈コレクターの男性経営者は、今もスーパーカーに恋い焦がれている。放蕩浪人生活からの一発逆転の起業家人生に迫った。(取材・文=吉原知也)
愛車は日本にわずか5台の超希少アメ車…ハーレーも乗りこなす52歳俳優のクルマ&バイク愛(JAF Mate Onlineへ)
真紅のボディーで、高貴なオーラを漂わせるスーパーカー。「ぜひ見てください。これが世界に1台のフェラーリです」。フェラーリ 348 ザガート エラボラツィオーネ。イタリアの名門デザイン事務所が手がけた極上モデル(車体は1990年製造)で、屋根がオープン仕様になっており、この1台しか存在しない。品評会への出展を検討しているそうだ。
オーナーは、新関一成(にいぜき・かずなり)さん。薬局業界の敏腕経営者だ。
コレクションの一部を保有しているガレージには、驚がくの超高級車が保管されている。
外装と内装が気品あふれる緑色で統一されたフェラーリ 512 Mはミッドシップ12気筒で、“最後のミッドシップ”と呼ばれている。78年製のフェラーリ 308 GTBは欧州仕様でパワーある走りが魅力。なかなかお目にかかれないオレンジ色のフェラーリ ディーノ 246GTは、アテンドを担当したディーラーによると、「ものすごく人気のモデル」で、現存数が少なく、世界のファン垂ぜんの1台だという。
まだまだある。ランチア デルタ インテグラーレ ファイナルエディション ディーラーズコレクション。日本未発売で、180台限定生産。ラリーカーモデルで、カラーリングもこれだけの激レア車種だ。それに、もともとレース車両だったアバルト 850 TC 1000、貴重なアルファロメオ 2600 スパイダー、4人乗り仕様の日産フェアレディZも存在感を発揮。
洗練されたデザインのスーパーカーが個性を放ち、まるで美術館のよう。見ているだけでうっとりする。
「うまくいっている人は全員努力しているんだよ」 おじの言葉でどん底から復活
今年で58歳になる新関さん。なぜそれほどまでのカーコレクターになったのか。
石油商のサラリーマン社長だった父はゴルフに情熱を傾けていたが、車には興味を持っていなかった。それでも、幼少期にスーパーカーブームに魅了され、7歳の頃から「いつか」を胸の内に秘めていた。
若い時はちょっとした寄り道をした。「実は浪人生活が長くて、浪人の身分なのに遊びほうけた時期もありました。浪人時代に病気で入院してしまったことがあって、病床で読書にふけっていたところ、急に思い立ったんです。『医者になろう』と。医学界を目指して受験して運よく合格したのが、薬学部の大学だったんです」。進むべき進路が定まった。
自動車好きが高じて、大学時代に“学生起業”に挑戦する。中古車販売業を立ち上げたのだ。そこそこ稼げていたのだが、これでは、国家試験に合格して薬剤師になるための学業が疎かになってしまう。「車が好きで始めた商売ですが、このままいくと、自分で買った車を手放せなくなってしまう。『好きなものは仕事にはできないな』。それを強く実感しました」。中古車販売業を畳んで、勉強にまい進した。
卒業後に、薬局経営のプロデュースに乗り出す。いざやってみたら大当たり。1軒1億円の売上を達成するなど、商才を発揮した。現場を知るために3年間、薬局に勤めていろはを学んだ。
30歳でいよいよ独立。ところが、自分の店を出してみると、うってかわって赤字に。あふれていた自信が打ち砕かれ、「奈落の底に突き落とされました。自分の薬局は何をやってもダメ。心を入れ替えました」。反省に次ぐ反省。頼ったのは、事業家として成功を収めていたおじだった。
「おじきを訪ねました。現状や悩みを打ち明けて、どうやったらうまくいくのかと聞いたんです。おじきの答えは『うまくいっている人は全員努力しているんだよ』というものでした。尊敬するおじきの言葉が、自分にとって一番、腑に落ちたんです」
自らを省みて、まずは掃除とあいさつの基本に立ち返った。「地域の皆さん1人1人に感謝し、頼っていただける存在にならないといけない」。毎朝5時から3時間かけて店の周りを掃除。通り行く人たち全員にあいさつ。一心不乱に働いた。
そして、「周囲の誰もがやめろと反対した」という2号店の出店を断行。これが奏功し、地に足をつけた薬局経営を徐々に拡大させていった。
「稼いでから、買えばいい」。こう自分に言い聞かせ続け、あこがれの車を追い求めてきた。一方で、旧車収集で、若い時の後悔もある。ちょうど自らの薬局を立ち上げた30歳ごろのことだ。
「MGAを当時120万円で買うことができました。しかしその後に資金繰りが悪化して、2か月で手放すことになりました。今ではもう手に入らない希少な車です。赤字が膨らんで3年間で1億円になり、とにかく会社・薬局の存続で手いっぱいでした」。車への情熱は封印し、必死になって働いた。
この泥水をすすった経験があるからこそ、一期一会を大切に、人として大事なことを忘れずに、経営者としての歩みを進めてきた。飛行機・ヘリコプターのリース業や出版業など多角経営にも乗り出し、資産を着実に築き上げてきた。
「やっぱり旧車は、『自分が運転している』ということを感じられるのが大きな魅力」
旧車には「時代の空気が宿っている。それを感じるのがたまらないんです。私は1950年前後から70年あたりの車が好き。当時実際に走っていた姿を想像すると、胸が高鳴ります」。30代の時にロータス・エスプリS1を2台購入した。10万円のものと、50万円のものだ。「007でおなじみのロータスです。ボロボロのレストアベースで、この2台を組み合わせて1台に仕上げました。10年かけてコツコツと取り組みました」。時代の空気を感じ、車にまつわる物語や時代背景を学び、“手を動かす努力”を大事にする。これがモットーだ。
旧車収集を本格化させたのは、2020年から。信頼しているディーラーやクラシックカー愛好家仲間との絆を深め、「いい情報」を基にコレクションを増やしてきた。「ある会社を売却して資金的な余裕ができたことが大きかったです。でも、コロナ禍の時は大変でした。資産が半減して……。毎日の投資の売買で、自分で挽回しました。1日3億円から6億円を回して。あの当時は本当に大変でした」。七転び八起きの精神は、すさまじいものがある。
約30台の旧車コレクションは“9億円超え”。いくら稼ぐ経営者とはいえ、一家の大黒柱の熱中ぶりを家族はどう見ているのか。「妻は何も言いませんが、ある時に子どもにこう言われました。『これだけ世の中、ハイブリッド車とか電気自動車が走っているのに、なんでパパはがらくたのような車ばかり買うの?』って。私は『違うんだよ。この車たちはアートなんだよ』と答えました」。旧車は人間の技術の粋を尽くした美術品。スーパーカーには歴史的価値がある。新関さんの信念はきっと伝わるだろう。
ただの道楽趣味や富裕層のステータスではない。旧車を集める本心は、7歳の童心そのものだ。「それぞれの車には物語があって、それを感じることができます。車を作ってきた職人の息遣いも感じ取れます。とにかく楽しいんですよ。やっぱり旧車は、『自分が運転している』ということを感じられるのが大きな魅力です。現代車は自分でやることは左右のハンドル調整ぐらいで、どうも『車に乗せられている』という感覚になってしまいます。自分で運転して走る喜びが、旧車にはあります」と力を込める。
そして、「実はもう1つ大きな夢があるんです。いつか美術館を作りたいんです。旧車のよさ、素晴らしい旧車を後世に残していきたいです」。自慢の愛車たちを眺めながら、少年のように目を輝かせた。
