「世界に1台」トヨタの名車が98%ノーマルで現存 亡き妻もお気に入り「たくさんの思い出があふれてくる」

車は所有する時間が長いほど、愛着が湧いてくるものだ。可能な限り、乗り続けたいという気持ちはどのオーナーも同じだろう。だが、1台の車を改造することなくワンオーナーで50年以上乗り続けているというのは珍しいかもしれない。発売当時、デザインにほれ込んだという80代オーナーに思いを聞いた。

1971年式トヨタ・セリカ1600GT【写真:ENCOUNT編集部】
1971年式トヨタ・セリカ1600GT【写真:ENCOUNT編集部】

71年式のセリカがワンオーナーで現存 ほれ込んだデザイン

 車は所有する時間が長いほど、愛着が湧いてくるものだ。可能な限り、乗り続けたいという気持ちはどのオーナーも同じだろう。だが、1台の車を改造することなくワンオーナーで50年以上乗り続けているというのは珍しいかもしれない。発売当時、デザインにほれ込んだという80代オーナーに思いを聞いた。(取材・文=水沼一夫)

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「個体としてはある程度残っているかもしれないけれども、この車両のように改造などを施さず、新車時の姿をそのまま忠実に残している個体となると、今ではかなり貴重な存在じゃないかなと思うんですね。購入時、さまざまなオプションの組み合わせによって『世界に1台』と言われましたが、まさにその姿のままで残っている」

 こう話すのは、鹿児島・薩摩川内市の歯科医・重永誠之さんだ。

 ターコイズブルーの鮮やかなカラーが目を引く愛車は1971年式のトヨタ・セリカ1600GT。71年に新車で購入後、子育て中に乗らない期間もあったものの、「98%ノーマル」のまま、現在に至るまで大切に維持している。

 愛知県の大学を卒業し、その時の教授の紹介を通して、24歳で勤務したのが神奈川・横浜市内の歯科クリニックだった。新人歯科医として日々奮闘していたある日、テレビCMで見た1台の車にくぎ付けとなった。

「その時のキャッチフレーズが、“未来からやってきた車、セリカ”だったかな。その言葉通りで、スタイルが当時としてはすごく斬新でした。発売前のコマーシャルを見ながら、心底欲しいなって思いましたね。それぐらい魅力的で、当時としてはスタイルが先進的だったと思います」

 同時期には、日産フェアレディZ、三菱ギャランGTOも個性を放っていた。横浜で同じマンションに住んでいた同級生の友人はZを購入。重永さんは迷いつつも、「技術の日産、デザインのトヨタ」との友人の言葉にも背中を押され、セリカを選択した。

 購入した日のことは今でも覚えている。

「今はなくなっていますけど、当時、横浜の港にポートタワーみたいなのがあったんですよ。そこの下にトヨタさんの販売店があって、そこに行って、今でも名前を覚えていますけど、徳さんっていう方が担当してくれましてね。色々と丁寧に説明してくれて、契約しました。徳さんにはすごく感謝しています」

 車両価格は80万円台で、そこに当時としては斬新なセリカ独自の「フルチョイス・システム」によるさまざまなオプションの組み合わせが可能だったこともあり、ほぼすべてのオプションをつけてトータル90万3000円だった。屋根は純正オプションで白のレザートップ(バイナルトップ)に張り替えている。

「納車の時に徳さんが、『コンピューターのいろんなデータで見ると、重永さんの組み合わせはこの1台だけです。世界で1台しかない車を納入いたします』と言ったのを覚えています」

横浜では外国人のカメラにホイールを狙われた【写真:ENCOUNT編集部】
横浜では外国人のカメラにホイールを狙われた【写真:ENCOUNT編集部】

横浜で妻と何度もドライブに…印象的だった屋上駐車場での坂道発進

 特にこだわったのはアンテナの位置だった。

「ノーマルは右の前に垂直にピューっと出てくる電動のアンテナだったんですね。それを左の後ろにちょっと角度をつけて電動で出るようにしました。とにかくアンテナ好き人間だったから、運転席から振り向いた時にちょろっと出ているのが見えるとうれしかった」

 兄が戦後、鹿児島に駐留していたアメリカ軍の英語に興味を持ち、自前のアンテナを張って短波放送を聞いていた。その影響を受けた。

「昔のテレビの棒アンテナ、今のパラボラアンテナにしても、見えないものをキャッチするための道具じゃないですか。なんか未知の世界とつながるような感じがして、アンテナは飾りでもいいから車につけたいぐらい」と笑顔を見せる。

 一方で、唯一つけなかったオプションは、カラーバンパーだった。

「ボディー色と同じ色のバンパーをつけるっていうオプションもあったんですよ。でも、バンパーはぶつけた時のガードだから必ず傷がつきます。傷がついたらみっともないから、これだけはやめといたほうがいいですって徳さんが助言してくれましてね。ですからバンパーはノーマルのメッキパンパーのまんまですね」

 自分の稼ぎで買った初めての車。当時最新だったテクノロジーにも興奮した。

「当時としてはまだ珍しいパワーウインドーやクーラーがついていました。エアコンとは違い、ただただ冷たくするだけのクーラーですが、そういう先端的な技術が入っていましたね」

 地元に戻るまでの約10年間、重永さんは横浜でセリカのある生活を満喫する。場所柄、外国人が多く、信号で停車すると、カメラを向けられることもしばしばあった。

「どういうわけか、ほとんどの人がホイールのところを狙って撮影していたような気がするんです。それが不思議でしたね」

 横浜で知り合った妻とは何度もドライブに出かけた。

「あっちこっち行きましたね。夏には第三京浜を走って湘南海岸によく行きました。カセットテープで当時のはやりの歌を聞いてドライブするのがすごく楽しかったですね」

 妻もセリカを気に入り、自らハンドルを握って運転した。

「横浜駅の近くだったかな。高島屋かなんかの駐車場が屋上にあって、そこが結構な急坂だったんですよ。家内は難しいセリカのクラッチでもエンストすることなく、上手に坂道発進していましたね」

 ただ、“相棒歴”は妻よりセリカのほうが長かった。「結婚してしばらくたってから、『あなたよりもセリカのほうが付き合いが長いんだよね』なんて何気なく言った一言で、家内がちょっと寂しそうな顔をして。あれはちょっと失言だったかなと……」。愛車を得意げに語るあまり、気まずそうな雰囲気になったことも思い出の一つだ。

当時ものの貴重なパンフレット【写真:ENCOUNT編集部】
当時ものの貴重なパンフレット【写真:ENCOUNT編集部】

夢は「いつかトヨタの本社にこのセリカで訪ねて行くこと」

 30代半ばで薩摩川内に戻り、しげなが歯科医院を開業。3人の子どもが成長していくと、セリカを運転する機会は少なくなっていった。

「11年ぐらいガレージで眠りっぱなしの時がありました。子どもが同じ時期に学校に進学したんですよ。そしたら学費がめっぽうかかるんですよね。で、恥ずかしいことにその学費の捻出のために、この車も手放したほうがいいかな、と思うぐらい苦しかった時期があったんです」

 それでも、やがて子育てが落ち着くと、再びセリカのことが気になり始めた。

「あの時セリカを手放さなくて、本当によかったと思います」

 一時期登録抹消していたこともあり、新車時のナンバープレートは交換となったが、ワンオーナーとして現在まで乗り続ける。これまでに事故や大きなトラブルなどは「1回もない」。しかも、98%オリジナルで維持している。

「残りの2%は何かというと、8トラックです。従来、カーオーディオといえばCDやカセットテープですよね。そのもっと前は8トラックのテープが主流だったんですよ。その8トラック、本体が大きい弁当箱みたいな装置だったんですね。当初はついていたんですが、8トラックのテープがだんだん入手困難になり始めて、いよいよ手に入らなくなった段階で8トラックの本体を外してしまいました。それによって新車購入時のオリジナルの姿ではなくなってしまいました」

 黒い樹脂製のシフトノブは木製に変更。また、サンバイザーも微調整を行っている。

「今でも後悔しているんですけど、右の後ろのサンバイザーを少し短くカットしたんです。左は純正のままの寸法なんですけど、右がちょっと寸足らずのサンバイザーになっちゃったんですね」

 現在、パワーウインドーやエアコンの動作不良があるため整備中で、それ以外のところも含めて、完全なオリジナルの姿での復元を模索している。「いつかトヨタの本社にこのセリカで訪ねて行くことが夢だけど、その前にできれば当時の姿、100%に戻してあげたいと思っているんです」と、オリジナルの完全復活に意欲を見せる。

ボディーデザインがとにかく美しい【写真:ENCOUNT編集部】
ボディーデザインがとにかく美しい【写真:ENCOUNT編集部】

妻の葬儀後、家族そろって最後のドライブ「思い出があふれて」

 車には、幼い頃から子どもたちを乗せてきた。長男、次男には車好きの遺伝子が引き継がれていると実感している。

「子どもたちに特別何か残してやれるものはないんだけども、セリカだけは残すことができてよかったなと思っています。形あるものの中で、このセリカがいちばん思い出や価値が詰まっていると思います。他にも骨董品やアート作品などがあるんですけれども、やっぱりこの車の存在が最も大きいですね」

 最愛の妻は2021年に他界した。葬儀の日、重永さんは火葬が終わると、遺影を持って子どもたちとセリカに乗り、“最後のドライブ”に繰り出した。家族全員でセリカに乗ったのは約30年ぶりのこと。交代でハンドルを握りながら、おのおのが妻・母との思い出を語り合い、“家族5人”で写真を撮った。

「あの時はああだった、こうだったって、たくさんの思い出があふれてくる。やっぱりこの車が1番思い入れがあったので」

 重永さんはディムラー・ダブルシックス・アーデン、BMW・760Li、トヨタ・ソアラと合計4台を所有。その中でもセリカは特別な1台だ。

「当時は今では考えられないような独創的なスタイルの車が世に出ていました。セリカにしても、フェアレディにしてもそうでした。最近は車好きが喜ぶようなワクワクするデザインの車が少ないですよね。採算性や機能性など、いろんなことを考えるとそれが当たり前で、メーカーからすれば冒険をしたくないんでしょうけれども。でもまたいつか、このセリカのように世の中をあっと言わせるようなすてきな車が出てきてくれたら面白いと思うんですよね」と期待を込めて結んだ。

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