働き続ける2児ママ、衝撃受けたハチロク 子を連れて走行会に通って…娘もサーキットデビュー
ある日、夫がビデオ店で借りてきた名作アニメを見て、運命が変わった。そのクルマは高校時代の青春の思い出につながっていて……。愛車は、“ハチロク”の愛称で知られるトヨタ・スプリンタートレノ(AE86)。オーナーで50代の女性会社員、中村美穂さんは、サーキット愛好家の走行会チームを立ち上げ、20年以上運営を担っている。幼少期にサーキット場に連れて行った長女も
金字塔アニメが転機「あまりの面白さに徹夜で全部見ました」
ある日、夫がビデオ店で借りてきた名作アニメを見て、運命が変わった。そのクルマは高校時代の青春の思い出につながっていて……。愛車は、“ハチロク”の愛称で知られるトヨタ・スプリンタートレノ(AE86)。オーナーで50代の女性会社員、中村美穂さんは、サーキット愛好家の走行会チームを立ち上げ、20年以上運営を担っている。幼少期にサーキット場に連れて行った長女もクルマ好きに成長。パワフルで充実したカーライフを歩んでいる。(取材・文=吉原知也)
25歳人気女優のクルマ愛…免許はマニュアル取得、愛車はSUV(JAF Mate Onlineへ)
もともとはバイク乗り。短大時代はオートバイ部に所属し、当時は250CCの2スト(2ストロークエンジンの)バイクを駆った。楽しい二輪車ライフを送っていたが、事故で骨盤の複雑骨折を負い、バイクを降りることに。車はいたって普通のオートマの軽に乗っていた。
クルマ好きの夫と結婚を機に、レガシィ・ツーリングワゴンでスキーに出かけるようになり、2台乗り継いだ。就職、結婚、出産とライフステージを重ね、正社員で働き続けるママになった。新人で入社した半導体総合商社では人事総務を担当し、2児の育児と仕事を両立してきた。
転機が訪れたのは、25年前、1999年のゴールデンウイークのこと。「主人がレンタルビデオ店で『頭文字D』を借りてきました。1巻から見始めたら、あまりの面白さに徹夜して全部見ました」。自動車アニメの金字塔が運命を決定付けた。
作品で描かれる“ハチロク”のかっこよさに魅了。ここで、高校時代の淡い記憶がよみがえってきた。「高校1年の頃に交際していた年上の彼が『クルマを買い替えようと思うけど何がいい?』と聞いてきたので、当時流行していた『リトラクタブルライトのクルマがいい』と希望を伝えたんです。彼が購入したのは、AE86。ハチロクトレノでした」。助手席に乗せてもらっていた当時。そんな楽しい青春の1ページを思い出した。
あの時の“面白いクルマ”と、時を経て再会した。「乗ってみたい」。そう直感した。
思い立ったら早い。中古車店を探し回り、84年式のトレノを見つけ出した。「主人からは『マニュアル車だけど運転できるの?』と言われましたが、『一生懸命に練習するから買いたい』と説得して、やっと手に入れました」。99年7月に電撃的に愛車を購入した。
そこからマニュアル車の“訓練”を開始。「最初は『ここ、坂道?』と主人に言われるようなところでも坂道発進ができませんでした。クラッチが焼けちゃうんじゃないかと思うくらいの下手っぷりでした(笑)」。サーキット走行への新たな夢に突き進んだ。
準備期間に約半年を費やし、ホイール、マフラー、タイヤ、バケットシート、4点シートベルト、ブレーキパッド……。初心者がそろえるものは一通りそろえ、「『女性だけの走行会』というものに行ったり、武闘派が集うハチロク走行会に間違えて参加してみたり、1人でエントリーしてみたり」。タイムトライアルのジムカーナレースにも参戦。「最初の5年間は怖いもの知らずでした(笑)」と振り返る。
もう1つの決断も。「自分たちらしく楽しく走れる場を作ろう!」と、サーキット仲間たちと2003年に誕生させたのが、走行会チーム「team六連星(チームロクレンセイ)」だ。山梨・韮崎のスポーツランドやまなしをホームコースとして、関東各地のサーキットで、四輪グリップ走行会を主催している。中村さんは走行会事務局を担っている。
ルーレット族への呼びかけ「なぜサーキットに走りに来ないのだろう?」
代表者と中村さんを含めてメンバーは9人。年8回の走行会を主催し、年齢層は20代から60代まで、多い時で150人が集まる。「走行会は主催者がコースを貸し切ります。普通自動車免許を持っていて、マイカーで乗ってくることができれば、ライセンス不要で、エキスパートの方から初心者まで誰でも参加できます。レベルごとのクラスに分かれて、計測器をクルマに取り付けてタイムを計るので自分の成長も実感できます。愛車をサーキットで走らせる充実感やクローズドコースを限界域で走る難しさ、同じ趣味を持つ仲間とつながる楽しさを知ってもらいたいと考えています」。走行会の魅力を語る言葉は尽きない。
サーキットで困ったことがあると、誰かが助けてくれる。そんな和やかで優しい人たちが集まるといい、「女性の1人参加、身体にハンデのある方、サーキットデビューの方にも寄り添って一緒に楽しみましょうというスタンスです」と笑顔を見せる。
一方で、胸を痛めていることもある。首都高を高速走行するルーレット族の事故だ。「一般車両を巻き込んだ悲惨な事故のニュースを目にするたびに、『なぜサーキットに走りに来ないのだろう? どうしたら参加できるのか分からないのかな?」と、考えてしまいます。峠道を走り回るローリング族も同じです。警察も対向車も歩行者もいない、サーキットのクローズドコースで思いっきり走れば楽しさ倍増なのに、と思います。公道でやってはいけない間違った遊び方をしている人たちに、『サーキットを一緒に走りませんか?』と呼びかけたいです」と切なる思いを訴える。
もう1台の相棒がいる。98年式のマツダ・NBロードスター。六連星の常連らで結成する耐久レースチームの出走車両だ。サーキット歴23年の蒔田研一さんが管理。中村さんは今年11月に行われる12時間耐久レースに、計5人の仲間と共に出場予定だ。
走行会の仲間は、クルマ愛にあふれる人たちばかりだ。黄色と青の目立つホンダS2000(05年式)をブイブイ走らせるのは、還暦を迎えた齋藤正人さん。もともと峠を走るのが好きで、40歳の時に友人の誘いでサーキットデビュー。ものの見事にハマった。こだわりの「オープンカーで速いスポーツカー」。走りを究めていくうちに、スポーツ医学や自動車産業を巡る歴史、果てまた科学分野を学ぶように。「機械が走るメカニズムを追っていくうちに、物理学に行きつきました。いろいろ自分で調べて学べて、向上心が刺激されます」と充実の表情。走行会が人生に豊かさをもたらしている。
六連星の“拠点”となっているスポーツランドやまなしの練習会。そこには、長女の真緒さんがロードスターのハンドルを握る姿があった。サーキットデビューして約4年、めきめきと上達を続けている。
人生を共に歩むトレノ 「最後は娘に託すかもしれません」
保育園児だった長男・長女2人の子を連れ、家族で関東各地のサーキットに通った。真緒さんは「ママと行く」と特にサーキット場に行きたがった。母の熱血DNAを引き継いだ真緒さんは、大人になって“覚醒”し、今ではサーキットの名物母娘として知られている。
家庭、仕事、走行会運営の“三足のわらじ”で人生を歩んできた。「もちろんきつい時もあります。仕事の締め日と走行会開催日が近いと、てんてこ舞いになってしまうこともあります」。今では2人の子どもは社会人となり、手が離れて余裕が出てきた。夫の理解にも助けられている。チームには代表、整備士、ウェブサイト担当など、得意分野の分業体制をとっており、みんなで一致団結して運営。活動21年目を迎えている。
チームの絆も深い。一緒にBBQに行ったり、結婚式に呼んでもらったり。こうした中で、青森・八戸から通っていた常連の男性仲間が病気で亡くなる悲しい出来事もあった。葬儀にも参列。「ずっと家族のように接していただき、ご自宅には私たちとの思い出の写真を飾っていただいています。定期的にお墓参りにも行かせていただくのですが、奥さまから『八戸のお母さんだと思って』と言っていただき、本当にありがたいと思っています」と実感を込める。
パワフルに獅子奮迅の活躍を見せる中村さん。40歳となった愛車トレノと歩む今後をどう見据えているのか。
「あっちこっち壊れてきていますが、心強いハチロク専門店の皆さんに直していただいています。私としては『なんとかして走らせてあげるからね』という思いです。免許返納まで乗ってるかもしれないな。最後は娘に託すかもしれません。とにかく、ずっと大事に乗っていきたいですね」。優しい目をしながら思いを語った。