行定勲監督「地方映画祭で革命を起こしたい」

『かぞくいろ ―RAILWAYS わたしたちの出発―』上映後のティーチインで、有村架純の聞き手を務める行定監督
『かぞくいろ ―RAILWAYS わたしたちの出発―』上映後のティーチインで、有村架純の聞き手を務める行定監督

「地震が起こったタイミングに熊本にいたことは自分の天命に思えた」

――2016年4月、地震当夜は熊本市内のホテルにいたんですよね。

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「ラジオの仕事があったので、毎月、必ず戻ってきてはいたんけども、それが必然に感じた。その時に県外にいたら、すぐに帰ることもできないし、映画祭も、ここまでやっただろうか、と思う。“天命を与えられた”と勝手に思い込めば、自分は映画を撮っていいんだとも思える。『うつくしいひと サバ?』(※2)は被災地で撮った。被災した方への配慮も必要とも言われたけれども、僕は撮るべきものを今、撮らないと後に残せないぞ、と使命のように感じていた。それを県民の人たちが観て、『いつも熊本のためにありがとうございます』とは言われるけども、『そうじゃないんだよ、これは俺の天命だから』と思っている。でも、『ありがとうございます』と言われると、そう思われることをしなきゃな、と思う」

――くまもと復興映画祭では、高良健吾さんや有村架純さんが主演するメジャーな作品を上映する一方、新人監督の作品もラインナップしていますね。

「これはまさに僕の映画のスタイル。メジャーはもちろん、インディーズ、短編、中国映画までやる。僕は映画の内容ではなく、まず、どういう状況で撮られたか、作る側の思想やきっかけは何かに興味ある。だから、上映後のティーチインでは、僕がこの映画のどこが面白かったか、熊本の人に観てもらいたい理由は何かを明確に説明する。それを観客の皆さんがすくい取ってくれればいいと思っている」

クロージングセレモニーで挨拶する行定監督(左)
クロージングセレモニーで挨拶する行定監督(左)

――開催中はほとんど寝る時間もなく、毎回、ティーチインに登壇するなど出番も多いですね。映画祭は大変では?

「寝てないで準備をしたり、正直、大変なことも多い。でも、映画が好きなんだと思う。映画を作っている時は内側から作っているが、映画祭をやる時は外側から作っている。他者の映画を外側から見るきっかけになっている。どういうコンセプトで作品を散らばらせて、観客に観せられれば、感動に導くことができるかを考える。準備の1か月は、なにか映画を作っているような感覚もある。毎回、同じことはない。どういう演出で見せるかを考える。僕は演劇もやるから、その融合体というような気がする。自分が映画監督をやっていく上で糧になるな、と思った」

――映画はよく総合芸術と言われるけども、映画祭はもっと総合的?

「メディア戦略も考えないといけない。チケットの出足が遅かったら、それを促すこともやっていった。オープニング作品の『洗骨』は、お客さんには響いたという手応えがあった。もし、熊本ではこれから一般上映となるが、熊本でヒットしたら、映画祭の力もあったんだと思う」

――「くまもと復興映画祭」から、「復興」の文字は取らないと決めたそうですが、どんな思いが?
 
「やがて、復興という言葉はなくなるかもしれないけども、熊本は『くまもと復興映画祭』という言葉があることで、2016年の地震を思い出せる。この地震があって、それを乗り越えた人たちがいたから、10年後、20年後の熊本がある、というようなものにしたい。この成功体験がみんなを奮い立たせたんだ、と。僕ら作り手がステージで返していく力も見てみたい。復興映画祭としてはまだ3年だが、毎年、力がどんどん大きくなっている。去年より笑顔も大きい。熊本には芸術はない、という人もいるが、町おこしのレベルとは違うものを感じてもらったはず。映画を通じて、熊本を表現したい」

(おわり)

※1 行定監督を始め、熊本にゆかりのある俳優、著名人が集まった「くまもと映画」プロジェクト第1弾。橋本愛、姜尚中氏、高良健吾、石田えりが出演。2015年10月に熊本城、水前寺公園、菊池渓谷、阿蘇山などでロケ。2016年の菊池映画祭で上映。

※2 プロジェクト第2弾。ありのままの熊本の今を写そうと、被害の大きかった熊本城、阿蘇大橋、阿蘇神社、益城町などでロケ。

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