アントニオ猪木の「生まれ変わりじゃないか」 死去から2年…元名物編集長が重ね合わせた女子プロレスラーとは
今月、“狂気のカリスマ”ジュリアが海を渡って世界最大のプロレス団体WWEへの挑戦を果たした。渡米前には初の自叙伝「My Dream」を上梓したが、これをプロデュースしたのが元『週刊ゴング』編集長でもあった、金沢克彦氏だった。実は金沢氏は“燃える闘魂”アントニオ猪木が亡くなった2年前の10月1日の夜にテレビ朝日で生放送された追悼特番にゲスト出演した人物でもある。そこで今回は金沢氏に、ジュリアとA猪木のつながりについて、持論を聞いた。
A猪木とジュリアの酷似する生き方
今月、“狂気のカリスマ”ジュリアが海を渡って世界最大のプロレス団体WWEへの挑戦を果たした。渡米前には初の自叙伝「My Dream」を上梓したが、これをプロデュースしたのが元『週刊ゴング』編集長でもあった、金沢克彦氏だった。実は金沢氏は“燃える闘魂”アントニオ猪木が亡くなった2年前の10月1日の夜にテレビ朝日で生放送された追悼特番にゲスト出演した人物でもある。そこで今回は金沢氏に、ジュリアとA猪木のつながりについて、持論を聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
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「似てるというか、彼女はA猪木の生まれ変わりじゃないかと思ってますよ。ジュリアこそ、A猪木そのものじゃないかって。二人ともほぼスポーツ経験なしですよ。猪木さんだって陸上競技を少しやっただけじゃないですか」
唐突ながら、金沢氏はジュリアとA猪木を類似どころか生まれ変わりと評した。しかも似ている、というならまだしも、生まれ変わりという見方は斬新すぎる。
「猪木さんは力道山にブラジルから日本に連れてこられて、最初は日系ブラジル人として売り出されて。(日本プロレス→東京プロレス→日本プロレスに出戻り→新日本プロレスと)団体を行ったり来たりでお騒がせして、ジュリアもまるでそっくりというか、そのまんまですよ」
日本人とイタリア人のハーフとしてロンドンで生まれたジュリアも、デビューしてからここまで、アイスリボン→スターダム→マリーゴールド→WWE(NXT)と団体を転々としながら、その都度、業界内にお騒がせ騒動を展開させてきた。
他にもある。
「猪木さんの誕生日は2月20日だけど、ジュリアは2月21日生まれと、微妙にかすっている。ちょっと調べてみて、これ時差があって、もしかしたら20日生まれじゃないかと思ったけど、英国時間で2月21日生まれってことは、日本時間だと同日か22日だなって。1日違いっていうのも、おもしろい。猪木さんの誕生日の翌日に、彼女はこの世に生を受けたわけじゃないですか」
多少こじつけはあっても、金沢氏の迫力が加わると、もしかしたら……と思えなくないわけではなくなってきた。
「とにかくA猪木の魅力ってカッコいいことじゃないですか。誰がみてもカッコいい。ジュリアの入場パフォ―マンスやコスチュームのカッコよさは、すでにWWEのスーパースターに遜色ないものがあった。そういう面でも、ジュリアを見ているといつからかA猪木に被ってきたんですよ」
たしかにビジュアルに関していえば、両者共に人を惹きつけるものがある。そこは激しく同意だ。
「しかも猪木さんが亡くなった日(2022年10月1日)、彼女はスターダムの『5★STAR GP 2022』で優勝しているんですよね。僕はその日、調布の会場(武蔵野の森総合スポーツプラザ)にクルマで行こうと思って、駐車場からクルマを出している時に、テレビ朝日の松本仁司さんから電話が来て。今、松本さんは新日本プロレスの社長室長をやられているんですけど、その日の夜の『サタデーステーション特番』の2時間枠を全部、A猪木特集に変えますと。『そこにコメンテーターとして出演願えませんか?』って言われて、スターダムの会場に行くのは諦めたんです」
A猪木がいなかったら今の自分は存在しない
正直に言えば、金沢氏とA猪木の接点はあまり感じられない。『週刊ゴング』の全盛時代には、長州力や闘魂三銃士(橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋)に近いイメージがあったからだ。実際、「A猪木へのインタビューは生涯3度だけ」と聞いたが、元々は「A猪木VSウイリー・ウイリアムス戦(1980年2月27日、蔵前国技館)に合わせて、地元の帯広から東京に大学受験に来ましたからね」というほどの猪木信者だった時期もある。そしてその際には5万円(当時)の最前列席で観戦したというから、なかなかの強者である。
そんな金沢氏がA猪木死去の一報を見聞きした際にはどんな心境だったのか。
「猪木さんが入退院を繰り返していたことは知っていたし、亡くなる少し前から、そろそろ近いなってみんな感じていたじゃないですか。だから一報を聞いた時はまいったなって思いましたよね。だってA猪木がいなかったら今の自分は存在しないし、こういう仕事に就こうと思いもしない。そういう人が、この世界には割といるんですよ。それと昭和が終わっちゃったなっていう感覚はすごくありましたよね」(金沢氏)
前述通り、金沢氏はその日の夜、「追悼特番」に出演することになる。
「あの番組は『サタデーステーション』と『ワールドプロレスリング』のスタッフが合体して制作したんです。テレ朝にはA猪木の映像は膨大にありますからね。スタジオに入って、まず『サタステ』のディレクターと進行台本を見ながら打ち合わせをした。『実質、スタジオの喋りの部分は10分あるかないかだと思います。そのなかで、どんどんぶつけていってください。お任せします』っていう感じで言われて。でも、正直に言えば、僕はどういうふうな雰囲気で話せばいいのか分からなかったんです」
金沢氏は2021年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会まで、約19年間、新日本のテレビ中継の解説者を務めていた。現場には当然、顔見知りの歴代プロデュサーが数名いた。そこで金沢氏は率直に質問をした。
「この番組全体の雰囲気を考えたとき、僕はどういう感じのしゃべり、どんな話の内容でいけばいいですかね?」
すると旧知の間柄だった新旧プロデュサーの両名は、同じ答えを返してきたという。
「『明るく行きましょう。猪木さんは明るい人だったからジメジメしたのはヤメましょう』って。『かと言って、爆笑はよくないかなあ……。でも、成り行きでそうなたらしょうがないですから』みたいな感じで、『猪木さんの話を湿っぽくしてもしょうがいないからそれでいきましょうよ』って。だから自然体で行けましたよね」
番組はそれまでの予定を急遽変更して放送される。内容が変わったことも、緊急特番の性質上、見た人にしか分からない。
「だから見ている人にどれだけA猪木が偉大な人物であるかを、具体例をあげて必死に伝える以外はないなあと思ったんですよね」
番組終了後、まさかのケンドー・カシンから連絡が
特番のゲストには金沢氏以外に、A猪木の弟子である武藤敬司がいた。
「武藤ちゃんはああいう性格だから不意に面白いことを言ったりするじゃないですか。そこに僕も乗っかったりしたんで、スタジオの袖のほうで笑いが起きたりしてたんですけど、旧知の『ワープロ』スタッフをチラッと見たら、『それでいいんですよ』みたいな感じで大きくうなずいてくれているんです。そのまま行ってください、みたいに。それと同じVTRが何度か流れている間、コメンテーター席で武藤ちゃんとバカ話をしていましたね。昔の笑い話。あのとき猪木さんは、とか。やっぱり橋本真也がさあって」
特番の司会は元フジテレビで現在はフリーの高島彩アナウンサーが務めていたが、「彼女は明るくて、すごくプロレスが好きなんですよね。だからVTRが流れている間は、彼女が寄ってきて、僕と武藤ちゃんの話を聞きながら笑い出すんです。二人で掛け合い漫才みたいなことをやっているから。『それからどうなったんですか?』みたいにね。もちろんカメラが降りれば即、アナウンサーの顔になりますけどね」。
どちらかというと和気藹々とした雰囲気の中、無事に2時間の特番が終了した。
「僕としては、なんとか務めは果たせたかなと。猪木さんを明るく送り出すっていうね。なぜかっていうと翌日、(猪木の弟子で、業界随一の偏屈者として知られる)ケンドー・カシンから『金沢さん、すごくよかったよ』ってメールがありましたから。それが来ただけで、カシンが認めてくれたんだからOKだろうって思いましたね」
ちなみに金沢氏は、本来なら取材に出向くはずの「5★STAR GP」の試合映像を、後からPPVで確認した。
印象に残ったのは、ジュリアがリーグ戦の最終試合で鈴季すずと引き分けて勝ち点を伸ばし、トップに進出。中野たむとの優勝決定戦を前に、レポーターだったレイザーラモンRGの取材を受けた際のやりとりだった。
RG「先ほどの試合のダメージがあると思うんですが?」
ジュリア「ダメージ? あるに決まってんだろ!」
RG「大丈夫なんでしょうか?」
ジュリア「大丈夫に決まってんだよ!」
RG「意気込みをお願いします」
ジュリア「たむ、会いたかったよ!」
「これを見ていて、まさにA猪木じゃん、と思ってね。猪木さんは『出る前から負けることを考えるヤツがいるかよ。出てけ!』って言いましたけど、あの光景とジュリアがまたダブりましたね」
実際、いつだったかジュリアに「A猪木そっくりだよ」と伝えたことはあった。
「当然、本人はまったくピンと来ていませんでしたけどね。『ちょっとアゴ、出てきましたか?』とか言って笑っていてね。世代が違いすぎてそうなっちゃいますよね。だけど僕は、単に殺気にあふれているとかそういうことじゃなくて、彼女の生い立ちを含め、全然他の人とは違う育ち方をしてきたこととかすべてを考えた時に、やっぱりジュリアってA猪木の生まれ変わりかもしれないなって感じるんですよね」
(一部敬称略)