小野みゆき、独自の仕事論を語る「役者の仕事というのは、オファーを待つべき」
還暦を迎えた小野みゆきが実感「自分が還暦を迎えるとは思いません」
――本作の撮影期間はどれくらいですか?
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「2週間くらいだったでしょうか。一泊したことはありましたが、私は行って帰ってきて、という感じ。製作費はないから日帰りばかり。ロケバスに乗っていきましたね。自分の車も出さなかった。私が車を出したら、駐車場代なども出さないといけない。それはかわいそうだからと思って、私は『ロケバスで行きます』と言いました。アフレコもありまして、『お車でいらっしゃいますか』と聞かれたんですけど、駐車場代を払わせたくないから、『電車で行きます』と言いました。場所は赤坂だったし、お金もかかっちゃうな、と。そういうふうに思いません? 私、ちゃんと途中で子育てしているから、よく電車に乗っているわけですよ。だから『大丈夫です』と」
――まさに主婦感覚ですね。撮影は順調でしたか?
「撮影当日、エキストラさんが来なかったことがありました。ちょっと手違いがあって、連絡が遅れてしまったみたいです。その日の現場は、結構な山奥、埼玉の外れの方でした。4人のオババの役が必要なのに、1人しか来ていなかったんです。そうしたら、メークさんがご自分のお友達にお電話して、池袋でお買い物していたお母さんが現場にやってきたんです。その時のことは強烈に覚えていますね。後は、もしかしたら、私が代わりにセリフを言うこともあるかなと思って、覚えようともしました。というのも、その日はいわゆるケツカッチンで、撮りきれなかったら、また山奥まで撮りに来ないといけない。そんなこともあって、私は俳優部だけではなく、半分、制作部という意識がありましたね」
――すごいですね。女優さんがそこまで現場を気遣うとは。
「でも、それは昔からですね。本当に時間がないこともわかっているし、さりげなく手伝っているほうが滞りなく進むものです。昔は、助監督が遅れてやってきて、カチンコを忘れてきたということもありました。現場では、どんなことがあるかわからないし、トラブルはつきものです。だから、なるべく余裕がある人が準備をする。私が出るだけじゃないんだよ、という癖がついているんです」
――去年、還暦を迎えましたが、どんな心境ですか?
「自分が還暦を迎えるとは思いませんでした。ここまで生きていることすら、わからなかったですよ。60歳といえば、昔はとてつもないババアだと思ってましたしね。若い時には、そんな女優さんもいなかった。あと、年齢がわからないから、知らなかったんでしょうね。みなさん、きれいなままで年をとらなかったみたいな女優さんが多かったんでしょう。オババができますよ、というような女優さんはいなかったんじゃないかな」
――今後は女優業を積極的にやりたいと考えていますか?
「いや。前から、積極的にやっていきたいなと思ったことが1度もないんです。だから、いつも『欲がない』って怒られてしまう。役者の仕事というのは、(オファーを)待つべきものなんだと思います。それは変えてはいけない。ただ、出たくないという意味ではないんです。仕事を選んでいるわけじゃない。仕事は事務所に選んでもらえばいいと思っています」
(終わり)
□小野みゆき(おの・みゆき)1959年11月17日生まれ。静岡県出身。1979年、資生堂サマーキャンペーン「ナツコの夏」でデビュー。主な出演作に「トラック野郎 熱風5000キロ」(鈴木則文監督)、「戦国自衛隊」(斉藤耕正監督)、「あぶない刑事」(長谷部安春監督)、「ブラック・レイン」(リドリー・スコット監督)、「ハサミ男」(池田敏春監督)などがある。
ヘアメイク:林美穂