世界最長の料理番組『きょうの料理』存続の危機あった 料理サイト台頭も乗り越えられたワケ

NHK『きょうの料理』のプロデューサー、矢内真由美さんが初めて映画プロデューサーを務めたのが、『天のしずく 辰巳芳子いのちのスープ』(2012年)だ。料理研究家の第一人者、辰巳芳子(99)を追ったもので、長寿の偉人たちを描く河邑厚徳監督のドキュメンタリー3作品を集めた敬老週間特集上映「勇気をくれる伝説の人間記録」(9月10日~23日まで ※9月17日を除く、東京都写真美術館ホール)で上映される。矢内さんが、映画と『きょうの料理』の舞台ウラを明かした。

インタビューに応じた矢内真由美さん【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューに応じた矢内真由美さん【写真:ENCOUNT編集部】

99歳の料理研究家・辰巳芳子さんの素顔と長寿の秘けつ

 NHK『きょうの料理』のプロデューサー、矢内真由美さんが初めて映画プロデューサーを務めたのが、『天のしずく 辰巳芳子いのちのスープ』(2012年)だ。料理研究家の第一人者、辰巳芳子(99)を追ったもので、長寿の偉人たちを描く河邑厚徳監督のドキュメンタリー3作品を集めた敬老週間特集上映「勇気をくれる伝説の人間記録」(9月10日~23日まで ※9月17日を除く、東京都写真美術館ホール)で上映される。矢内さんが、映画と『きょうの料理』の舞台ウラを明かした。(取材・文=平辻哲也)

『天のしずく』は、09年の年末、NHK放送文化賞を受賞した辰巳さんの一言「私、まだやり足りないのよ。矢内ちゃん、何か考えて」がきっかけだった。辰巳さんは嚥下困難になった父の介護をきっかけに「いのちのスープ」作りを研究し、その普及に努めてきた。

 矢内さんは帯広シティーケーブルを経て、1992年にNHKエデュケーショナルに入社。以来、34年間、ディレクター、プロデューサーとして『きょうの料理』を担当している。

「辰巳さんには何度も出演していただいたので、料理番組としてはその世界を描ききったと思っていました。だから、大きな宿題をもらったという感覚でした。思い悩んでいる時に、監督の河邑さんから『辰巳さんの思いを実現するには映画しかない』と言われたんです。それを辰巳さんに伝えたら、『あら、いいじゃない』と軽く言われ、背中を押されたんです」

 撮影は2011年4月にスタートし、約1年半、密着。映画では、辰巳さんの生い立ちからこれまでをつづり、主宰するスープ教室の様子、東日本大震災の被災地への支援、ハンセン病療養所長島愛生園(岡山)に入所している宮崎かづゑさんとの交流などが描かれる。映画では、草笛光子が朗読、谷原章介が語りを務めている。

「辰巳さんと同年代の宮崎さんから手紙が届いたことが大きかったです。宮崎さんは『きょうの料理』の辰巳さんの出演回を見ていて、嚥下困難な友人のためにスープを作ったんです。その御礼の手紙を読んだ辰巳さんは『宮崎さんは私の仕上げをやってくれた』と喜び、岡山にいる宮崎さんのところまで会いに行きました。この場面が撮れたことで、映画になると思えました」

『天のしずく』は12年に一般公開され、さらには自主上映という形で広がり、サン・セバスティアン、ワルシャワ、ブダペストなど海外の映画祭、ミラノ万博などでも上映されている。「リバイバル上映は素直にうれしいです。時間が経っても色褪せないものがあると肌で感じます」。

 辰巳さんは12月には100歳の誕生日を迎える。

「映画にも出てくる一番弟子の対馬千賀子さんがスープを作って持っていったりして、肌つやもよくお元気でいらっしゃると聞いています。99歳でお元気なのは、これまで何を食べてきたのか、というのが大きいと思います。今回の上映も、『たくさんの人に見てもらってちょうだい』と託されました」

 辰巳さんはどんな人か。

「言葉を大切にし、言葉が美しい人です。映画にあたって、先生からは『生きることは愛すること。そこを描いてください。それから、湯気の向こうにある、実存的使命を描いてください』。そして、『私を追わないで』と言われました(笑)。辰巳さんの映画を撮るのに、追わないのは無理。見えるものの向こうを描くのは、テレビ番組を作る者にとっては1番難しい。辰巳さんの世界は井戸のように深いので、どこを切り取るかは、監督も私も悩みました」

 印象的な言葉はたくさんあるが、自身の人生と重なったのは「平凡を重ねていると非凡になる」という言葉だった。

「私たちの1日1日は、本当に些末なことの積み重ねだと思います。私の場合、毎日、朝昼晩とご飯を作って、食べて、片付けて、そして仕事をして、子どもの面倒を見て、親の面倒を見て……その日常の積み重ねがいつか非凡になる。この言葉には、ものすごい大きな勇気と希望をもらい、私が前に進んでいく力になりました」

視聴者も驚く66年間変わらぬ丁寧な仕事ぶり

 この言葉を仕事で具現化したのが、『きょうの料理』だった。1954年11月4日放送開始。22年11月にギネス世界記録(放送回数約1万5500回)に認定された。放送はEテレで月~水曜午後9時からの24分間(再放送Eテレ=火・水・翌月曜 午前11時30分、総合=木曜 午前11時05分)。ほぼ週2回、スタジオ収録している。

「NHKの中でも、本当に小さな番組です。予算も少ないし、誰も振り向かないようなポジションにあったのに、世界が評価してくれた。連絡が来たときは周りがびっくりして、続ける尊さを感じました。しかも、奇をてらわない番組です。演出もテーマ音楽も変わらない、料理を紹介するだけ。それが結果としてテレビ料理番組の世界最長放送になったのですから」

 23年11月には初めて番組の舞台ウラを見せる特番『65年続けたらギネス世界記録に認定されましたSP』も放送されている。そのていねいな仕事ぶりに、驚いた視聴者も多かった。

「番組に先行してテキストを作るので、企画(料理)を決めるのは6か月前です。最初に企画、料理、講師を決めます。本番の前には、“試作さん”と呼ばれる裏方のフードコーディネーター(5人ほどが担当)が実際に作ってから、レシピ通りに作れるのか、作り方は安全かをチェックしてから、実際に料理を撮影します。番組ディレクターはテキスト撮影の様子を取材して、文字化されたテキストが間違っていないかをチェックして、番組の台本を書きます。収録は完プロ(完全プログラムパッケージ)という撮り方で一切編集しません。それを66年前からずっと続けています」

 この長寿番組も何度か、存続の危機もあったのだという。

「2000年代初めの頃は、クックパッド、クラシルといった料理サイトが出てきて、『きょうの料理』は必要なのかと言われました。そこを乗り越えられたのは、料理の物語を伝えることができたから、だと思っています」

 番組で作った料理はスタッフで食しているそうで、まさに“おいしい仕事”。ところで、矢内さんの料理の腕前はいかに?

「和・洋・中なんでも作ります。特にディレクターになった当初は、収録の前に全部自分で作ってから、台本を書いていました。例えば、テキストでは『煮詰める』と書いてあるだけですが、どう煮詰めるのかは、実際にやってみないと分からない。講師にも、『とろみが出るまで』とか、ポイントになる部分は言葉で言ってください、と伝えるんです。そうやって、料理を作っていったので、自然と料理ができるようになりました」

 矢内さんは62歳。あと半年で定年を迎えるが、今後も『きょうの料理』に関わっていく。

「『きょうの料理』は、みなさんの記憶のどこかに残っている稀有な長寿番組です。みなさん、たとえ番組の中身は忘れても、黒豆や肉じゃがの味を覚えている。そこが食というものが深く、豊かなところと思います」。長寿の秘けつは食にあり。9月16日の敬老の日を機に、料理と食生活を見直すのもよいかもしれない。

※宮崎さんの崎は正式には「たつさき」。

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