暴力団の襲撃で右目失明 “隻眼の画家”が81歳で米国進出「命懸けで描いていると『見えている』感覚に」
取材のきっかけは、知人の自宅に飾られていた1枚の絵だった。赤、黄、青の3色を使い、力強いタッチで描かれた作品。その迫力に言葉を失っていると、知人は言った。「実はこれを描いた方、片目が見えないんですよ」。作者は番洋(ばん・ひろし)さん(81)だった。警察官を退職後、暴力団員による襲撃で右目の視力を失いながら、絵を描き続けてきた「隻眼の画家」だ。私はその生きざまを知りたくなり、取材を申し込んだ。
28歳で警察官を辞した後に
取材のきっかけは、知人の自宅に飾られていた1枚の絵だった。赤、黄、青の3色を使い、力強いタッチで描かれた作品。その迫力に言葉を失っていると、知人は言った。「実はこれを描いた方、片目が見えないんですよ」。作者は番洋(ばん・ひろし)さん(81)だった。警察官を退職後、暴力団員による襲撃で右目の視力を失いながら、絵を描き続けてきた「隻眼の画家」だ。私はその生きざまを知りたくなり、取材を申し込んだ。(取材・文=白川ちひろ)
番洋さんは、絵を描くようになったきっかけから話し始めた。
「かつて私は警察官でした。対暴力団課・通称『マルボウ』にいました。死と隣り合わせの毎日で重圧を感じる中、趣味で描いていた絵に活路を見出しました。自分自身の心を保つため、一心不乱に絵を描き出したのがきっかけです」
警察官の職は28歳で辞した。だが、退職後に恨みを持つ暴力団員に襲撃に合い、右目を失明。その後、「これから何ができるのだろうか」と自問自答する中で、「残されているものは絵だけだ」と悟り、プロの画家になる決意を固めた。だが、隻眼の状態。番さんいわく、そのハンデを集中力で補ってきたという。
「毎作品、『これを完成させないと死ぬ』という命を懸ける思いで作品に取り掛かっています。並々ならぬ集中力を発揮するので、一種のトランス状態となっているのでしょうか。見えていないはずの片目がなぜか『見えている』ような感覚に陥るんです。その瞬間、瞬間に見えていないはずの『何か』が見え、その連続で絵が完成するんですね。初期から油絵を続けていましたが、ここ20年はアクリル、スプレー、墨汁などのミクストメディアで描いています」
練習のための物を含めると、積み上げた作品は1000点以上。そんな番さんを応援するべく、2022年9月には、ある企業がクラウドファンディングを提案し、実施された。「隻眼の画家」の存在が広がり、開始10時間で目標金額の200万円を達成。最終的に400万円近くの支援金が集まった。
「とてもありがたいことです。支援者のリターンには、直筆の色紙やアートの他、『番洋がふてくされてお礼を言う動画』などユニークなものもありました。実はそちらが一番人気で多くの方にご購入していただきました」
「アートの力で明るい話題を世界へ」
今年7月11日から14日にかけて、米バージニア州ハンプトンで行われたアートフェアに出品。「隻眼の画家」による出品は、現地でもニュースとして報じられた。
「米国内の国際ファインアートフェアとしては最大級とも言われる展覧会でした。私にとっては、初のアメリカ進出でした。この機会に抽象画を3点出しました。お陰さまで来場者の多くの方々に関心を持っていただき、多くのギャラリストからも次のアートフェアやギャラリー展示の声をおかけいただきました」
「生涯、描く」をテーマとしている番さん。今後の目標を聞くと、「コロナや戦争など、暗いニュースが続いていますが、アートの力で明るい話題を世界へ届けていきたいです」と言った。
81歳で体が思うように動かない日もある。だが、その創作意欲は健在。再び海を渡るべく、集中力を発揮して作品を増やしていく。
□番洋(ばん・ひろし) 1943年7月25日生まれ。石川・金沢市生まれ。警察官を退職後、襲撃により、片目を失明。その後、警察官時代から描いていた洋画が注目され、「隻眼の画家」として話題に。これまで50以上もの賞を受賞し、海外からも高い評価を得ている。2022年9月にはクラウドファンディングを立ちあがり、異例の早さで200万円もの目標金額を達成。今年7月には、米バージニア州ハンプトンで行われた「Hampton Fine Art Fair2024」に作品を展示し、米国に初進出。血液型AB。