「コロナ禍での公開は必然だった」 実力派・小林竜樹が東日本大震災描いた初主演作に胸中
鬼才・園子温監督の「恋の罪」で鮮烈な映画デビューを飾った小林竜樹が初主演を果たしたのが、「横須賀綺譚」(大塚信一監督、東京・新宿のK's cinemaでレイト公開中)だ。東日本大震災から9年後、被災地で死んだと思われたかつての恋人(しじみ)が生きているとの情報を得た主人公、春樹が横須賀に出向き、初めて恋人、過去、自分自身と向き合う……というストーリー。若手実力派が東日本大震災で感じたこと、新型コロナウイルス禍での表現者としての思いを語った。
“和製アダム・ドライバー”俳優・小林竜樹 初主演作「横須賀綺譚」リモートインタビュー
鬼才・園子温監督の「恋の罪」で鮮烈な映画デビューを飾った小林竜樹が初主演を果たしたのが、「横須賀綺譚」(大塚信一監督、東京・新宿のK’s cinemaでレイト公開中)だ。東日本大震災から9年後、被災地で死んだと思われたかつての恋人(しじみ)が生きているとの情報を得た主人公、春樹が横須賀に出向き、初めて恋人、過去、自分自身と向き合う……というストーリー。若手実力派が東日本大震災で感じたこと、新型コロナウイルス禍での表現者としての思いを語った。
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――出演の経緯を教えていただけますか?
「この企画はもともと大塚監督が(『SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018』国内コンペティション長編部門優秀作品賞、観客賞W受賞『岬の兄妹』の)松浦祐也さん主演で進んでいたんです。年数がたつうちに松浦さんも年を取ってしまい、イメージが変わってしまった。そんな時に、松浦さんが『小林竜樹でどう?』と言ってくれたんです。企画書には『人は過去のつらい出来事を忘れたい。でも、忘れられない。それでも、忘れないと生きていけない。だから、時に人は記憶を改ざんする。昨今のフェイクニュースは、人間の本質に根ざしたものじゃないか』と書いてあったんです。僕も、事件や物事の風化はあまりにも早すぎると感じていたんです。僕自身、身の周りで起こったことに対する、その時に感じた匂いや音、感情などをノートに書き出すようにしていた時期だったので、ぜひこの作品をやりたいと思いました」
――初主演作です。気持ちの入り方は違いましたか?
「意識しなかったです。物語を引っ張っていく役ではありますが、しじみさん、川瀬陽太さんの役の物語も同時進行していくような形ではあったので。それに、古い知り合いである川瀬さんや、俳優の大先輩の長内(美那子)さんが現場にいらっしゃったので、助けられた部分もたくさんありましたし、自分が主役として引っ張っていくような現場ではありませんでした」
――主人公の春樹は証券マン。恋人との生活よりも仕事を選び、それが結果的に震災時の不幸な出来事にもつながってしまう。春樹はどんな男でしょうか?
「春樹は劇中、しじみさん演じる恋人に『この人には愛がない』と言われます。実際に、愛がないわけではないと思っていますが、震災では物理的な影響を受けたわけではなく、まずは自分の生活が大事だと思っています。ただ、そういう部分は誰しもが持っているんじゃないかと思っています。僕自身も、そうじゃないように生きようと思っていても、切羽詰まった時には、やっぱり、自分のエゴが一番になってしまいます。で、何かを失ったときに初めてちょっと気付き、深く考え始めるものだと思います。そういった、人間のある種、軽薄な部分を春樹を通して見せられたらな、と思いました」
――東日本大震災当時、小林さんは何をしていましたか?
「僕は当時、五反田で岩松了さん演出の舞台の稽古をしていました。地下だったんですけど、ものすごく揺れ、慌てて地上に上がりました。オフィス街のビルもすごく揺れているし、僕たちがいたビルのガラスが割れ、看板も落ちてきた。その様子は衝撃的でした。帰宅難民になってしまい、下北沢の当時の自宅まで歩いて帰りました。しばらくは震災を考えない日はなかったけども、実際に被災地に行ったのは何年か後でした。ボランティアをしていた友人について、気仙沼、女川、南三陸を見て回ったんです」
――震災は人生の転機になりましたか?
「原体験は僕が小学生の時に起こった9・11の米国同時多発テロだったと思います。テレビで見たときは、ものすごく衝撃を受けたのですけれども、そこから、僕の人生には何も関係なく、過ごしてきて、18歳の時に初めてニューヨークで『グラウンド・ゼロ』を見ました。まっさらな土地で、何事もなかったかのように新しい建物が建っているのを見た時に、ここで暮らしている人たちは、すごく葛藤しながら、生きてきただろうに、今の自分は全然関係なく生きている。それは被災地を見た時も同じような感情を持ちました。自分は何か行動できたのか、情けないな、と。劇中の春樹と同じような思いを持ちました」
――大塚監督は「太陽を盗んだ男」の長谷川和彦監督に師事し、20年間、ラーメン店店員として勤務しながら、映画制作を目指し、これがデビュー作。異色のキャリアの持ち主ですが、どんな現場でしたか?
「大塚さんは20代の頃、5~6年、長谷川監督の脚本執筆のお手伝いをされていたそうですが、助監督など現場経験がある方ではなかったんです。撮影では、長くやられているスタッフ、キャストが支えていきました。大塚さんは、毎回毎シーン、心の内にあるものを僕らに伝え続けてくれ、気持ちの部分はすごく伝わってきました。だからこそ、川瀬さんも『現場がグダグダだ。ふざけんな』と言いながら(笑)、いろいろなアクシデントも起こりながら、出演者は監督の期待に応えたいと思っていました」
――監督補には『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督がいました。上田さんはどんなサポートを?
「上田さんは大塚さんが切羽詰まったり、役者陣もピリピリしたりしていると、『監督、頑張りましょう!』と柔らかく言ってくださり、テキパキと動いてくれ、俳優陣は本当に助かりました。撮影の終盤、制作部のスタッフから、『上田さんの映画、面白いんですよ』と言われ、チケットを買わせていただきました。それ以前に上田さんの作品も観たこともなかったので、観に行こうと思っていたら、あれよあれよという間に話題になっていて、ビックリしました」