音楽活動のために長野から上京→東京女子プロレスで初グランドスラム デビュー10周年・辰巳リカのレスラー人生
音楽活動のために長野から上京した彼女は、いつの間にか業界を代表するテクニシャンと呼ばれていた。辰巳リカ、東京女子プロレス初のグランドスラム(同団体が管轄する3つのベルトを戴冠)を達成した女子プロレスラーだ。しかし彼女は「ベルトには縁がない」と思っていた。デビュー10周年を迎えた今、彼女のレスラー人生を振り返ってもらった。
プロレス初観戦でどんどん惹かれていきデビューを直談判
音楽活動のために長野から上京した彼女は、いつの間にか業界を代表するテクニシャンと呼ばれていた。辰巳リカ、東京女子プロレス初のグランドスラム(同団体が管轄する3つのベルトを戴冠)を達成した女子プロレスラーだ。しかし彼女は「ベルトには縁がない」と思っていた。デビュー10周年を迎えた今、彼女のレスラー人生を振り返ってもらった。(取材・文=橋場了吾)
辰巳がもともと上京してきたのは、音楽グループのオーディションがきっかけだった。
「オーディションがなければ、東京には来なかったと思いますし、プロレスを知ることもなかったかなと思います。長野にいるときは、バラエティ番組でレジェンド選手を見たことがあるくらいで、試合はまったく見たことはありませんでした」
しかし、その音楽グループ・DPGのメンバーになぜかプロレスラーがいた。
「オーディション自体も『新グループ旗揚げ』みたいな感じで、審査員にも男色ディーノ選手がいて。DDTと一緒にやっていくことはズブズブな状況だったんですが(笑)、私の好きな神聖かまってちゃんのプロデューサーがいるなど、プロレス以外の部分の募集要項に惹かれてオーディションを受けたのが最初ですね」
DPGの活動がスタートしたのは2013年。活動が始まってすぐに、メンバーの応援のためにDDT・新木場1stRING大会を観戦することになった辰巳。そこから運命の歯車が急激に動き出す。
「最初は(ルールなど)全く訳がわからなかったんですけど(笑)、音楽との親和性を感じて。入場曲や紙テープのカラーリング、コスチュームもそれぞれの色があって、アイドルとロック好きの私には凄い熱量を感じてプロレスに惹かれていきましたね」
同時期にDPGに所属していたのがユカ・サカザキ(現・坂崎ユカ)。メンバーの中で芸能経験がなくDPGに加入したのは二人だけで、疎外感があったという。
「私達2人(辰巳と坂崎)だけが本当にド素人のメンバーで、何も武器がない状態だったんです。チラシ配布ばかりやっている日々で。私は『ケンドー・リリコ』という名前で、キューティー鈴木さんのような白の衣装にケンドー・カシン選手のようなマスクを付けた姿だったのですが、プロレスを全く知らない。でもどんどんプロレスに惹かれていって、ユカちゃんからも一緒にプロレスをやろうと誘ってもらって。8月のDDTのビアガーデンプロレスで大社長を捕まえて直談判をしました」
怪我に悩まされるもついにベルトを獲得
2014年1月に「ケンドー・リリコ」名義でデビューするも、数戦してケガで長期欠場することに。翌15年6月に「辰巳リカ」に改名し復帰。本名の「りか」から、髙木がおニャン子クラブの立見里歌さんからもじった形で命名したリングネームだったが、このリングネームが彼女にプロレスラーとしてのキャラクターを与えることになる。
「私的にはリングネームにそこまでこだわりがなかったというか、元の名前から変わったとしても、自分自身の軸がしっかりしていれば問題ないという考えだったので。当時から男子レスラーのドラゴンはいっぱいいたんですけど、女子レスラーのドラゴンはいないなと思って。そのキャラクターならなれるかもしれないという希望を持って、それまで使っていたヒップアタックに加えて藤波(辰爾)さんの技を使い始めました」
本人は「自分は強い選手じゃないから、ベルトには縁がない」と思っていたという。
「もちろん誰にも負けたくない気持ちはあったんですけど、私はそんなに強い選手じゃなかったので縁がないだろうなと。私が怪我している間にユカちゃんはどんどん団体を引っ張るような選手になっていって。ただそのユカちゃんにシングルに勝って、ベルトに挑戦しようという気持ちになりました」
初のタイトル挑戦は16年10月。優宇が保持していたTOKYOプリンセス・オブ・プリンセス王座(当時の名称)に挑むも、惜敗した。その後もシングル王座にはなかなか手が届かなかったが、19年11月にTOKYOプリンセスタッグ王座(当時の名称)を獲得。パートナーは「白昼夢」というタッグ名で活動している渡辺未詩だった。
「そのときはまだ未詩はデビューして2年経たないくらいでしたし、タッグを組んでからもまだ日が浅かったので、自分が引っ張っていかなきゃという気持ちが強かったです。気がついたら、団体一の古参タッグになりましたね(笑)」
気がつくとデビューから5年が経っていた。しかしここから、辰巳は団体初のグランドスラムを達成することになる。
(5日掲載の後編へ続く)