スタン・ハンセン、「鶴田有利」記事に怒り 気づいたらブルロープで宙を舞っていた
猪木を、馬場を、鶴田を、豪快なウエスタンラリアートでなぎ倒し、日本で大成功したレスラーの1人として、その名を残した「不沈艦」スタン・ハンセン。「ブレーキの壊れたダンプカー」ファイトで一時代を築き上げた。
ファンクスとは対照的な性格「ランチは正午」
猪木を、馬場を、鶴田を、豪快なウエスタンラリアートでなぎ倒し、日本で大成功したレスラーの1人として、その名を残した「不沈艦」スタン・ハンセン。「ブレーキの壊れたダンプカー」ファイトで一時代を築き上げた。
ところが、いったんリングを離れると、意外にも几帳面で気配りができ、茶目っ気も兼ね備えた男だった。
学生時代はアメリカンフットボールで活躍し、NFL入りしているハンセン。ケガのためプロでは思うようなプレーはできなかったが、チームプレーを第一にしていた男は、時間には厳しかった。
「ランチは正午」と頑なで、日本でのサーキット中も「午後0時にランチを食べる」と決めていた。外国人移動バスのドライバーは、ハンセンが乗車していると、正午には、高速道路のサービスエリアで休憩できるように、時間と距離を計算して運転していた。
かたや、ドリーとテリーのファンクスはテキサスの男たちらしく、すべてが鷹揚。何事もゆったりと行動するのが常だ。
成田空港に来日した時も、サーキット中も、最後にバスに乗り込むのはいつもファンクス。荷物を手に、急ぐでもない。先に乗り込んでいる他の選手の中には、いら立ちを隠せない者も出てくるのは仕方のないところ。さしものファンクスも「ソーリー(申し訳ない)」と、謝るのだが、そのマイペースな行動パターンは揺るがなかった。
時おり、険悪なムードが流れる中、ファンクスの荷物運びを手伝い、少しでも早く出発できるようにしていたのが、ハンセンだった。
ファンクスはハンセンの師匠。テキサス州アマリロのファンク道場でプロレスのイロハを教わった恩人だ。リングで対戦する時は、遠慮なくボコボコにしていたが、普段は先輩への敬意を忘れず、お手伝いできるのがハンセンだった。
シリーズが終了すると、先を競い合うようにして帰国していった外国人選手たち。アメリカでは家庭ファーストが当たり前。長く家を空けてしまうと、離婚されてしまうとあって、切実だ。
ところが、ハンセンはどっしりと構えていた。腰を据えて日本の文化を楽しんでいる。実は奥様が日本人。日本人のモノの捉え方なども、よく承知していた。
実際、日本のメディアが自分のことをどう取り上げているか、よく知っていた。ある日の熊本大会。試合後も大暴れするハンセンを横目に、会社に電話で報告していたのだが、ふと気づくと、すぐそばに来ていた。