RIZINのクラウドファンディングで見えたもの プロモーターには受難の時代か!?
RIZINに継承してもらいたい格闘技の「歴史」
ここで少し話が変わるが、最近、SNS上でも「格闘技」を語る人たちを散見する機会が増えた。それは那須川天心や堀口、朝倉兄弟をはじめ、昨今話題の女子格闘家の活躍もその数を増やす大きな要因になっているのだろう。だが、なぜかそうした方々のほとんどが訳知り顔で「格闘技」を語っているのに無類の違和感を覚える。それがファンならばまだしも、関係者でも平気で認識の不足した物言いをする方が存在している状況にこそ危機感を覚えてしまう。
あえて言わせてもらえば、その人たちは本当に「格闘技」を語っていると思っているのだろうか? 何を言っているのかと思うなかれ。是非ともそうした方々に確認してもらいたいのだ。シューティング(現・修斗)を創設したのは、新日本プロレス出身のプロレスラー、佐山聡(初代タイガーマスク)である。
パンクラスを立ち上げたのは、新日本プロレス出身のプロレスラー、船木誠勝と鈴木みのるである。朝倉兄弟を輩出したアウトサイダーは、新日本プロレス出身のプロレスラー、前田日明が主宰したリングである。そして佐山も、船木と鈴木も、前田も、元はアントニオ猪木の弟子だった男たちである。その弟子たちがつくったリングで育ったファイターが、現在、RIZINのリングで戦っているんだよと。
つまり、現在「格闘技」とカテゴライズされているものは、かつては「(新日本)プロレス」の一部として存在していたもの。さらに言えば、現在の「格闘技」に至る観賞用の戦いは、古代ギリシアや古代ローマの時代から存在するとされるもの。そんな時代にまで遡って語れるからこそ、人は勝った負けたと同等、もしくはそれ以上のロマンを「格闘技」に感じることができる。
もしもそういった事実や背景を知らずして「格闘技」を語っていたとしたら、それは「格闘技」を語ることにはならないのではないか。言ってしまえば、古代文明時代の話や先述した力道山、猪木VSアリ、高田VSヒクソンを含め、こうした話は「格闘技」における最低限の「教養」に他ならない。もしもそういった最低限の「教養」を知らずして、ファイターが「強さ」のみを追求することなど、本当にできるのだろうか? いや、追求せずとも「観る側」が「格闘技」を語ることはできるのだろうか?
この話は数日前に本サイトで公開した記事でも触れたが、もし日本人にとって8月15日という日がいったいどんな意味を持つ日なのか。それを知らない若者がこの国の大半を占めていたら、果たして日本という国が存在する意味はどこまであるのだろうか……?
最後になるが、11日のクラウドファンディングの総支援額を記載する。午後3時過ぎの時点での支援総額は1280万円弱(支援者数は1251人)と1000万円を超えた。これは目標金額の25%にまでは到達したことになる。この先、どれだけの金額が上乗せされるのかはわからない。RIZINが本当に9月以降、続いているのか否か。それすら疑ってかかるべき時期なのか、そうでないのかさえも未知の領域に思えてくる。
ともあれ、コロナによって万人が考えを改めざるを得なくなった2020年、RIZINが久しぶりに開いた記者会見からそんなことを考えた。この記事を読むことで、多少なりとも「格闘技」とは何か? その一端に触れてもらえたら幸いである。