「凄いヤツ」谷津嘉章、義足デビュー戦延期も「いつか長州力を倒したい。だから復帰する」

オリンピックに2度も嫌われ、義足レスラーのデビューも延期。「凄いヤツ」谷津嘉章は40年越しのリベンジに失敗したが、どっこい生きている。

谷津嘉章【写真:柴田惣一】
谷津嘉章【写真:柴田惣一】

「五輪には縁がないよな。40年前の祟りかよ」

 オリンピックに2度も嫌われ、義足レスラーのデビューも延期。「凄いヤツ」谷津嘉章は40年越しのリベンジに失敗したが、どっこい生きている。

「コロナ禍が収まるまで、静かに暮らしていくよ」。あの前向き一本やりの男の声が珍しく沈んでいる。それもそうだ。2020東京五輪は延期。渾身の志望理由書のかいもあって、聖火ランナーに選ばれたのに、直前になって取りやめになった。「五輪には縁がないよな。40年前の祟りかよ」と、ため息混じりにつぶやいた。8位に終わった1976年モントリオール五輪に続いて、80年モスクワ五輪のレスリング代表に選ばれた。「今度は金メダル確実」と日本中の期待を集めた。本人も自信に満ちていた。それなのに政治的理由から日本がボイコットしてしまった。

 その後、プロレス入りし、各団体を渡り歩きスター選手として活躍した。実業界に転身し成功と失敗を繰り返し、還暦を過ぎても現役レスラーとして時折リングにあがっていた。波乱万丈ながら「俺なりの生き方を楽しんでいた」谷津を、思ってもいなかった不幸が襲った。2019年6月25日、右足をヒザ下7センチから切断。糖尿病の悪化だった。「スポーツエリートの過信があった。まさか、だよ。直後はさすがにショックだったけど、これが俺の人生だから」と、持ち前のポジティブ思考で、すぐにリハビリに取り組んだ。

 担当者の期待を上回るスピードで義足を装着し、昨年中に日常生活用には困らなくなった。その原動力は五輪の聖火ランナーであり、義足レスラーとしてのリング復帰だった。年明けには、ランニング用のバネ板義足にもチャレンジ。これまたメニューを次々とこなし、レスリング用の特注義足を発注した。義足メーカーの担当者も驚くほどの驚異の回復ぶりは、アスリートとしての資質とポジティブ思考の賜物だ。

 3月には義足を着けてのスパーリング映像を公開。ブルドッキング・ヘッドロックを繰り出すなど、義足で軽快な動きを披露する谷津に、現役の選手たちから「義足であんな動きができるなんて! 自分ももっと頑張らなければ」と、驚きの声が続出した。本人も想定外だっただろうが、後輩レスラーへの叱咤激励にもなった。

 義足ファイターのデビューもDDT6・7さいたまスーパーアリーナ大会と決まった。40年前のプロ入り会見で「凄いヤツになる」という一言を、散々揶揄されてきたが「本当に凄いヤツだった」と称賛された。なのに……6・7さいたま大会もコロナ禍で中止。目標は消えてしまった今、故郷の群馬県で「体幹を鍛えるトレーニングをしている」他は自粛生活を過ごしているという。ただ、このままでは終わらないのが「凄いヤツ」だ。今月半ばには義足メーカーのある大阪に向かう。「かなり出来上がっているけど、まだ万全ではない。完成させるために、一緒に開発しているんだ」と、らしい言葉が戻ってきた。何度も熱心に打ち合わせし、より良いものにしたいという熱意は、担当者の意欲も倍加させる。谷津の前向き思考は、確実に後輩レスラーや義足担当者を鼓舞させる効果がある。

「いつか長州力を倒したい。だから復帰する。聖火ランナーも来年、絶対やりたい。その2つが俺のモチベーション」と、繰り返す。プロレスでは、さまざまな経緯のあった長州と義足で対戦し、叩きのめす。オリンピックは、モスクワの借りを東京で返す、と赤々と灯る聖火のごとく闘志を燃やし続ける。右足切断から数々のミラクルを起こしてきた谷津。コロナ禍が思わぬ障害となったが、義足レスラーデビューの日、来年の聖火リレーを目指して踏ん張っている。頑張れ! 凄いヤツ!

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