議員レスラー西村修、食道がんでステージ4 すでに転移、手術困難も「まだ死ぬわけにはいかない」

プロレスラーで文京区議会議員の西村修(52)が食道がん(扁平上皮がん)を患っていることを告白した。10日に入院し、11日から抗がん剤治療を開始する。がんは左上半身全域に転移しており、ステージ4と診断。手術困難な状況と明かした。がん発症は1998年の後腹膜腫瘍に続き2度目。議員レスラーとして順風満帆だったが、突然の知らせとなった。西村は5歳の子どもを思い、「まだ死ぬわけにはいかない」と再び病魔に打ち勝つ覚悟を示した。

診察を受けた後、取材に応じた西村修【写真:ENCOUNT編集部】
診察を受けた後、取材に応じた西村修【写真:ENCOUNT編集部】

1月から自覚症状 3月精密検査で確定

 プロレスラーで文京区議会議員の西村修(52)が食道がん(扁平上皮がん)を患っていることを告白した。10日に入院し、11日から抗がん剤治療を開始する。がんは左上半身全域に転移しており、ステージ4と診断。手術困難な状況と明かした。がん発症は1998年の後腹膜腫瘍に続き2度目。議員レスラーとして順風満帆だったが、突然の知らせとなった。西村は5歳の子どもを思い、「まだ死ぬわけにはいかない」と再び病魔に打ち勝つ覚悟を示した。

 都内の病院で診察を受けた西村の口から、思いもよらない言葉が飛び出した。

「私2回目のがんになりました。明日から入院して、あさってから抗がん剤が始まります。手術じゃない。がんが散らばっちゃっている。はっきり言って、ステージ4。扁平上皮がんというがんで、原発(がんがはじめに発生した部位)は食道から来ているらしい。今日が最終の診察と入院の手続き。さっき、主治医から『あさってから一緒に頑張りましょう』と言葉がありました」

 西村は26年前もがんに罹患(りかん)。前回はがん切除後、放射線治療などの化学療法を受けずに、漢方や食生活の改善など自然療法で完治させた。プロレス復帰も果たし、2011年には、文京区議会議員選に初当選。レスラーと議員の二束のわらじで活躍していた。

 肉を大量に食べ、酒を浴びるように飲むイメージのあるレスラーだが、西村は20代でがんを患った経験から、食生活には細心の注意を払ってきた。文京区では長年、食育指導者としても携わる。いまに至るまでジムで体を鍛えることを欠かさず、試合も3月9日の全日本プロレス後楽園ホール大会までリングに上がっていた。

 だが、今年に入ってから体の異変を感じていた。

「1月ぐらいから、なんか左脇腹に変な痛みがあったんですよね。脇の下のところに」

 1月10日にスノーボードで転倒し、胸を強打。最初は転倒のせいかと気にしていなかったが、痛みは引くどころから徐々に悪化した。最近は睡眠時に左半身を下にすることができないほどだった。「そうしないと寝れないです。うわーって、つるように痛くなってきちゃう。それでもズキンズキンっていうときがあります」とつらい日々が続いていた。

 そして3月に入り、知人の病院で検査を受けると、院長から電話がかかってきた。

「すぐに大きな病院で精密検査を受ける必要がある」

 ちょうど新日本プロレス時代の後輩・吉江豊さんの通夜の帰り。新幹線で聞いた留守番電話のメッセージは、まさかの告知だった。

 確定診断には時間を要した。最初は悪性リンパ腫の疑い。複数の診療科で診察を受けるうちに扁平上皮がんと診断された。内視鏡検査で食道にがんを認め、原発と分かった。扁平上皮がんはがんの種類による分類で、食道がんの90%にあたる。主治医からは、26年前の後腹膜腫瘍とは一切関係がないと説明を受けている。だが、新たな敵はさらに厄介だった。すでに食道の外にあるリンパ節に転移し、頭部を除き、上半身の左側全域にがんは広がっていた。

「ステージ4……。ステージ5ってないですからね。左側に転移しちゃって、こっちもこっちもこっちもこっちも……」とシャツの上から体を手でなぞった。西村の左肩を触ると、硬い部分があった。「いつもエルボーをここに食らうから、そういう意味で血が固まっちゃっているのかなと思っていたんですけど、そうじゃなかった。がんだった」。トレーニング後、裸になって左右を見比べると、左側のほうに盛り上がりを感じるようになっていた。

「死を怖がらずに立ち向かうしかない」

 3~4年前、強烈なめまいに襲われ、救急搬送されたことがある。その際、CTやMRI、血液検査を受けたが異常はなかった。以来、健康診断は受けていなかった。

「コロナも1回もかからないし、熱も出ないし、絶対に自信があったんですけど、ちょっと過信しすぎたのかなって」

 後腹膜腫瘍を発病時には、団体側が内臓疾患と発表し、病名の公表まで11か月をかけた。

 今回治療前に公表を決意したのは理由がある。

「世の中戦争だ、地震だ。プロレス界だって、動けない人もいる。五体満足がどれだけ幸せかっていう部分に気づけば、抗がん剤で苦しいからと泣きごとなんて言ってられませんからね。それも含めて与えられた試練でしょうから。猪木イズムじゃないですけど、すべて自分をさらけ出して、(闘病を)自分自身のテーマと定めて。人生の52歳にして第2回がんとの戦い。必ず勝ちます」

 記憶にあるのは、師アントニオ猪木さんの姿。難病アミロイドーシスと診断されながら、その病床での変わりゆくさまを隠そうとせず、2022年10月に亡くなるまで闘い抜いた。

 今回はすでに手術はできない状態であることから、化学療法も受け入れた。1週間の抗がん剤治療、2週間の退院を1クール(1サイクル)とし、合計6クールの治療を行う。

「今回ステージ4と言われながら、抗がん剤を受けないことも数%は考えましたけど、実際問題、やっぱり痛みもあるし。本当に人間って弱いものですよね。年がら年中ずっと痛いと、早く痛みを取ってくれって感覚になるし、免疫療法もあるんですけど、早くやっつけたい。私が闘った26年前とは病院の考え方も変わっていますし、それも踏まえて今回は受け入れました」

 そして何より、今は家族がいる。

「まだ子どもは小っちゃいし、死ぬわけにはいかないですからね。自分自身にまだ生きる望みというか、治る望みがあるならば、それを信じてやれるならば、闘うしかないですね。死を怖がらずに立ち向かうしかないですよ」と西村は前を向いた。

次のページへ (2/2) 【写真】ステージ4の食道がんで入院直前の西村修
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