借金1億円→30歳で漫画家デビュー、三田紀房氏が明かす『ドラゴン桜』の意外な誕生秘話

『ドラゴン桜』や『クロカン』などで知られる漫画家の三田紀房氏(66)が26日、波乱の半生を振り返った自叙伝『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』の発売記念会見を都内で開催した。1時間を超える会見で三田氏は、著書にも記した1億円の借金や30歳で漫画家デビューした理由、『ドラゴン桜』誕生秘話などを熱く語りながら、次の世代の漫画家たちにもエールを送った。

会見に出席した三田紀房氏【写真:ENCOUNT編集部】
会見に出席した三田紀房氏【写真:ENCOUNT編集部】

次世代の漫画家へエール「は別に本物にならなくたって良い」

『ドラゴン桜』や『クロカン』などで知られる漫画家の三田紀房氏(66)が26日、波乱の半生を振り返った自叙伝『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』の発売記念会見を都内で開催した。1時間を超える会見で三田氏は、著書にも記した1億円の借金や30歳で漫画家デビューした理由、『ドラゴン桜』誕生秘話などを熱く語りながら、次の世代の漫画家たちにもエールを送った。

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 自叙伝を書こうと思ったきっかけについて聞かれると「1年前にずっとお付き合いがある編集者の方が定年を迎えるので『最後に自伝本を出して編集人生を終えたい』と言われて、最初は恐縮していたんですが、餞別(せんべつ)代わりでとお受けしました」と執筆理由を話した。

 著書のタイトルを『ボクは漫画家もどき』とした理由については「『35年以上、漫画を書いているから漫画家でしょ』って言われるんですけど、『本当にあなた漫画家ですか?』って言われたら自信を持って答えられなかった。この世界には天才がいっぱいいて、世界でもぶっちぎりのクリエーターが日本にはたくさんいます。僕は30代まで商売をやってきて、いきなり紙とペンでガリガリ書き始めて、運良くスタートができました。だから今でも漫画家という存在感のリアリティーを感じないままフワっとしている感覚が自分にはあって、それでこういうタイトルにつながったのかな」と答えた。

 会見では著書にも記された借金の話も飛び出した。明治大を卒業して百貨店に勤務した三田氏だったが、父親が倒れたことで、就職後、わずか10か月で岩手県の実家に戻り、家業の洋品店を継ぐことに。ところがおよそ1億円の借金を抱えていたことが判明し、20代は店を継ぎながら兄と返済の日々に明け暮れた。

「借金の額が大き過ぎてショックを通り越してリアリティーがなかったです。親戚に借りた目に見えないものも含めての1億だったので、父親が亡くなる時に全部言ってくれたら良かったんだけど、やっぱり親として子どもに言いがたかった心理は分かるんです。でもあとから『お前の親父に貸した』と言って借用書が結構来て、全てを把握する作業に1年くらい掛かりました。店を畳むとか法的な方法も考えたんだけど、田舎の商店街のつながりで連帯保証人を作ったら周りに迷惑が掛かってしまいますし、『とにかく今月これぐらい売れたから、とりあえずこれを返しちゃおう』みたいな。現実はその繰り返しでした」

 そんな中で漫画家になった理由について聞かれると「日々のプレッシャーから逃れたいというか、どこか自分に別の世界をもう1つ作ってあげたいというのが大きかった。それが漫画だった」とその理由を明かした。

「問屋さんの支払いが滞るのがもっとも精神的なダメージが大きかったです。商品は仕入れたけど、売上がないから支払うお金がない。代金を支払えない状況というのがメンタルがやられるみたいな。それが365日、毎日続くんですよ。『あわよくばちょっとでも返済に充てられないかなとは思いましたけど、1回で全部返済しようだなんて、そこまでおこがましくはなかったですね。まだ謙虚な部分があったと思います」

 20代までは漫画と関係のない生活を送っていた三田氏だったが、30歳の時にデビューした。

「よく『30歳で漫画を描く気になりましたね』と聞かれるんですが、自分が描けるものを描いてくださいっていうのが漫画の世界なので描こうと思えば描けるし、描けないと思えば描けないんです。だから描けるものを描くという気持ちになれば、大体の方はなれるんじゃないかなと僕は思います」と説明。

 練習方法やコツがについて聞かれると「絵は雑誌を見てその通りまねたら、何とかなると思います。これも自分が描けそうな絵を描けばいい訳で、別に誰からも大ヒット漫画みたいなものを描けなんて言われないですから。あとはストーリーを付ければ形になるんじゃないかなと思います」

編集者からの『1位を目指しましょう』に刺激

 30歳でデビューしてから初連載を持ち、結婚、上京と激動の30代を過ごした。

「幸いなことに担当編集者の方がすごく親身になっていただき、書けばお金になるんだなと分かった。借金をどうやって返すかみたいなことで日々苦しんでいた時代が10年近く続いたので、『お金が入ってくる状態があれば、何とか続けられる』という心理だったと思います。ある時、編集者さんが『1位を目指しましょう』って毎週言ってくれて、その姿勢を見せないといけないと思い、1位の漫画を自分なりに研究しました。それでやっぱりエンタメを描かないと大衆は絶対に支持してくれないと思ったんです」

 その後、週刊誌の連載も担当し、数々の代表作が誕生した。中でも『ドラゴン桜』は2005年、第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞し、同年、TBS系日曜劇場でも阿部寛が主演を務めるなど大ヒットを記録した。

「これは『モーニング』(講談社刊)編集の方から連絡をいただき、若い新入社員の編集者を連れてきて『高校教師ものをやりませんか』と提案いただきました。でも僕は高校教師ものは受けないから今までもずっとお断りをしていたんですが、『じゃあ、勉強が苦手な子どもが1年で東大に入るみたいな漫画なら受けるかもね』と言ったら、新人の彼は、『それは、あんまり面白くないですね』って言ったんです。理由を聞くと、彼は灘高校で『東大に結構みんな行くんすよ』みたいなこと言うんですよ。同級生の半分が東大進学みたいなね。『じゃあ東大って意外と簡単なんだよって言えば、なぜ? ってみんな理由が知りたくなるからそこからスタートすれば、面白いものできるんじゃない』って。だから彼がいなかったら、3人でコソコソ話をしなかったら作品も生まれなかったんです」

『ドラゴン桜』の反響はこれまで以上に大きかった

「今までの中でとても印象に残る反響がたくさんあって、たとえば、漫画には実際に入試に出てくる問題をいろいろと入れたら、夜中の2時に『自分はこうやって解いたけど、あっているか答えを教えてほしい』という電話が編集部に掛かってきたそうです。僕は漫画の楽しみ方は一方通行じゃなくて、双方向にもなると感じました。とても変わった漫画ではあったけれど、読者に楽しみを提供できて、すごくうれしかった」

 これからの漫画界について聞かれると「日本はもう、世界最強のコンテンツ国家に僕はなると思います」と断言した。

「この先10年くらいすると、ぶっちぎりで世界が追いつけないくらいの大コンテンツ大国に僕はなると思っています。だって日本ってもう70年近く漫画を作っている国なんです。この歴史って、絶対に世界でもキャッチアップできないですよ。漫画市場がどんどん拡大して人材も質も量も圧倒的です。そういう意味では、若手の漫画家さんは、バンバン書いてどんどん発表することです。昔は紙の雑誌しか発表する場がなかったですが、今はネット上に発表する場がありますから。数年後にはネット上のマーケットの方が紙よりも大きくなると僕は思っているので、そうすれば発表する機会も一気に増えるので、参入してくる若い人たちももっと増えると思います。とにかく発表し続けることが大事で、発表していればチャンスは必ずどこかから生まれるという業界なので、発表することが大事です」

 最後に次の世代の漫画家にエールを送りながらあらためて自身を振り返った

「僕は別に本物にならなくたって良いと思うんです。日本人って『目指すからには本物になりなさい』とか、『人生決めたら一直線』みたいな人生哲学が美徳として扱われがちですが、『本物じゃなきゃ絶対に生きられない世の中ではない』と僕は思います。プロ野球とか実力が目に見える世界は別ですけど、漫画界って意外と広いし、どこか探せばポジションがある業界でもあるので、そのポジションを見つけてそこで生き続けることが大事。別に本物にならなくても、生きていればきっと何かいいことあるっていうか、本物じゃなくても、なんとなくそれっぽく生き続けることもありだし、それも人生で良いんじゃないですかっていうのが、僕なりの重ねてきたキャリアの中で言える1つの結論なのかなと感じてます」

□三田紀房(みた・のりふさ)1958年、岩手県北上市生まれ。明治大・政治経済学部卒業。西武百貨店勤務を経て、家業の洋品店へ。漫画界では珍しい30歳での遅咲きデビュー。代表作に『ドラゴン桜』『インベスターZ』『クロカン』『砂の栄冠』『甲子園に行こう!』など。『ドラゴン桜』で2005年、第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。

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