どん底を経験した漫画家・のむらしんぼの栄光と挫折 年収6000万円からの急転落、突然の離婚

「月刊コロコロコミック」で1985年から95年まで連載された漫画『つるピカハゲ丸』は、のむらしんぼ先生の代表作だ。一世を風靡(ふうび)したギャグ漫画の裏には酸いも甘いも経験したのむら先生の栄枯盛衰があった。

激動の半生を明かしたのむらしんぼ先生【写真:ENCOUNT編集部】
激動の半生を明かしたのむらしんぼ先生【写真:ENCOUNT編集部】

『つるピカハゲ丸』で収入30倍の激増も…

「月刊コロコロコミック」で1985年から95年まで連載された漫画『つるピカハゲ丸』は、のむらしんぼ先生の代表作だ。一世を風靡(ふうび)したギャグ漫画の裏には酸いも甘いも経験したのむら先生の栄枯盛衰があった。

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 第2回小学館新人コミック大賞に応募した『ケンカばんばん』を機に人生のパートナーとも言えるコロコロコミックと出会ったのむら先生。連載をつかみ取るまでには意外なエピソードがあった。

「『ケンカばんばん』でコロコロに拾ってもらって、まずは毎月読み切りを1本ずつ描いていこうと言われていたんです。そんなときに『小学六年生』の編集の人に連載を打診されたんです。『やっと連載が決まった!』と思って、コロコロの千葉(和治/初代編集長)さんに報告したら『え、引き受けたの?』って。コロコロでデビューさせたのに、小学六年生で先に連載させるわけにはいかないとなって、コロコロで『ケンカばんばん』の連載が決まりました。小学六年生の『ガッツだ!ちび六』と同時連載。運が良かったですね」

 1979年にスタートしたデビュー作『ケンカばんばん』は半年の連載で終了。80年からは、受験とボクシングを掛け合わせるという異色の発想で人気を集めた『とどろけ!一番』の連載がスタートした。

「『とどろけ!一番』がスタートしたばかりの頃、弘兼(憲史)先生が『お前、ようこんなアホな漫画書くな』と言ってくれたんです。最高の褒め言葉でしたね。『俺には逆立ちしても、こんなアホな漫画書けない』って。あの言葉はうれしかったですね」

 当時、『とどろけ!一番』は単行本化されたことで、収入も急増。「25~26歳で(年収で)800万円ぐらいもらえていましたね。まだ新入社員で200万円とかの時代でした」と当時を振り返った。

 しかし、『とどろけ!一番』の連載が83年に終了してからは衰退の一途をたどった。

「『男トラゴロウ』(83年)の頃は180~190万円ぐらいでした。単行本も(部数は)出ていないので、ほぼ原稿料のみでした。どんどん生活がピンチになってきて、『これはやばい』って……。29歳ぐらいのときには、もう北海道に帰るつもりでした。編集の人から『自分で好きなように、4コマだったらネタもなんでもいいから描いて』と言われたんですよ。今まで編集の人と協議して決めていました。でも編集者が突然、一切口を出さないようになったから、『これは捨てられたな』と思ったんです。『だったらもう最後に好きに描こう』って。

 そしたら何かが降りてきたんでしょうね。いろんなキャラをひたすら描いていたら、子ども時代に戻ったかのように、毛を3本描いていたんです。まさに『オバケのQ太郎』のQちゃんでした。それまでは『とどろけ!一番』の人気を引きずってギャグ漫画でも、ちゃんと指を5本描いてたんですよ。でも、『もうそんなのもいいや』と思って、手は親指だけにしたんです。服も余計なことせずにシンプルイズベスト。とにかくそれで4コマを描いたんです」

憧れていた青年誌での掲載「僕にとってはすごく光栄でした」

 逆境の中で出会ったのが大ヒット作『つるピカハゲ丸』だった。一切の告知もなく、85年に突如として連載が始まった同作。読者アンケートの初動は芳しくなかった。「ああ、やっぱりダメか……。北海道帰るか」と思っていた直後、アンケートの最終結果でまさかのどんでん返しが起きた。「平山(隆/のちの3代目編集長)さんから、『しんぼちゃん、びっくりしたよ。最終結果でいきなりきたんだよ!』と報告を受けましたね」と笑顔で回顧した。

『つるピカハゲ丸』はその後、単行本も大ヒット。アニメ化なども続き、人気もうなぎ上りで、生活は激変した。

「『ハゲ丸』の1年目は200万円いかないぐらいでした。それが2年目には『別冊コロコロコミック』でも連載されて、一気に900万円ぐらいになったんですよ。3年目にはアニメ化も決まって、単行本も増刷で、3000万円ぐらい。その後もアニメのヒットやらで、ピークで6000万円ぐらいになりましたね」

 しかし、人気は何年も続くものではなかった。

「人間ってえげつないもんですよね。ピークも過ぎて、次の年に『落ちてきたな、やべえ』と思っても4800万円もあるんですよ。6000万円が当たり前だと思うから、4800万でやべえとか思っちゃうんですよね。その後も減少していって、当時のカミさんに『ピンチだ、ピンチだ』と言っていた頃でも900万円ぐらいあったんですよ。今だったら、900万円もあったら喜んでるのにね(笑)」

 また、他雑誌の漫画家を引き合いに、コロコロならではの給与事情についても触れた。

「『ハゲ丸』がピークだった3年間のトータルで考えれば、1億数千万円と稼げていたんですよ。でも、少年マガジンで連載していた漫画家さんは年収でそれ以上の額をもらっていました。僕はどこかで、『子どもであまりお金もうけをしたらあかん』っていうのがあったんでしょうね」

『つるピカハゲ丸』の連載の一方で、「ビッグコミックオリジナル」での作品掲載も実現していた。学生時代から憧れていた青年誌での掲載だ。

「僕は東海林さだおさんの作品が好きだったんです。デビュー前にヒロカネプロで同僚だった柴門ふみが『しんぼだったら『ショージ君』(67年~75年)みたいな世界描けるかも』って、僕の読み切り作品を読んで言ってくれたんですよ。

『ハゲ丸』を連載しているときに、ビッグコミックオリジナルの編集の方から連絡をもらいました。『学生時代からコロコロを読んでいました。のむら先生なら青年誌でも漫画を描けると思うんです』って。それで、『空気の色』(91年)という作品を描いたんです。青年誌と両方を描き始めたら、どっちも中途半端になっちゃいましたね(笑)。でも僕にとってはすごく光栄でした。うれしかったなぁ」

簡単そうに見えて奥の深いギャグ漫画「ギャグを描いて人を笑わせることは難しい」

 青年誌向け作品とコロコロでのギャグ漫画。一見すると共通点がなさそうにも思えるが、実際はそういうわけでもないという。

「僕の持論ですが、ギャグ漫画を描ける人は、ストーリーも描けるんです。ギャグを描いて人を笑わせることは難しいんです。泣かせるのも難しいけど、どちらかといえば笑いよりも簡単。笑いは理屈じゃないんですよね。弘兼先生からも『常識人じゃなければ、非常識は描けない』と言われていました。

 4コマ漫画でいえば、膨らますことは簡単だけど、縮めることが難しいんです。僕のアシスタントにもよく、F先生(藤子・F・不二雄)のことを話すんです。『ドラえもん』は長編だったら長編に合わせた描き方ができるんです。でもF先生は学年誌で8ページに収めないといけない場合には、それに合わせて、子どもが分かる話で描いていたんです。映画や音楽もそうですが、縮める作業が難しいんですよね。

 子ども漫画は稚拙だと勘違いされがちですが、実は難しい言葉を簡単な子どもでも分かる言葉に変換しないといけないんです。しかも文字は大きく。難しい熟語も使えないので、それをどのように置き換えるかが大変なんですよね」

 プライベートでは26歳で結婚し、3人の子宝にも恵まれ、幸せな結婚生活を送っていた。しかし、『つるピカハゲ丸』の連載も終了し、鳴かず飛ばずの状況で苦しんでいた2004年に離婚を告げられ、公私ともにどん底を味わった。

「漫画界は離婚率は高いんですよね。僕の場合は欠席裁判みたいなもので、離婚を言われる1年前に僕以外で家族会議を開いていたみたいなんです。離婚後に娘と食事をしたときに『今だから話せるけど』って言われました(笑)」

 しばらくは娘とも会えない日々が続いていたが、現在ではLINEで連絡を取ることもあるという。

「長女の孫が1歳半くらいのときに、家を建てたというので遊びに行かせてもらったんですよ。『お父さんの部屋、2階にいつでも泊まれるようにあるから』って言ってくれたんですけど、なんだかバツが悪くて、2時間で帰っちゃいましたね。その後、全然会えずで、この前久々に連絡を取ったら、もうランドセルを背負った写真が送られてきましたね。次女の方にも孫が生まれて、『コロナ終わったら会おうね』と言っていたんですけど、結局会えずで……。もう4、5歳くらいになってるんじゃないですかね」

 苦笑いを浮かべながらも「離婚から年数はたっているけど、自分だけ成長してないというか、時間が止まってるんですよね」とつぶやいた。

 現在でも精力的に活動は続けている。14年からはコロコロコミック創刊当時を振り返る漫画『コロコロ創刊伝説』の連載がスタート。まさにコロコロコミックの“生き字引”として、後世にコロコロの歴史を伝えている。また、漫画家志望の若者へ向けて、学校での講義などの活動もしている。

 今後も、作品作りを続け、さらなる連載も視野に入れているようだ。「もうちょっと年を取って枯れてくれば、煩悩から解き放たれた作品も作れるようになるかもしれないね」。のむら先生は優しい笑顔を浮かべながら、ブレない思いでひたすらに筆を走らせ続けている。

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