【ズバリ!近況】NHK朝ドラ「心はいつもラムネ色」で主演した新藤栄作、数々の病乗り越えた過去初激白

1984年、NHK朝の連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」で主役の赤津文平役に大抜擢されデビューした俳優・新藤栄作さん(61)。当時、大人気だった女優・藤谷美和子(57)と夫婦役を演じ、平均視聴率40.2%と大ヒットさせた。新藤さんの爽やかイケメンぶりも際だっていたが、その後、テレビで見る機会は減ってしまった。今、どうしているのか。赤坂の所属事務所で新藤さんに聞いた。

NHKの朝ドラ「心はいつもラムネ色」でデビューした新藤栄作さん【写真:荒川祐史】
NHKの朝ドラ「心はいつもラムネ色」でデビューした新藤栄作さん【写真:荒川祐史】

「心はいつもラムネ色」ではNG連発

 1984年、NHK朝の連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」で主役の赤津文平役に大抜擢されデビューした俳優・新藤栄作さん(61)。当時、大人気だった女優・藤谷美和子(57)と夫婦役を演じ、平均視聴率40.2%と大ヒットさせた。新藤さんの爽やかイケメンぶりも際だっていたが、その後、テレビで見る機会は減ってしまった。今、どうしているのか。赤坂の所属事務所で新藤さんに聞いた。

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 デビュー当時のマネージャーが社長を務める事務所に所属しています。ずっとここで面倒みてもらっていますね。「心はいつもラムネ色」も彼が「応募しといたよ」「ああ、そうですか」という感じだったんです。その前に26、27回もいろんなオーディションを受けたのに全然引っかからなくて、ほとんどひねくれていたんですよ(笑)。「みんな見る目がないなぁ」なんて。それが、朝ドラは何だか知らないけどとんとん拍子に、5次まであったオーディションに通過して運命が変わった。「一生懸命やっていればいいことあるんだな」って嬉しかったですね。

 でも、まったくのド新人ですから、自分の状況に心がついていかなかった。20歳で役者を志して、「演劇集団 円」の演技研究所で芝居をかじりましたけど、「円」も1年8か月でやめて、ちり紙交換のアルバイトしながら友達と芝居をやってたんです。それが、25歳でいきなりの大舞台。場違いのところにいる感じでした。よくテレビで見ていたスターさん――中村嘉葎雄さんや野川由美子さん、木内みどりさん(故人)、岸部一徳さん、人気の藤谷美和子さんが、僕の目の前でセリフをしゃべっているでしょ。ついポーッと見入ってちゃってセリフが出てこなくて、「NG!!」ってことがよくありました(笑)。

 藤谷さんはキレイでしたねぇ。繊細な人だと感じました。もろさと強さが同居しているみたいな。でも、正直、状況を楽しむ余裕はなくて、おしゃべりした記憶はありません。朝から晩まで自分の出番が続くから、ず~っと息が抜けなくて。ホッとするのはご飯を食べるときだけ。ストレスがたまって、たまると食べるほうなもんですから、つい食べ過ぎて収録が終わる頃には10キロ増。80キロになったんですよ(笑)。今は65キロしかないんですけど。

30代は次々と病気に襲われ苦しんだ

 朝ドラの後も映画やドラマで忙しくて、気が付いたら舞台が多くなっていました。舞台は1か月ぐらい芝居のことだけ考えていられるので、やりやすいです。ところが27、28歳の頃から、いろんな病気に襲われたんです。「芸術座(現・日比谷シアタークリエ)」って劇場で2か月公演に出たんですけど、終わった後、円形脱毛症に。病院に行ったら医者に「ストレスですね」って言われました。それから胃潰瘍になって。不眠症、十二指腸潰瘍、メニエール症候群、腎臓結石……。腎臓結石は体外衝撃波結石破砕術という手術まで受けたんですよ。そんなこんなで40歳ぐらいまで苦しみました。ストレスに弱い体質なんでしょうね。

 結局、芝居の仕方が良くなかったんじゃないか、と。それで抜本的に芝居を考え直そうと、36歳で劇団を作って、駒沢大学の地下に稽古場を借りました。仕事がないときはほぼ毎日、そこへ詰めて、仲間とトレーニングしていました。ほかにも、「背中のキレイな役者、立ち姿の美しい俳優になろう」と思って、多摩川の堤防で、軍手して膝パッド当てて赤ちゃんのようにハイハイしてみたこともありました。肩甲骨周りが柔らかくなって背筋がつくかな、と思ったんです。通りがかったおじいちゃんとかおばあちゃんに「何やってんですか?」なんて聞かれながら、4か月間ほぼ毎日やりました。背中はキレイになった? そうですね。バリバリになりましたけど(笑)。

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