帰国子女の慶大卒・藤田悠が俳優になったワケ 夢のために留年&休学、就活もせずに続けた挑戦

ロングラン上演中の舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』で芸能界デビューを果たした無名の新人がいる。藤田悠(ふじた・はる)だ。英ロンドンで生まれ、帰国後は慶応大に進学。初めての俳優仕事がオーディションでつかんだ同舞台だった。異色の経歴を歩む26歳の今を聞いた。

『ハリー・ポッターと呪いの子』で芸能界デビューを果たした藤田悠【写真:ENCOUNT編集部】
『ハリー・ポッターと呪いの子』で芸能界デビューを果たした藤田悠【写真:ENCOUNT編集部】

卒業間近でつかみとった芸能界入りの“切符”「本当にギリギリでした」

 ロングラン上演中の舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』で芸能界デビューを果たした無名の新人がいる。藤田悠(ふじた・はる)だ。英ロンドンで生まれ、帰国後は慶応大に進学。初めての俳優仕事がオーディションでつかんだ同舞台だった。異色の経歴を歩む26歳の今を聞いた。(取材・文=中村彰洋)

 大学卒業を間近に控え、進路に思い悩んでいたタイミングで約2000人が参加したオーディションで大役を射止めた。芸能界での初仕事は、ハリー・ポッターの息子アルバス・ポッター役。同舞台での準主役という位置づけだった。

「僕がイギリス出身ということもあって、勝手に『ハリー・ポッター』と縁を感じていて、何かが後押ししてくれているような感覚がありました。最終オーディションでも、『受からなきゃ』という気持ちよりも、楽しんでお芝居をすることができました。受かったときは、もちろんうれしかったですが、実感はなかったです。

 それまでずっと芸能界を目指していたけど、うまくいきませんでした。だから『最後まで油断できないぞ』と半信半疑でしたね。衣装合わせのときに、『本当だったんだ』と初めて実感が沸いてきました。イギリスからたくさんの職人さん(公演スタッフ)が来ていて、『これはめちゃくちゃ気合い入ってるな!』とうれしくなりましたね」

 22年7月から東京・TBS赤坂ACTシアターで上演中の同舞台。藤田は同年8月のスタート直後からステージに立ち続け、24年3月の時点で公演数はすでに350回を超える。

「100回目くらいまでは『やったるぞ!』ととにかくがむしゃらでしたが、徐々に壁にぶつかるようになりました。公演数も多いので、体力がどうしても持たなかったり、気持ちが動かなくなってしまうんです。でもさらに回数を重ねるにつれて、1回1回を新しいものとして切り替えることができるようになったんです。それまでは『昨日はこうだったから、今日はこうかな』といった考え方をしていたのですが、純粋に1回1回を別のものとして、いい意味で処理できるようになったんです。同じ役を1年半もやり続けるロングランならではの経験だと思っています」

インタビューで今後の俳優人生について語った藤田悠【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューで今後の俳優人生について語った藤田悠【写真:ENCOUNT編集部】

慶大サークルでのめり込んだ演劇の世界「俺は芝居をやりたいんだ!」

 両親の海外転勤の関係で英国の地で生まれた藤田。幼少期はロンドンで過ごし、幼稚園入園のタイミングで帰国するも、小学校で再びロンドンに戻った。

「イギリスで生活していたのは合計で9年間ぐらいです。幼稚園で日本に戻ったので、頭の切り替えに苦労したことを覚えています。日本語を学んだと思ったら、またイギリスに戻って英語を使うことになりました。小学校は現地校に通っていて、今となっては両親に感謝していますが、当時はきつかったですね。

 先生が僕に怒っているのは分かるけど、理由が分からないんです。課題をやっていないから、怒られていたみたいなんですけど、いつ出た課題なのかすらも分からない。本当に『どうすればいいんだろう』という感じでした。でもその生活をしていたら、1年目で言っていることが分かるようになって、2年目で自分の思っていることを英語で伝えられるようになりました」

 その後、中学校進学のタイミングで再び帰国。中高一貫校へと進み、大学は慶大を受験した。センター試験では英語が満点、国語も漢字のミス以外はほぼ完璧と申し分のない成績をたたき出した。一方で数学を苦手としていたため、国公立大学ではなく、慶大進学を選択した。

 中高でサッカーに打ち込むも、大学では「思い切って違うことをしてみたい」という好奇心から演劇サークル「創像工房in front of.」に参加した。

「今思い返すと演技が好きだったんだと思います。ドラマや映画を観ていて憧れもありました。文化祭とかでも積極的に演じていたりしました。当初は映像系に興味がありましたが、『創像工房』の新歓での熱量に『この人たちは本気度がすごい』と引かれて、演劇サークルを選びました」

 大学生活は演劇にどっぷりと浸かる日々だった。「先輩に才能ある方々が多かったんです。初めて演劇という文化に触れて、『こんな面白い脚本を学生が書いているのか、奥深っ!』とのめり込んでいきました」。

 周囲がキャンパスライフを満喫する中、演技だけを考えて過ごす日々だった。

「授業も行かず、舞台にとにかく熱中していました。サークル内で留年者もたくさんいて、浮いているサークルだったかもしれないです(笑)。サークル外で部活に励んでいた周りの友達も、いざ就活の時期になると、みんな真剣に取り組んでいました。そういう人たちと自分との間にギャップを感じてしまったんです。だからこそ『俺は芝居をやりたいんだ!』という気持ちが強くなったのかもしれないです」

舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』出演回数は350回超も出演作はまだ同作のみ

 明確に俳優としての道を目標に据えたが、簡単なものではなかった。芸能事務所への所属の可能性を求め、ミスター慶応コンテストにも出場。ファイナリストにも選ばれたが、思うようにはいかなかった。1年間の休学と留年、のべ6年間の学生生活も俳優の道を諦めきれないがゆえの選択だった。

「卒業、就職してしまうと、そこから俳優の道を思い切って目指すことが難しくなると思っていたんです。なので、学生というモラトリアム期間みたいなものが終わってしまうことをなんとか食い止めたかったんです。ちょっとだけ単位を残して『留年した!』というのを口実にしていました。ウィキペディアには留学となっていますが実際は留年なんです(笑)。そのタイミングで就活ではなく、どうにか芸能の道に進むため、演技の養成学校に通ってみたり、事務所のオーディションを受けたりしました。

 4年生のときには休学もしました。親が海外で暮らしていて、久々に帰国したタイミングで、息子がまさか『就職せずに俳優やりたい』なんて言うと思ってなかったんでしょうね(笑)。猛反対されて、説得が大変でした。『とりあえず、1回就職してから考えてみれば』とも言われました。でも僕はそれだと絶対に無理だと思っていたので、休学を決め、時間をかけて両親を説得しました。その活動の一環として、ミスターコンにも出ました。出場したことをきっかけに事務所所属が決まった友達もいたことも理由の1つでしたね」

 もがき続けて最後の最後につかみとったのが舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』での大役だった。半年もの期間を費やしてのオーディション。「休学が終わったタイミングでの合格で本当にギリギリでした。ようやくスタートラインに立てました」と喜びを改めてかみ締める。

 現在では、両親も藤田が選んだ道を手放しで応援しているという。「めちゃくちゃ観に来てくれています。『そんなお金使わんでくれ』と思うくらいです(笑)。親としては、リスクが高い道に進んでほしくないという、僕のことを思ってのきつい言い方だったんだと思っています。今は自分のやりたい道を進めているので、内心はすごく喜んでくれているだろうなと感じます」。

 デビューしてから約1年半の月日がたち、公演数は350回を超えたが、出演作はまだ舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』のみ。今後の可能性は無限大だ。

「近い将来は映画にも挑戦してみたいです。そして10年後、20年後には、『あの俳優さんっていいよね』と言われるような存在になりたいです。イギリスに住んでいたというアイデンティティーも活かしたいとも思っているので、日本だけにとどまらず、海外の作品にもちゃんと手を挙げて『やりたいです』と言えるような存在になっていたいです」

 英在住時には、現地の映画館で『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を観ていた。そんな藤田が苦労の末につかんだデビュー作が舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』となったことは必然だったのかもしれない。

□藤田悠(ふじた・はる)1997年6月14日、英ロンドン生まれ。約9年間をロンドンで過ごし、中学校入学のタイミングで帰国。慶応大在学時に演劇サークル「創像工房in front of.」で演技の世界にどっぷりとハマる。在学中に受けたオーディションで舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』アルバス・セブルス・ポッター役を射止め、芸能界デビュー。2022年7月から同公演に立ち続ける。特技は英語で英検1級取得、TOEIC925点を誇る。

ヘアメイク:赤塚修二
スタイリスト:永田哲也

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