藤原喜明、師匠・アントニオ猪木さんとの思い出を回顧 “パワハラ”全盛時代は「今の人じゃ無理だわな」

25日まで、横浜のMARK IS みなとみらいで「~おかえりなさい、猪木さん~ 燃える闘魂 アントニオ猪木展 in YOKOHAMA」が開催され、盛況の中、幕を閉じた。18日には藤原喜明組長が1日店長を務めたが、長蛇の列をつくっていた。かつては「猪木の影」とも呼ばれた藤原に、改めて師匠・アントニオ猪木さんへの思いを聞いた。

25日に閉館した「A猪木展」では1日店長も務めた
25日に閉館した「A猪木展」では1日店長も務めた

猪木さんとあの世で会えなければ「なんだ死に損じゃないかと思うしな」

 25日まで、横浜のMARK IS みなとみらいで「~おかえりなさい、猪木さん~ 燃える闘魂 アントニオ猪木展 in YOKOHAMA」が開催され、盛況の中、幕を閉じた。18日には藤原喜明組長が1日店長を務めたが、長蛇の列をつくっていた。かつては「猪木の影」とも呼ばれた藤原に、改めて師匠・アントニオ猪木さんへの思いを聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「別にどうも思わねえよ。見慣れた光景でさ、あれは仕事の姿だからね」

 会場中を埋め尽くしたアントニオ猪木さんの写真や闘魂グッズに囲まれた「猪木展」に身を置くとどう思うのか。それを藤原に向けると、返ってきた答えがこれだった。

「俺が見ていたのは(アントニオ猪木の)私生活みたいなね。弱気なアントニオ猪木、ちょっと強気なアントニオ猪木、怒ったアントニオ猪木、リラックスしたアントニオ猪木……、全部実際に見てるからね」

 そんな藤原だが、最近、『猪木のためなら死ねる』(宝島社)というタイトルの著書も出版。師匠・アントニオ猪木を知り尽くした人物だけに、猪木さんに対する言葉の奥深さと年輪は、他の追随を許さない。

 まず最初にそのことに触れると、「まあ、たいそうな名前をつけたなと思って」と言いつつ、以下のように答えた。

「実際にそう思ってる時期もあったけどね。今でも死ねるかっていうと、やっぱりなあ……。猪木さんが亡くなった時はすごく哀しかった。後を追っかけようかと瞬間思ったけど、俺が後を追っかけて、もしも出会えなかったら、なんだ死に損じゃないかと思うしな」

 著書には猪木さんが逝去した後のことについて、「あんまりペラペラしゃべりたくなかった。言葉に出すと軽くなってしまうというか、こっちも事実を受け止めるだけでいっぱいいっぱいだっだ」とあった。

「軽くなるとかなんとかじゃなくて、しゃべるのが嫌だったんだよ。みんなに(猪木に対する)きれいなことを言っている人。そんなに親しくなかったよ、この人。偉そうなことを言うけどよ。俺、そういう社交辞令みたいなあれ、大嫌いだから」(藤原)

アントニオ猪木が殺される!

 過去にも藤原語録は数あれど、今回の著書には今まで以上の深い思い入れを持っているようだ。

「プロレス本っていつも読んでいると、『嘘つくな。書いてるヤツはプロレス嫌いじゃないか』って。分かるんだよね、同じことを書いていても。でも、しばらくぶりで自分でしゃべったことなんだけど、最後までずーっと読んじゃったよ。あれは俺、掛け値なしに、いい本だと思う(とニコリ)」

 藤原がそこまで絶賛するのも珍しい。それだけ自身の言葉が真っ当に表現された一冊に仕上がったのだろう。

「なんかあったかい。普通に3ページくらい読んで嫌になってくるんだよ。嘘つくなバカ野郎とかな。自分がしゃべったことが80%なのに、結構、いいことを言っているし、あったかいんだよな。全部読んじゃったよ。普通プロレスの本っていうと、なんかどっか引っかかったりさ。これ、書いてるヤツ、プロレスを好きじゃねえヤツだなとかさ。分かるんだよな」

 ともあれ、「猪木のために死ねる」という意味で真っ先に思い浮かぶのは、パキスタンでのアクラム・ペールワン戦(1976年12月12日、カラチナショナルスタジアム)だろう。この試合は時のプロボクシング世界ヘビー級王者、モハメッド・アリとの「格闘技世界一決定戦」(1976年6月26日、日本武道館)を終え、莫大な借金を背負った猪木さんが、パキスタン側から破格のファイトマネーを提示されたこともあって、現地で実現した一戦だった。

 その際、藤原はセコンドとして猪木さんに同行したが、試合が始まると、アクラムは猪木さんのフェースロックを逃れようと猪木さんの腕(拳)に噛みつき、猪木さんは猪木さんでアクラムの右目に指を突き刺す、という凄惨(せいさん)なものに。

 最終的に猪木さんは、アクラムにアームロックを極めたものの、ギブアップをしないのでそのまま脱臼させたため、ようやくレフェリーが試合を止めるという前代未聞の結末を迎えたのである。

 しかも、問題はこの後だった。地元の英雄アクラムが敗れたとあって、会場にいた観客が暴動を起こす危険性があったため、リングサイドにいた軍隊が一斉に客席に向けて銃を構えた。

 緊迫の瞬間を藤原が振り返る。

「別にね、猪木さんのために死のうとは思ってないけど、このなかのおかしなヤツが何かしたら、アントニオ猪木が殺される! と思ったから、こうやって(手を大きく広げて)猪木さんの前に立ったんだよ。そしたら猪木さんが『まあ、まあ、まあ、まあ』って両手を挙げたんだよ。そしたらみんな静かになって。なんだと思ったら、ア・ラーの神の動きだったんだな。『ア・ラーの神よ、ありがとう』みたいなポーズだったんだな。偶然に」

最新著書「猪木のためなら死ねる!」(宝島社)
最新著書「猪木のためなら死ねる!」(宝島社)

パワハラ、セクハラ、フジワラ

 前述通り、藤原はこれまで、猪木さんに関するさまざまな場面を体感してきた。

「アントニオ猪木っていうのは、そういう強さもあったし、あとはカラダの柔らかさ、ブラジルで過ごした、そういう奴隷みたいな、朝から晩まで血だらけで働いて。そういう経験だろうね。今の世の中の人じゃ、無理だわな。なぜかというと、パワハラだの、なにハラだの。なんとかかんとか、なんとかハラってな。まあ、俺はフジワラ(藤原)だけど」

 そうやって、おそらく猪木直伝と思われるダジャレを披露した後にこう言った。

「そういうことだよ。やっぱり強くなるためには、いろんな苦しい思いを何回もしないと。経験っていうのは大切だよ」

 ちなみに年末から「闘魂スタイル」を掲げて全日本プロレスの三冠ヘビー級王者になった中嶋勝彦と、昨年11月に「闘魂スタイル」の商標登録を行っていた全日本に対し、猪木関連の肖像権などを管理する猪木元気工場(IGF)は、1月末付で「警告書」を送ったことが明るみになり、騒動になっている。

 このことに関する意見を藤原に求めると、「知らねえよ。それは俺の仕事じゃねえ」と口にしつつ、藤原節を爆発させた。

「だからね、いろいろあるけど、時代だしね。興行会社としては、客が入れば正義なんだよ。どんな立派なことを言ったって、お客さんが入らなければ潰れるだけなんだよ。だから今の若いヤツらの好きにやればいいんだよ。いいじゃねえかよ。10年後なんかにゃ、みんな消えてるような気がするけどね。俺の命とともに……」

 そう言って、陰ながら中嶋にエールを送ったようにも見えた藤原。

「いやあ、いい思い出ばっかりね」

 最後に藤原はそうつぶやいたが、藤原にとってアントニオ猪木さんと過ごした時間は、すべてこの言葉に集約されているに違いない。

(一部敬称略)

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