アナウンサー試験100社全落ち27歳、人力車引き&ラジオDJで存在感「浅草に恩返しができるように」

コロナ禍が明けて活気が戻った東京・浅草。連日、外国人観光客が押し寄せ、肉体美の男性車夫が人力車を引く光景が日常となっている。そんな中、小柄な女性車夫が存在感を放っている。関森ありささん(27)。ラジオ局に勤務しながら、人力車を引く27歳の素顔に迫った。

レインボータウンFMでラジオDJとして活動する関森ありささん【写真:本人提供】
レインボータウンFMでラジオDJとして活動する関森ありささん【写真:本人提供】

瓜田純士、バン仲村さん、153キロのノッコン寺田も乗せた関森ありささん

 コロナ禍が明けて活気が戻った東京・浅草。連日、外国人観光客が押し寄せ、肉体美の男性車夫が人力車を引く光景が日常となっている。そんな中、小柄な女性車夫が存在感を放っている。関森ありささん(27)。ラジオ局に勤務しながら、人力車を引く27歳の素顔に迫った。(取材・文=白川ちひろ)

 車夫になったきっかけは、就職活動だった。

「大学生の頃はアナウンサーになりたくて、全国100社以上にテレビ局の面接を受けていました。でも、面接会場には高学歴の上に美人でスタイルの良い方ばかりでした。同じ大学の友人もどんどん内定が決まる中、自分は全落ち。焦るばかりでした。そんな時、アナウンサースクールの先生が、『トーク力を磨くために人力車で修行をして来なさい』と言ってくださいました」

 関森さんは「なるほど。車夫をやれば、就活の自己PR欄にも書ける」と思い、すぐに行動。車夫採用の面接へ。そして、採用された。

「アナウンサー採用試験って現地への旅費だけでなく、食費、勉強のための観光費用もかかる上、最終面接では美容院でヘアセットをして、新しい服を購入して臨むことも多かったので、総額150万円以上のお金が消えていきました。車夫のバイト代でそれらを補うことができたのは大きかったです。その後もテレビ、ラジオ局、メディア関連会社を受け続けましたが、大学卒業前にも関わらず内定はゼロでした」

 だが、“背水の陣”で受けたレインボータウンFMの試験には合格。やはり、車夫が決め手になった。

「私の祖父は目が不自由でテレビが見られないので、よく2人でラジオを聴いていました。ただ、就活中に祖父の体にガンが見つかりました。祖父はすっかり元気をなくしたのですが、『ラジオから私の声が聴こえたら、喜んでもらえるかも』と思い、私は最後の望みを懸けて地元ラジオ局の試験を受けました。そして、面接時に人力車で車夫としてバイトをしていることを伝えたら、局長から『日本初の人力車DJになればいいじゃん。面白そうだから人力車の仕事も続けなよ』と言っていただきました。受かったら車夫の仕事は辞めるつもりだったので、この提案には驚きました」

 そして、2019年4月に入社。祖父に自分のことのように喜んでくれたという。だが、車夫の仕事も決して順風満帆ではなかった。

「実は人力車を引けるようになるまでが本当に大変でした。研修中に店長を乗せたまま人力車をひっくり返してしまい、180万円もする人力車を壊してしまいました。浅草店の車夫スタッフからは『あなたを教えるのはもうお手上げ』と言われ、社長のいる兵庫・姫路店に研修に行ったこともありました。社長からは『今すぐ辞めるか、姫路で1か月間、朝から晩まで特訓するか選べ』と言われ、私は『絶対に諦めたくない』と思い、特訓を選びました。結局、浅草で3か月間、姫路で1か月間、車夫修行をたたき込まれました」

ラジオ局勤務のほか、週4日車夫として働いている【写真:本人提供】
ラジオ局勤務のほか、週4日車夫として働いている【写真:本人提供】

車夫デビュー後も苦労続き、コロナ禍で感じた不安

 何とか車夫デビューを果たしたが、苦労は続いた。

「今でこそ女性の車夫も多いですが、当時はまだ車夫は男性というイメージが強かったので、なかなかお客さまに受け入れてもらうことができませんでした。初めて雷門前で一日中何十人ものお客さまにお声かけしたものの、1人も足を止めてもらえず、売上ゼロの日が続きました。そこで、『女性だからこそご案内できることもあるのでは』と考え抜き、親子連れのお客さまには、しゃがんでお子さまにお声かけをしたり、お客さまの出身地を聞くなどしてトークを弾ませることに専念しました。今では、女性おひとりさまやお子さま連れの方など、多くの方にご指名いただいています」

 入社1年目は、DJ(ディスクジョッキー)として、車夫として希望に満ちていた。だが、20年春からコロナ禍に入ると、客への声かけができなかったという。

「2か月間、人力車の仕事ができませんでした。車夫としての売上はゼロになり、あれほど人混みでごった返していた浅草に閑古鳥が鳴く風景を見て、不安を覚えました。ありがたいことに、コロナ禍でもラジオの仕事は続けることができたので、リスナーさんに少しでも旅をしている気分を味わってもらえたらと、番組で浅草の魅力や人力車の話を発信していました」

 現在、関森さんはラジオ出演が週4、車夫も週4のダブルワーク状態。ハードに見えるが、本人はそこに相乗効果を感じているという。

「人力車とラジオの仕事って全く異なるものと思いきや、人力車に乗ってくださったお客さまがラジオを聴いてくださったり、逆にラジオを聴いてお客さまが浅草に会いに来て、人力車に乗ってくださったりしています。ラジオをきっかけに、遠くから毎週通ってくださる方もいらっしゃいます。浅草でお声かけするだけでは出会うことのできない方々にお会いできることも、楽しみの一つです。どちらの仕事も大忙しですが、とても充実していて楽しいので、仕事をしているという感覚があまりありません(笑)」

 関森さんに会いに来る客には有名人もいたりする。

「最近では、格闘家の方とたくさんのご縁がありました。私の勤務する会社はYouTubeチャンネルも運営しているのですが、これまで朝倉未来さん主催のBreakingDownに出場していたバン仲村さん、啓之輔さん、黒石高大さん、瓜田純士さんも乗ってくださいました。一番大変だったのは、153キロの『元最恐ラガーマン』と呼ばれるノッコン寺田さんを雨の中で乗せたことです。自分の体重の3倍以上もの方を乗せるのは初めての経験だったので、心配しながらも楽しい収録になりました」

 就活きっかけで始まった車夫、ラジオDJとしてのキャリアを重ねる中、本人は自分よりも周囲のことを考えていた。

「今年で人力車は7年目、ラジオDJとしての活動は6年目を迎えます。ここまで続けてこれたのは、人力車やラジオの仲間、浅草の方々、家族の支えがあったからこそです。これからは会社や浅草の街に恩返しができるように、メディアを通して人力車や浅草のお店の魅力をもっと発信して、浅草を盛り上げていきたいです」

 厳しい就活を乗り越え、成長した27歳。地元の江東区から声を発信し、浅草で人力車を走らせる。人を楽しませ、自らも楽しむ日々はこれからも続いていく。

□関森ありさ(せきもり・ありさ) 1996年11月10日、東京都・江東区生まれ。国学院大法学部卒。在学中、アナウンサー採用試験の自己PR欄を埋めるため、車夫のアルバイトを開始。その後、現在のレインボータウンFMに入社し、日本初の「車夫DJ」となる。現在のレギュラー担当番組は『水曜スペシャル』『ミュージックデリバリーDX』。資格は浅草検定上級、知的財産管理技能検定3級。血液型A。

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