中村勘九郎、父・勘三郎さんとのつながりに「鳥肌」 400年の節目に江戸歌舞伎発祥の地へ

歌舞伎俳優の中村勘九郎、勘九郎の長男・中村勘太郎が15日、東京・中央区京橋3丁目の『江戸歌舞伎発祥之地』記念碑の前で、囲み取材を行った。

囲み取材を行った中村勘九郎(右)と中村勘太郎【写真:ENCOUNT編集部】
囲み取材を行った中村勘九郎(右)と中村勘太郎【写真:ENCOUNT編集部】

長男・勘太郎の口に“チュー”しようとした勘三郎を「阻止」

 歌舞伎俳優の中村勘九郎、勘九郎の長男・中村勘太郎が15日、東京・中央区京橋3丁目の『江戸歌舞伎発祥之地』記念碑の前で、囲み取材を行った。

 同所は、400年前の寛永元年(1624年)2月15日に、初代猿若勘三郎が江戸で初めて官許を得て、後の江戸三座の筆頭『中村座』となる芝居小屋『猿若座』を建設した場所付近。現在の日本橋と京橋の中間付近で興行し、幕府公認の櫓(やぐら)をあげたことから、昭和32年(1957年)に『江戸歌舞伎発祥之地』記念碑が建立された。記念碑の上部には勘三郎家にちなんだ紋や、中村屋の定紋『角切銀杏』に替紋『丸に舞鶴』などが並んでいる。平成17年(2005年)には、勘九郎の父である十八世中村勘三郎(当時は五代目中村勘九郎)が記念碑リニューアルの序幕を行った。現在、歌舞伎座では十八世中村勘三郎十三回忌追善『猿若祭二月大歌舞伎』が上演されている。

 記念碑の前に登場した勘九郎は、「初代猿若勘三郎がここへ来て、幕府公認の櫓をあげたのが2月15日。江戸歌舞伎が始まって400年、歌舞伎座で『猿若祭』ができて、しかも節目の日に勘太郎とこの地にいられる。それも、うちの父の十三回忌っていうね。ちゃんと『勘三郎』という名前がついた『猿若祭』になった」と語り、「これはね、本当にもう、向こう(天国)に行ってもこのプロデュース能力! 鳥肌立ちました」と父とのつながりをうなった。「十三回忌をやる、それが猿若400年。しかも2月。完全に(プロデュース)やってますよ。『俺の名前を入れて』って」と空を指した。

 勘三郎さんが2012年に亡くなった際、勘太郎は1歳。勘太郎は祖父の記憶は「あんまりない。少し覚えているくらい」という。勘九郎は、「『お祭り』という演技のいい演目があるんですが、子どもの頃、父は怖かったので、こしらえ(着替え)をしている時にそばに寄ったりできなかったんですが、(勘太郎を)お祭りの格好で抱っこしていて、考えられなかったですね」と懐かしんだ。また、「小さい頃って、虫歯菌がうつるから口に“チュー”しちゃいけないじゃないですか。でも父は、どうにかして口に“チュー”しようとするんです。それを阻止していました」と振り返った。現在も勘太郎に虫歯はないといい、勘九郎は「阻止したおかげです!」と笑顔を見せた。

 現在上演中の『猿若祭二月大歌舞伎』では、記念碑に描かれている演目『猿若江戸の初櫓』の主役・猿若を、12歳の勘太郎が勤めている。勘太郎は、「今までで一番難しかった踊り。初めて緊張したところはあります」と奮闘中。勘三郎さんが初演で猿若を勤めたのは31歳、勘九郎も23歳の時だったといい、勘九郎は「12歳で挑戦する演目ではないと思っていましたが、彼が稽古熱心で、何より芝居が好き。その熱意を感じて、彼に(任せました)」と明かした。「吸収力というか、お客様や共演者の方から力をもらって、日々進化しているのでうれしいです」と、息子の成長を喜んだ。

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