「ファンモンはもう解散はない」 ファンキー加藤、モン吉と再始動3年で明かす「そろそろ自分を許してあげてもいい」

ソロ活動10周年を迎えた歌手のファンキー加藤が今月14日、新曲『優しい光』をリリースした。母親にささげる歌として、45歳を迎えた今だからこそ伝えられる感謝をつづっている。2021年にファンキーモンキーベイビーズの活動を再開。ソロシンガーとしても節目を迎えたファンキー加藤がENCOUNTのインタビューに応じ、自身の歩みを振り返った。

ソロ活動10周年を迎えたファンキー加藤【写真:ENCOUNT編集部】
ソロ活動10周年を迎えたファンキー加藤【写真:ENCOUNT編集部】

ソロ10周年で、母親に捧げる楽曲

 ソロ活動10周年を迎えた歌手のファンキー加藤が今月14日、新曲『優しい光』をリリースした。母親にささげる歌として、45歳を迎えた今だからこそ伝えられる感謝をつづっている。2021年にファンキーモンキーベイビーズの活動を再開。ソロシンガーとしても節目を迎えたファンキー加藤がENCOUNTのインタビューに応じ、自身の歩みを振り返った。(取材・文=福嶋剛)

――どんな少年時代を送っていましたか。

「うちの家族は体育会系で僕は3人兄弟の次男として生まれました。幼い頃から目立ちたがり屋で児童会長をやったり、学芸会の演劇で主役をやったり、人前に立つのが好きでした。最初は漫画好きで将来は漫画家になりたかったんですけど、小学校、中学校といじめられっ子だったので、小学校5、6年生の時に地元の八王子でプロレスの試合を見て『俺も強くなってプロレスラーになりたい』と思うようになりました」

――本気でプロレスラーを目指していたと。

「本気でした。中3の三者面談でも、『俺はプロレス団体に行くから高校には行きません』と言って親を困らせて、『入団させてください』みたいな手紙をプロレス団体に送ったこともあります。当時は今みたいに道場とかジムが近くになかったので、毎日、公園でスクワットや腕立てをやっていました。学校では野球部に入っていたんですけど、校舎の壁に向かってローリングソバットの練習をしていました。おかげで体格も良くなって中学3年の時、いじめっ子をぶん投げてやっと勝つことができました」

――そこから音楽の道に進んだのは。

「中学3年生でアコギを持って友達とバンドを始めたんです。父の実家の山梨に帰省した時も20人くらいの親せきの前で歌ったらみんな喜んでくれて、『俺はもともと人を楽しませるのが好きなんだ』って気が付いたんです。中学卒業の時は公民館を借りてライブをやったりしました。高校でも音楽を続けていくうちにプロレス熱は冷めないけれど、『音楽の方もたくさんの人を楽しませることができるかも』と考えるようになりました」

――「ファンキー加藤」は、自らつけたそうですね。

「はい。昔、ラッシャー木村さんやアニマル浜口さんがいた国際プロレスという団体があって、名前の前にカタカナが付く個性的で面白いレスラーがたくさんいたんです。僕もヒップホップをやり始めて、他とは違う変わったことをクラブでやっていたので、名前を考えていたらファンキーという言葉が浮かんで『これだ!』って」

――他とは違う変わったこととは。

「ズボンをはいて上半身裸のネクタイ姿で紙芝居をめくりながらラップをするとか(笑)。父の実家でやっていた余興みたいな変なことばかりやっていたんだけど、みんなゲラゲラ笑ってくれました。そんな風に『お客さんを楽しませたい』という延長線でファンキーモンキーベイビーズが生まれました」

――メジャーデビューは27歳でした。それまでご両親も心配だったのでは。

「兄は学校の体育の先生になっていて、弟も就職して家族もいたから父は『3人の中で1人ぐらい変なヤツがいてもいいだろう』って放任主義でした。でも、母は心配性で、『そろそろ就職考えたら』って1回言われたことはあったかもしれない。でも、20代半ばあたりからは何も言わず、黙って見守ってくれていたような気がします」

――念願のメジャーデビューはお母さまが一番喜んだのでは。

「はい。ライブ会場に母が酒まんじゅうを50個くらい作って持ってきたんですよ。みんなの前で『遅咲きの息子をどうかよろしくお願いします』と言って、『俊介(加藤の本名)、これをみんなに食べてもらって』って。僕は『学校じゃないし、恥ずかしいからやめてくれ』って言ったんだけど、それからライブがあるたびに必ず酒まんじゅうを作って持ってくるんですよ(笑)。僕もだんだん面白くなりました。母親は『初江』と言うんですが、まんじゅうが届くと『はっちゃんの酒まんじゅうです』と言って何十人もいるスタッフさんに一人ひとり配りました。母は誰かのために何かをしてあげたいという性格の人なんですけど、ガキの頃はそのお節介が嫌でしたね。でも、20代を過ぎて、『この人、すごい人かも』と気が付きました」

――今回、ソロデビュー10周年のタイミングで完成した曲がお母さまのことを歌った『優しい光』です。

「いつか作りたいと思っていたんですけど、『個人的な歌だから、モン吉とファンモンで歌う曲じゃないよな』って。それでソロ10周年というタイミングで『今かな』と思って書きました。最初は、みんなのお母さんの歌を作ろうと思い、個人的な思いを排除しようと思ったら、全然書けなくなっちゃって。いろいろ悩んだ末に『加藤俊介と加藤初江の物語でも良いな』ってなりました」

――40代半ばを迎えた今だからこそ書くことができた曲だと。

「それはあります。このタイミングまで待って良かったと思います。母は3人の息子を育てるだけでも大変だったのに、学校の呼び出しが兄弟の中で一番多く、一番に迷惑を掛けてきたのは次男の僕ですから。そして、『みんなに喜んでもらいたい』という母の性格はそのまんま僕が引き継いでいます。なので、母にはたくさんのお客さんの前でステージに立っている自分の姿を見せることができて良かったです。今でも元気でライブに来てくれますよ」

――ソロになってからの10年という節目については。

「2013年にファンモンが解散して、単純に歌を続けたかったからソロを始めました。でも、ファンモンの楽曲こそ、自分がやりたいスタイルだったので最初の数年は、再スタートという感覚でした。でも、4、5年くらいたっても『元ファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤さんです』って紹介されたり、『ファンモンの復活はあるんですか?』と毎回聞かれることが嫌でした。一時期はファンモンの思い出を遠ざけようともしていました。そう言いながらも、ソロライブでファンモンの曲を歌っているし、新しいことをやろうと思っても、結局はファンモンでやってきた音楽が自分の音楽だから悩んでいたんです」

プロレスはファンキー加藤のもう1つの原点【写真:ENCOUNT編集部】
プロレスはファンキー加藤のもう1つの原点【写真:ENCOUNT編集部】

ファンモン再結成のオファーを断っていた理由

――ファンモン一夜限りの再結成は簡単ではなかったと。

「葛藤していましたね、2021年にTBSさんの特番『音楽の日』で復活したんですが、実はその前からオファーをいただいていて、『嫌だ』と言って3、4回お断りしました。ソロとしてやってきたけど、まだ成し遂げていない状態だったからです。自分のことを許せないとか好きになれない自分がどこかにいて、再びファンモンというデカい存在と向き合う気持ちにはなれなかったんです。そしたら、事務所の社長が『8年もソロを続けて、今もコンスタントにリリースもできてツアーも組めるっていうのは、お前がちゃんと踏ん張ってやってきた証拠だ。十分成し遂げている』と言ってくれました。初めてそんな風に認めてくれる言葉を掛けてもらい、ようやく『そろそろ自分を許してあげてもいいのかな』と思えるようになりました」

――モン吉さんと久しぶりに歌った瞬間はいかがでしたか

「最初は不安でしたけど、『あとひとつ』(10年)のサビの部分で『あの日に戻った!』っていう感覚を味わいました。『ファンモンって強えな』と思いました」

――再始動から約3年、今回はソロとしてのリリースです。

「ファンモンはもう解散はないです。だから、ソロ活動とバランスよくやっていくことで長く続けていきたいと思っています。何よりうれしかったのは、『加藤さんソロもやってください』というファンの声をたくさんいただけたことです」

――うれしいですね。

「それは10年ソロをやり続けてきたからだと思います。ソロからファンになってくださった方も多いんです。社長の言葉じゃないけれど、『踏ん張ってやってきてよかったな』と思います。今年は節目なんで大きい会場でもライブをやりたいと思っています」

――昨年はヒロミさんと一緒に地元・八王子市を盛り上げる音楽フェス「八王子魂」を開催しました。

「今までファンモンで実現できなかった僕の地元・八王子でフェスを開催することができて、大きな夢が1つかないました。ヒロミさんが旗振り役として立ってくださったおかげです。ヒロミさんの地元愛や人間力は他の誰にもまねできないことで尊敬しています。これからも微力ながら八王子会のみなさんと地元を盛り上げていきたいと思います」

――プロレスの話に戻りますが、「プロレスリング加藤」としてSNSでプロレス情報を発信し続けている理由は。

「僕のアカウントでプロレス情報を投稿していたら、プロレスを知らないファンのみなさんには『温度差がすごい』『止めてください』ってめちゃくちゃ不評だったんです(笑)。それでプロレス専用のアカウント作ったら、ずっと我慢してきたプロレス愛が爆発して、多い時は1日に20件くらい投稿しています。コアなプロレスファンのみなさんにはおこがましいのですが、自分の人生の原点でもあるプロレスの面白さをこれからもたくさんの人に発信していきたいと思います」

□ファンキー加藤 1978年12月18日、東京・八王子市生まれ。2004年、FUNKY MONKEY BABYSを結成し、リーダーを務める。06年、『そのまんま東へ』でメジャーデビュー。数々のヒット曲を生み出し、『NHK紅白歌合戦』に09年から4年連続で出場。13年、2日間の東京ドーム公演で10万人動員を記録して解散。14年、ファンキー加藤としてソロデビュー。11年3月11日発生の東日本大震災から10年を迎えた21年3月11日、TBS系『音楽の日』でFUNKY MONKEY BABYSとして一夜限りの復活。それをきっかけに、ファンキー加藤とモン吉の2人体制で「FUNKY MONKEY BΛBY’S」として活動を再開した。

ファンキー加藤 公式HP:https://funkykato.com/

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