姉には「感謝しかない」 白血病と闘病の格闘家、骨髄移植から14年「ようやく姉となじんだんですね」

白血病と闘い続けた格闘家が25年の格闘技生活に幕を下ろす。元K-1戦士のノブ・ハヤシ(チャクリキ・ジャパン)は2008年、急性骨髄性白血病を発症。一度は回復したものの、再発し、長姉から骨髄移植を受けた。昨年春、13年以上にわたって飲み続けていた免疫抑制剤の服用をやめ、病を“克服”。21日に東京・後楽園ホールで天田ヒロミとのエキシビションによる引退試合を控えたハヤシが激動の人生を振り返った。

急性骨髄性白血病と闘ってきたノブ・ハヤシ【写真:ENCOUNT編集部】
急性骨髄性白血病と闘ってきたノブ・ハヤシ【写真:ENCOUNT編集部】

日中に極度の眠気…見逃していた不調のサイン

 白血病と闘い続けた格闘家が25年の格闘技生活に幕を下ろす。元K-1戦士のノブ・ハヤシ(チャクリキ・ジャパン)は2008年、急性骨髄性白血病を発症。一度は回復したものの、再発し、長姉から骨髄移植を受けた。昨年春、13年以上にわたって飲み続けていた免疫抑制剤の服用をやめ、病を“克服”。21日に東京・後楽園ホールで天田ヒロミとのエキシビションによる引退試合を控えたハヤシが激動の人生を振り返った。

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 都内のジムで取材に応じたハヤシは表情をやや緩めて言った。

「今はもう免疫抑制剤を飲んでいないですね。昨年の春からです。骨髄移植してから10年以上、飲んできましたけど、とりあえず肺炎も出ていないので、落ち着いている感じです。たぶん、姉となじんだんですね。ようやくこれで。もしかしたらまた反発して(肺炎などが)出るかもしれないですけど、今は何も出ていません。再発の恐れもない感じです」

 10年1月の長姉からの骨髄移植後、長期にわたって免疫抑制剤を服用してきた。

「簡単に言うと、僕の免疫を抑えてしまう薬です。なぜかというと血縁とはいえ他人の骨髄が入っているので、それとなじまなきゃいけない。僕の免疫が強すぎると、それを弾くんですよ。『あ、敵や』と思ってやっつけゃうので、それで肺炎になったり、ドライアイになるんです」

 症状が安定したまま、もうすぐ1年を迎える。「克服」という言葉は使わなかった。ただ、ハヤシにとっては大きな一歩だ。

「完全に治るということは言えないんですけど、心配がないかなって」

 アンディ・フグやピーター・アーツと対戦経験があり、K-1 JAPAN GPで準優勝するなど、順調にキャリアを歩んでいたハヤシ。

 体に異変を感じたのは08年のことだった。

 練習中に体が動かない。体中に原因不明の黒いぶつぶつができ始める。そして、日中でも猛烈な眠気に襲われた。ジムにいてもソファーで寝てしまうほどだった。「ほんま、やばかったですよね。眠気って結構我慢できるじゃないですか。もう我慢できないぐらい、勝手に寝てしまうんですよ」。風邪をこじらせると、声が出ない。定期健診は1年ほどご無沙汰だった。耳鼻科を診療し、血液検査を受けると、担当医の表情が曇った。

「これはうちの科では手に負えない」

 大学病院の血液内科。そこでハヤシは白血病と告げられる。そのまま即入院。不思議と動揺はそこまでなかった。「試合はできるんですか?」。どんな病気なのかも知らず、リング復帰ができるかどうかハヤシは尋ねた。

 抗がん剤治療は1か月に一度、無菌室で2週間にわたって行われた。部屋の外とは遮断された空間で、点滴や輸血を実施。「1発目で抜けていきます。もう毛という毛が全部」。ハヤシの風貌は一変した。

オランダ時代の血気盛んなハヤシ【写真:本人提供】
オランダ時代の血気盛んなハヤシ【写真:本人提供】

「あ、これ死ぬな……」 強烈だった抗がん剤治療の反動

 ハヤシの免疫は生まれたばかりの赤子のようになった。そのため、無菌室を出ると、わずかな菌から感染症を患う可能性があった。「ちょっとした菌でも熱が出ました。それこそ、口の中に元々ある菌で熱が出たり」。初回の治療後は特に大変だった。「1回目の抗がん剤のときはひどくて、42度ぐらいまで熱が出たかな。あ、これ死ぬな……って。病室に見たことのない先生がいっぱい来ていましたね」。効くはずの抗生剤が効かなかったことが原因だった。「だから、それこそ免疫ないのに、自己免疫でどうにかせなあかんぐらいの状況でした」といきなり試練を迎えた。

 無菌室に入ったのは計6回。退院まで治療は7か月に及んだ。なんとか寛解状態になり、一度は退院したものの、09年12月、定期検査で再発が発覚。わずかに白血病細胞が確認された。

「定期検査で骨髄を調べるんですよ。自覚症状が全くなかったので、逆にびっくりしました。もう元気で、体も動けるようになってきて、また試合もできるっていうときですよね。2回目のときのほうが、気持ち的にはしんどかったです」

 今度は治療法も異なった。 

「再発してしまったので、骨髄移植をしなければいけない」

 ドナーとは白血球の型が適合する必要があり、一般的にその確率は数百から数万分の一とされる。「きょうだい間でもなかなか一致することが難しい」という中で、幸運にも長姉の型が適合した。

「一致しなければ、骨髄バンクに登録してドナーが見つかるまでずっと待たなきゃいけない状況。それもただ待つだけじゃなくて、ずっと抗がん剤を受けながら待つ。見つからなかったらずっとじゃないですか。そこまで考えてはなかったですけど、ほんまに合ってよかったなって思いました」

 姉は看護師をしており、状況を理解していた。

「僕は体が大きいので、ちょっと負担がかかるみたいなので、ごめんなって言いながら。(骨髄液を)最大量、取らなきゃいけないみたいで。姉は2人とも、看護師なんですよ。母親もそうなんですけど、(家族全員が)そういう状況とか分かってくれて、嫌だとかそんなのもなかったです。長姉は徳島に住んでいたので、仕事を休んでもらって、入院のために東京に来てもらいました」

 骨髄移植の前には、強めの抗がん剤治療を受けた。

「なぜ強い抗がん剤をやるかというと、もう僕をなくさなきゃいけないんですよ。受け入れるために。僕はもう完全にゼロにならないとダメだったんです」

 10年1月、移植は成功。6か月の入院の末、ハヤシは退院した。

天田ヒロミとの引退試合が近づいている【写真:ENCOUNT編集部】
天田ヒロミとの引退試合が近づいている【写真:ENCOUNT編集部】

病室を飛び出し試合会場へ 青木真也戦の秘話

 姉の骨髄となじませるため、ハヤシは自身の免疫を抑えるための免疫抑制剤を飲み続けた。

 経過は順調だったが、平たんな道のりでもなかった。2019年9月、新宿フェイスでの青木真也戦は突然、エキシビションマッチに変更となった。これには裏話があった。

「免疫抑制剤を飲んでいなかったんです。もう大丈夫と言って1か月か2か月、飲まなかったんですけど、それで(姉の骨髄と)反発しちゃって肺炎になったんです。僕は都内の病院に入院していて、『先生、お願いします。ちょっとだけやらせてください』と頼んで、エキシビションみたいな形でやらせてもらいました。病院からタクシーに乗って新宿フェイスに行って、終わったら新宿フェイスから病院にタクシーで帰っています」

 20歳でオランダでデビュー。紆余曲折を経て、迎える引退試合。こみ上げる思いは。

「病気して、休んでいる期間もあったりしての25年やってきたなという感じですけど、変な話、格闘家として、キックボクサーとして、僕はチャンピオンにもなっていない。成功したかどうかと言えば、僕は全然成功していないと思っているんですけど、オランダに行ったこともそうですし、病気も含めて、人が体験したことないような体験をさせてもらった。自分なりには、いい格闘技人生だったというか、そういう気持ちのほうが大きいですね」

 ドナーになってくれた長姉に対しては「もう感謝しかないですね。それしかないです」との思いだ。

 リングから試合を通じて、白血病と闘う姿を示してきたハヤシ。今後は格闘界を盛り上げていく一方で、日本骨髄バンクと協力し患者を支援する活動も続けていく。これまで白血病との闘病歴を知って応援してくれたり、ときには遺族から激励を受けることもあった。「同じ病気や大きい病気で苦しんでる方もサポートできたらいいなって思っています」とハヤシは結んだ。

次のページへ (2/2) 【写真】面会もガラス窓を挟んだ
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