男性ソプラノ歌手・岡本知高、特別支援学校で過ごした4年で感じた「人と違うことは当たり前」

派手な衣装とメークが特徴のソプラノ歌手・岡本知高が、CDデビュー20周年を記念し、3月7日と9日に地元・高知県内で凱旋コンサートを開催する。バラエティー番組などで見せる明るいキャラクターは、高知の大自然の中ですごした幼少期にあるという。足の病気で施設にいた少年時代、サックス専攻から声楽の道に舵を切った青年時代……。波乱に満ちた故郷の思い出をENCOUNTで語った。

自身の半生を振り返った岡本知高【写真:舛元清香】
自身の半生を振り返った岡本知高【写真:舛元清香】

ソプラノ歌手・岡本知高インタビュー、波乱に満ちた思い出振り返る

 派手な衣装とメークが特徴のソプラノ歌手・岡本知高が、CDデビュー20周年を記念し、3月7日と9日に地元・高知県内で凱旋コンサートを開催する。バラエティー番組などで見せる明るいキャラクターは、高知の大自然の中ですごした幼少期にあるという。足の病気で施設にいた少年時代、サックス専攻から声楽の道に舵を切った青年時代……。波乱に満ちた故郷の思い出をENCOUNTで語った。(構成=福嶋剛)

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 僕が生まれ育ったのは高知県宿毛市。海も山も川もある自然豊かな田舎でした。潮の流れが速いので、夏は海ではなく、宿毛市に流れる松田川で泳いでいました。父親が日本野鳥の会の会員だったので、野山では鳥の名前を教えてもらったり、冬は、ばあちゃん手作りのちゃんちゃんこを着て田んぼで犬と走り回っていました。昭和の終わり。ひまわりみたいに元気に育った子どもでした。

 3人兄弟でヘヴィメタル好きの10歳上の兄、保母を目指して家でピアノを弾いていた7歳上の姉がいて、僕の夢は「志村けんさんの弟子になること」でした。人を楽しませることが大好きな僕の原点は、ここから始まりました。

 ところが、小学1年生の時に「ペルテス病」という足の病気にかかりました。それから、家族と離れ、高知市内の特別支援学校で治療とリハビリの生活が始まりました。「何年も未知の世界で生活しなきゃいけない」という不安を抱きながら、実家から施設まで3時間かけて車で移動したのを覚えています。母は気丈でしたが、父は幼い僕を施設に入れなくてはいけない辛さで涙を流す毎日だったそうです。

 施設に到着すると、車椅子の子、ヘッドギアをしている子、手足が不思議な形に曲がっている子、目が見えない子など、今まで自分が見たことのない子どもたちがいました。ショックで最初の1週間はベッドから出られず、泣いていたそうです。でも、その後はみんなと楽しく遊ぶようになりました。

 施設は、子どもたちの出入りが頻繁で、あっという間に僕が「先輩」になりました。障がいの度合いは一番軽い方で、新しく入ってくる子たちが早く馴染めるようにサポートする役をやっていました。

 幼い頃に親元を離れて寂かったり、障がいを抱えて「しんどいだろうな」と思う人も多いことでしょう。僕も週末に自宅に戻ると、知り合いの大人たちから「かわいそうに」と言われました。でも、実際に生活してみると、どんな障がいを持っているかは関係なく、みんな自我があって、割と気が強い子の方が多かったんです。装具や松葉杖の技術が卓越していてとても速く走れるし、目が見えない子には鈴を鳴らして教えてあげることはごく自然でした。先生たちから「こうしなさい」と言われる前に、自然とコミュニティーが生まれていました。欠けているとか足りないとか、周りが思っていてもそれを「当たり前」として生きているので、みんな楽しく生活ができていたのです。リレーごっこの時は速い子が多かったので、チームの振り分けは、ワイワイ言いながらみんなで真剣に考えました。最近、「多様性」という言葉が使われますが、僕にとっては人と違うことは当たり前でごく自然なことだったのです。むしろ、施設は僕らの「楽園」でした。

 病気は4年生で完治し、5年生から地元に戻りました。長い間離れていたので、初めは転校生のような気分でした。居場所がないという不安がありましたが、友達から「おかえり」と言われ、一瞬で4年間が「昨日のこと」になりました。その仲間たちとは高校卒業までみんな一緒でした。リハビリで筋肉も付いたので、腕相撲大会で優勝して、率先して学級委員になったり、自分にも変化がありました。

 中学に上がると、吹奏楽にのめり込んでサックスを始めました。クラシックだけじゃなく、ロックも歌謡曲もいろんなジャンルを演奏できるので、心から「好きだ」と思えるものに出会えた気がしました。そして、中学1年の時「音楽の先生になる」と決めました。ただ、思春期で、人と比べてぽっちゃりしている体形にコンプレックスを感じて「自分なんて……」と自信が持てなくなってしまいました。

 そんなある日、母が「この人たちを見てみな」と言い、僕をテレビの前に呼びました。『音楽・夢コレクション』(NHK総合)という番組で、モリクミ(森公美子)さんと中島啓江さんのパワフルなデュエットに衝撃を受けました。体格がコンプレックスだった自分が恥ずかしいと思うようになり、羞恥心を脱ぎ捨てるきっかけになりました。それからは、教室で堂々と歌を披露したり、口角を上げてニコニコ顔で歩こうと心がけたり。子どもの頃の明るさも戻り、サックスの練習にも力が入りました。

 高校3年生の時には、大きな転機ありました。サックスは東京の先生に教わり、音大受験を目指せるレベルに達していたので、先生からは「サックス専攻で音大へ」と勧められていました。ですが、僕は頑なに「音楽の先生になります」と言いました。ただ、「教師の道」に進むには歌もやらなくちゃいけない。なので、声楽の先生の前で歌っていたら「岡本くんは全部僕が弾くピアノより、1オクターブ上を歌っているんだけど」と言われ、僕は「真面目に歌っています」と答えました。中学時代から友達も誰ひとり僕の声がずっと高いことには気付いていなかったので、僕自身もそれが「特殊な声域」だとは知らなかったのです。

 声楽の先生が、国立音大の先生に電話で僕のことを伝えたところ、「東京に連れてきなさい」と言われたそうです。実際に上京して音大の先生の前で歌うと、「君は飛び抜けた個性を持っているから、教育科よりも声楽科に挑戦してはどうか」と言われました。生まれ変わったら、モリクミさんや中島さんみたいになりたいと思っていたので、「もしかしたら、自分も(ステージに)立てるかも」と思うようになり、国立音大を受験しました。そして、試験会場で歌うと、オーディション番組の審査員みたいな大勢の先生方が、驚くような表情に変わりました。その瞬間のことは今でも覚えています。

故郷への熱い思いを胸に高知で凱旋公演を行う【写真:舛元清香】
故郷への熱い思いを胸に高知で凱旋公演を行う【写真:舛元清香】

派手な衣装とメークを始めたきっかけとは

 18歳で上京して国立音大に入学すると、声楽科で1、2番を争うようになりました。そして、片っ端からコンクールを受けて人前で歌う楽しさを覚えました。オペラ歌手になるための留学も経験し、周りの方から「オペラ歌手になりなさい」とオペラ劇場のオーディションなど、さまざまなチャンスをいただきました。ただ、学んでいくうちにクラシックだけではなく、「自分の人生を歌いたい」という気持ちがあふれ出てきました。同時に子どもたちを楽しませるエンターテイナーを目指したいと思うようになっていき、留学から戻り、歌手としての活動を始めました。

 志村けんさんにはお会いできませんでしたが、芸能界に入ってモリクミさん、中島さんをはじめ、子どもの頃に憧れていた有名人の方々とご一緒できました。そして、この世界の厳しさや芸に対するひたむきな姿勢を目の当たりにしました。アーティストとして尊敬する先輩のデーモン閣下とも何度も共演させていただき、音楽的にもビジュアル的にも閣下と通ずる世界を感じました。

 派手な衣装とメークを始めたのは大学3年の時でした。プロとして見栄えも大切だと思い、東京の問屋街で生地を買い、裾上げテープとアイロンを使って初めて衣装を作りました。それを着てストールを巻いてみたら、海外のゴスペル歌手みたいな格好になったのですが、顔だけスッピン。「プロなら徹底しよう」と思い、今のメークとヘアスタイルが完成したという訳です。僕自身は「これでいけるぞ」と思いましたが、周りの人たちには、「羞恥心を忘れた痛い人」に見えたかもしれませんね(笑)。

 昨年、CDデビューから20周年を記念してベスト盤『あなたに太陽を』をリリースしました。僕の歌はクラシックの声楽がベースになっていますが、自分の言葉として伝えられるように、みなさんに響きやすい歌い方に変えて歌うように心がけています。これを引っ提げ、3月9日には「高知市文化プラザかるぽーと」で凱旋コンサートを行います。地元でのソロコンサートは、これまで数えるくらいしかやってこなかったのですが、僕の原点で人生を詰め込んだ歌をみなさんに届けたいと思います。

 振り返ると、僕は子どもの頃からいつも自分だけのオリジナルの道を選択してきました。自分の好きなことを貫き通して正直に生きてきた。なので、これからも「絶対にウソがない気持ち」を大切に歌っていきたいです。

□岡本知高(おかもと・ともたか) 1976年12月3日、高知・宿毛市生まれ。98年、ベートーヴェン『第九』日本初演80周年記念再現リサイタルで、ソプラノソリストとしてデビュー。2003年、アルバム『ソプラニスタ』でCDデビュー。06年にフジテレビ系フィギュアスケート中継のテーマ曲『ボレロ』を担当し、現在も歌声が流れている。「奇跡の歌声」と称され、個性的なキャラクターとコスチュームでも存在感を示している。

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