つんく♂プロデュースで大々的デビューも「事実上のクビ」 売れなかった松井雄飛さんの今
セカンドキャリアで手掛けた事業で成功している元アイドルは少なくない。グラビアアイドルでは、TBS系バラエティー番組『ワンダフル』に出演していた小野砂織がエステ店を立ち上げ、元AKB48の川崎希はグループを脱退後、男性向けのアパレルブランドを手掛け、セレブな生活をSNSで発信している。男性に目を向けると、元アイドルの松井雄飛(まつい・ゆうび)さんが、都内で飲食店3店舗を経営していることが分かった。つんく♂プロデュースでソロデビューのキャリアを持つ40歳。彼の「今」を取材した。
2005年デビュー、11年に引退状態の40歳・松井雄飛さん
セカンドキャリアで手掛けた事業で成功している元アイドルは少なくない。グラビアアイドルでは、TBS系バラエティー番組『ワンダフル』に出演していた小野砂織がエステ店を立ち上げ、元AKB48の川崎希はグループを脱退後、男性向けのアパレルブランドを手掛け、セレブな生活をSNSで発信している。男性に目を向けると、元アイドルの松井雄飛(まつい・ゆうび)さんが、都内で飲食店3店舗を経営していることが分かった。つんく♂プロデュースでソロデビューのキャリアを持つ40歳。彼の「今」を取材した。(取材・文=白川ちひろ)
松井さんは第17回JUNONスーパーボーイコンテストのロックボーイ部門で、シャ乱Qのつんく♂に見初められ、グランプリに輝いた。2005年、ソロシンガーとして華々しくデビューを飾った。文字通りのシンデレラボーイだが、現実はイメージとはかけ離れたものだった。
「ちょっと変わったプロデュースの仕方に見えるかもしれませんが、デビュー前は修行のような形でつんく♂さんと毎日食事をともにしていました。おみそ汁の出汁の取り方、豆腐の切り方などを丁寧に教えてくださったかと思えば、突然、柔道を習うように言われ、黒帯を取ったりしました。そんな生活を経て大々的にデビューしたものの、リリースしたシングル曲は鳴かず飛ばずでした。その後、『このままでは給料も出せない』と言われ、セカンドシングルもリリースできないままに事実上のクビとなりました」
松井さんはその後もバンドを組んで大手レコード会社から楽曲をリリースしている。だが、結果は残せなかった。
「名だたる方々から何度もチャンスをいただきながらも、期待に応えることができなかった自分に憤りを感じた時期もありました」
最初のバンド・17 Septemberには、書籍『クビでも年収1億円』を大ヒットさせた有名実業家の小玉歩氏も在籍していたという。同バンドは11年に解散するに至った。
「事務所との契約が終了になり、会社が借りてくれていた寮を出ないといけなくなったんです。お金も住む家もなく、しばらくは友人の家を転々とし、アルバイトとストリートライブで稼ぐ日が続きました。母には『次のCDはいつ出るの』と聞かれていましたが、本当のことが言えずに金銭面でも頼ることができませんでした」
以降はコツコツと貯金。そんな生活の中でふと思いついたという。
「『そういえば最近、大好きなバンドメンバーに会えてないな』って。活動していたときは毎日会っていたから、寂しくなっちゃったんですよね。それで考えついたのが、『みんなで飲めるバーを作れば、毎日、あいつらに会えるんじゃないか』と。ドラえもんに出てくる空き地って、待ち合わせをしなくても自然と仲間が集まってくるじゃないですか。あんな感じで、『毎日、友達と楽しく遊べる場所を作れたらいいな』って」
思い立ったら即行動。松井さんはバンドメンバーに相談することなく、新宿区歌舞伎町に最初の店舗をオープンした。
「サプライズでメンバーの1人を店に連れていって、『俺と一緒に毎日ここで働いてくれない』って言ったんです。どんな反応するかなってドキドキでしたが、彼は『もう、お店作っちゃったんなら働くしかないでしょ』って笑って言ってくれました。彼は今も副社長として、僕の右腕となってくれています」
松井さんは現在、下北沢で1店舗と競争の激しい歌舞伎町で2店舗のバーを経営している。
「自分が元芸能人ということもあって、『芸能界で輝いていた元アイドルの子たちにセカンドキャリアとして働く場所を用意してあげたい』と思い続けてきました。そして今、歌舞伎町で店長をしてくれているのは、人気アイドルグループにいた女の子たちなんです」
店長だけでなく、従業員の大半が芸能活動を経験しているという。
「数百人規模のライブハウスを埋めるのって簡単なことではないですよね。でも、お店だったら自分たちのお客さまが来店してくれたらそれでいい。『どうしたら集客できるのか』。それを常に考えていた芸能界にいたときの僕たちの経験が、今の仕事に生きていると思います」
だが、20年春に世はコロナ禍に。松井さんは芸能界引退以来の窮地に陥ったという。
「緊急事態宣言が出て店を閉めなくてはいけなくなり、バーの売上はゼロになりました。いつ終わるか分からない状況に従業員と一緒に不安を感じていました。しかし、ちょうどこのタイミングで、僕は仕事を失っていた友人のために歌舞伎町にカレー店をオープンしていました。バーの常連さんは『松井くん、お店辞めないでよ!』と言ってくださり、カレー店に来てくださったおかげでバーでの売上がなくても、コロナ禍を乗り切ることができました」
現在は都内でダーツバーを含め、飲食店を3店舗経営。芸能界で苦労を重ねた松井さんは、同じ経験をしてきた仲間たちとたくましく日々を送っている。
□松井雄飛(まつい・ゆうび)1983年2月17日、北海道生まれ。2005年、第17回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのロックボーイ部門で初代グランプリを受賞。同年、つんく♂プロデュースでソロデビューするもブレークすることなく、11年には引退状態に。その後、飲食店を経営。17年には自身の経験を書いたエッセイ本『絶望色の空』が出版された。芸能関係者への人脈が広く、営むダーツバーには著名人が多数訪れている。170センチ。血液型AB。