大手事務所からデビュー→わずか3年で芸能界引退 53歳になった国実百合が33年ぶり復活「忘れ物取りに帰りたい」

元アイドルの国実百合さんが今月15日、33年ぶりにアイドルイベントのステージに立つ。事務所の先輩、河合奈保子、石川秀美、芳本美代子に続くホープとして1988年にシングル『青い制服』でデビュー。多くの歌番組、バラエティー、CMに出演したが、わずか3年で芸能界を引退した。もともと病弱だった彼女は、忙しさで疲弊して腎盂炎を発症。病の悪化で芸能活動を続けられなくなった。その後、エステティシャンやセラピストとして活動しながら、母親として一男一女を育てた。そして、53歳になった今、再びファンの前で歌うことを決めた。その理由を聞いた。

33年ぶりにステージに立つ国実百合さん【写真:舛元清香】
33年ぶりにステージに立つ国実百合さん【写真:舛元清香】

53歳・国実百合 エステティシャン、カウンセラーを経験後に2児の母

 元アイドルの国実百合さんが今月15日、33年ぶりにアイドルイベントのステージに立つ。事務所の先輩、河合奈保子、石川秀美、芳本美代子に続くホープとして1988年にシングル『青い制服』でデビュー。多くの歌番組、バラエティー、CMに出演したが、わずか3年で芸能界を引退した。もともと病弱だった彼女は、忙しさで疲弊して腎盂炎を発症。病の悪化で芸能活動を続けられなくなった。その後、エステティシャンやセラピストとして活動しながら、母親として一男一女を育てた。そして、53歳になった今、再びファンの前で歌うことを決めた。その理由を聞いた。(取材・文=福嶋剛)

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 国実さんは高2だった87年、河合、石川らを輩出した大手事務所の芸映と日本コロムビアが主催した「ザ・オーディション・ボーイズ・アンド・ガールズ」でグランプリを獲得した。翌88年にレコードデビュー。同期にはWinK、西田ひかる、藤谷美紀、中山忍、高岡早紀らがいた。

「松田聖子さんに憧れて親に内緒で応募しました。でも、デビューが決まってからは緊張と忙しさの毎日でした。記憶もほとんどなくて、アイドルになれたうれしさを噛みしめる暇さえありませんでした。子どもの頃から人見知りで、デビューしてからもスタジオでみんなの輪に入ることもできませんでした。いつもポツンと1人ぼっち。そんな私を先輩の芳本美代子さんがいつも励ましてくださり、箱根にドライブに連れて行ってもらったりしました。雑誌の水着グラビアでもご一緒して、本当のお姉さんみたいな存在でした」

 だが、91年に芸能界を引退。リリースしたシングル12曲を残し、きらびやかなステージを後にした。

「小さい頃から体調を崩しやすくよく入院していました。デビューしてからも仕事の合間に入院することもありました。最後は活動をお休みすることになり、そのまま事務所を辞めました」

 病気が回復してからはエステティシャンも経験し、カウンセラーとしても活動した。その後、2児の母親として子育てに専念。長男は27歳、長女は22歳になった。

「娘が20歳を過ぎた頃、コロナの自粛期間などもあり、自分のことを振り返ると同時にこの先のことも考える時間がありました。そこで押し入れにしまっていたアイドル時代のグッズやアルバムを引っ張り出し、記憶を取り戻す時間を作りました。アイドルだったあの頃、あんなに憧れていた世界だったのに入った瞬間から記憶がなくなってしまうくらいの過去です。その時期を振り返っていると、私のために必死になって支えてくださったたくさんの方々の顔が浮かびました。そして、『あの頃の忘れ物を取りに帰りたい』と思うようになりました。当時とは全然違いますけど、『国実百合として再出発してみたい』という気持ちがわいてきました」

 恩師との再会が、大きな後押しになった。

「昨年4月、私のデビュー曲から担当してくださった林哲司先生の作曲家50周年コンサートがありました。私は西村知美ちゃんに誘っていただき、ごあいさつに伺いました。作詞を担当された売野雅勇先生もいらっしゃったので、思い切って『先生方が作ってくださった歌をもう1度、YouTubeで歌わせてください』とお願いしました。そして、『自分の歌なんですから。歌っていいんですよ』と言っていただき、『よし、やってみよう』と決心。5月にはブログを再開し、YouTubeも見よう見まねで始めました」

スマホをマイク代わりにYouTubeの音声を録音【写真:舛元清香】
スマホをマイク代わりにYouTubeの音声を録音【写真:舛元清香】

クローゼットの中でYouTubeの歌唱録音

 YouTubeにアップする動画は、子どもたちの手を一切借りずにスマホだけでゼロから作っているという。あらためて今の自分が、「国実百合」と向き合い、試行錯誤する時間を「尊い」と感じている。

「動画ってどうやったら作れるのか分からなくて、でも、子どもたちにダメ出しされるのも嫌で(笑)。『意地でも1人でやってみよう』と思い、ガレージバンドというアプリを入れたんですが、音声専門のアプリだったんです。でも、それを使って雑音が入らないようにクローゼットに入り、iPhoneのマイクを使ってデビュー曲の『青い制服』を録音しました。それからスライドの写真やイラストをいろいろと選んで、私の中での曲のイメージに合うように丁寧に作りました。多分、詳しい人が見たら『ちょっとおかしいな』と笑われてしまうかもしれませんが、当時よりも深く自分の曲と向き合っている感じがします。そんな思いをファンのみなさんと共有できたらうれしい。そう思いながら作っています」

 国実さんは芳本のYouTubeチャンネル「みっちょんINポッシブル」にも出演。久しぶりに元気な姿をファンの前に見せた。

「美代子さんの撮影方法を見て『YouTubeってこんな風に撮影するんだ』って初めて知りました(笑)。久しぶりの顔出しで緊張しましたが、すごく反響もありました。やっぱり、YouTubeは顔出しした方がいいのかな? 少しずつ進化していきたいと思います(笑)」

 再び歌と向き合い、「今度は人前で歌いたい」と思ったという。そのタイミングで今月15日、東京・新大久保のライブ会場・R’sアートコートで開催されるイベント「アイドルアーカイブス」にゲスト出演することが決まった。他にも立花理佐、仁藤優子が出演し、元CoCo・宮前真樹さんの司会で懐かしのトークと歌を披露するという。

「みなさんの前で歌うのは91年のファーストコンサート以来33年ぶりです。本当に久しぶりなので、ワクワク感とドキドキ感が入り混じっています。ファンの皆さんと一緒に楽しめるイベントになっていますので、ぜひ、一緒に楽しい時間を過ごしましょう」

 ENCOUNTでは、33年ぶりのステージを終えた国実さんの思いも伝える。

□国実百合(くにざね・ゆり)1970年12月19日、高知市生まれ。87年、芸映が主催の「ザ・オーディション・ボーイズ・アンド・ガールズ」で優勝。88年3月16日、『青い制服』でデビュー。シングル12枚、アルバム6枚をリリースしたが、91年、腎盂炎の治療に専念するため、芸能界を引退。以降はエステティシャン、カウンセラーとして活動。96年に長男、2001年に長女を出産。23年、YouTubeチャンネル「国実 百合 / Yuri Kunizane」をスタート。

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