転職で介護職員に 想像以上だった現実 処置中に飛ぶビンタ、食事を口から噴射…こみ上げた後悔の念

認知症になり101歳で亡くなった祖父を看取ったグループホームの職員たちが流した涙。「自分も何かの役に立ちたい」と志願し、転職して飛び込んだ世界の現実はまるで違った。グループホーム勤務初日に入居者のおばあちゃんから手渡されたのは、うんち。想像以上だった介護の現場……。「後悔」の思いを持ちながらも、認知症高齢者との交流で日々の楽しみを見つけ、知的好奇心を感じながら仕事に取り組んでいる。高齢化社会が進む中で、重要さを増す担い手の存在。現役介護職員の33歳女性に、“認知症介護のリアル”を聞いた。

認知症介護の現場のリアルな実態とは(写真はイメージ)【写真:写真AC】
認知症介護の現場のリアルな実態とは(写真はイメージ)【写真:写真AC】

認知症になり101歳で長寿を全うした祖父の死がきっかけ 「何かの役に立ちたい」と志願

 認知症になり101歳で亡くなった祖父を看取ったグループホームの職員たちが流した涙。「自分も何かの役に立ちたい」と志願し、転職して飛び込んだ世界の現実はまるで違った。グループホーム勤務初日に入居者のおばあちゃんから手渡されたのは、うんち。想像以上だった介護の現場……。「後悔」の思いを持ちながらも、認知症高齢者との交流で日々の楽しみを見つけ、知的好奇心を感じながら仕事に取り組んでいる。高齢化社会が進む中で、重要さを増す担い手の存在。現役介護職員の33歳女性に、“認知症介護のリアル”を聞いた。(取材・文=吉原知也)

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「毎日辞めたいです、基本は。『もう明日絶対辞める』って。私がやらなきゃという使命感は全然ないですが、『まあ、なんだかんだ楽しいこともあるから、辞めるほどでもないか』と、思い直す瞬間があります。どの仕事もそうじゃないですか?」

 事務職から転身してグループホーム職員になって約3年。このほど著書『気がつけば認知症介護の沼にいた。もしくは推し活ヲトメの極私的物語』(古書みつけ刊)を上梓した畑江ちか子さんは、率直な本音を聞かせてくれた。

 101歳の長寿を全うした父方の祖父。認知症の症状が進行し、徘徊(はいかい)や家族への暴力的な言動が手に負えなくなり、施設に預けることになった。亡くなった際に、職員たちは祖父の顔を見て泣いてくれた。「赤の他人のことなのに、祖父と関わったのはたった数年なのに、こんなに泣いてくれるんだって。ありがたさを感じました。大変な仕事であることは分かっていましたが、自分ができることで役に立てればと思いました」。高齢化社会を下支えする介護職従事者への恩返しの気持ちにも駆られたという。

 初日から待っていたのは、「しんどい現実」だった。入居者の個性や特徴はさまざま。うんちの贈り物だけではなく、薬を塗るなどの処置中にビンタが飛んでくるおばあちゃん、食事の介助中に口の中の食べ物を“毒霧”のように顔に吹き付けてくるおばあちゃん……。完全に面食らった。

 しかし、畑江さんは、ただ「つらい」というだけの受け止めをしていない。視点を変えて、高齢者に歩み寄り、触れ合いを楽しんでいる。

「うんちを手渡すおばあちゃんには理由があるんです。排泄物は、施設利用者の健康状態を把握するうえで重要な情報です。職員たちがいつもどんな排泄だったかを気にしているので、持ってきて見せて報告してくれるんです。後からそのことを知りました。初めは理由も分からず、あ然としましたが、行動には理屈があったんです。とても優しい方なんですよ。他にも、レクリエーションの時間にすごい声量で戦時歌謡や軍歌を歌うおじいちゃんもいます。でも、聞いているうちに、『戦時歌謡ってめっちゃいい曲多い!』と思うようになって。高齢者と接することで、自分が知らない世代の文化に触れることができます。昔の時代の生き方や価値観の違いを知ることも興味深いですし、タメになると言いますか、私は高齢者の皆さんを『生きる文化財』と表現しています」と実感を込める。

 朝の「おはよう」のあいさつに「おはよう」と返してくれる。そんな日常の会話、ささいな言葉のやりとりからも、楽しさを感じているという。それに、「この間も、髪色を茶から黒に戻したら、『髪色変えた?』と声をかけてくれた入居者がいました。認知症であっても高齢者の皆さんは結構、職員がどんな人なのかを見ているんですよ。だから気が抜けないです(笑)。やっぱり人間関係なんですよ」。当たり前だが、決して惰性で仕事をせず、人を物のように扱ってはいけない。大事な職業倫理を教えてくれた。

『気がつけば認知症介護の沼にいた。もしくは推し活ヲトメの極私的物語』を上梓した畑江ちか子さん【写真:ENCOUNT編集部】
『気がつけば認知症介護の沼にいた。もしくは推し活ヲトメの極私的物語』を上梓した畑江ちか子さん【写真:ENCOUNT編集部】

2年間世話をしながらも逆に精神的に支えてもらったおばあちゃんとの別れ

 離職率の高さに悩む業界は慢性的な人手不足に陥っている。「介護職は『きつい』『汚い』『危険』に『給料が安い』で『4K』と言うんでしたっけ? まあそれはそれで事実ですが(笑)、高齢者と触れ合うことは案外楽しいんですよ」。その言葉の背景には、貫かれている仕事観がある。「介護職の友人が何人かいていろいろ話をしますが、仕事は仕事で割り切るという考え方もOKだと思います。私はプライベートも仕事も楽しみたい派です。なので、仕事中にハプニングや困難が訪れたときは、ある種のゲーム感覚で、解決したり乗り越えたときに『レベルが上がった、経験値が上がった』と考えるようにしています。自分の成長と捉えるようにしています」。

 畑江さんには、大事にしているものがある。個人で書きためている日記だ。苦労したことを中心に、自分の感情やうまくいった対処法などを記録している。「入職当時、初心を忘れちゃいけないなと思って書き始めました。あのときはああだったのかと読み返すことができます。それに、業界未経験で入った職員にどう寄り添えるか、新人はどこに不安を感じるのか。そんなこともつづっていて、実はこの日記が今回の著作の大きな素材になりました」。数冊の分厚い手帳が、介護職員として生きるうえでの道しるべにもなっている。

 入居者を看取り、ご遺体の体を拭いて搬送する経験もした。別の入居者からたたかれて真っ赤になった腕を一生懸命さすってくれて、2年間お世話をしながらも逆に精神的に支えてもらったおばあちゃんとの今生の別れもあった。

 だからこそ、強く感じている思いがある。

「仕事なので対価をもらうために働いている側面もありますが、私自身がご本人やご家族から、感謝を受ける立場になったんだな、と感じることが増えてきました。祖父もこんなふうに最後まで尽くしてもらって看取ってもらったのかな、と考えることもたまにあります。祖父が亡くなったあのとき、私たち家族が施設の職員さんからやってもらったことと同じことを、今の私がお返しできているのか。自問自答することもあります。これからも私自身がちょっとでも支えになることができればと思っています」

□畑江ちか子(はたえ・ちかこ)1990年、神奈川生まれ。高校卒業後に事務職に就くが、祖父の死をきっかけに介護業界に転職。「元来のオタク気質」で、趣味は乙女ゲーム。10代から続く推し活が「日々を生きる糧」になっている。

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