全国にあった“奇妙な形”の団地がレトロな文化財に 収容力とコストで劣るのになぜ発展?

まるで「三ツ矢サイダー」のような、奇妙な形をした団地住棟「スターハウス」という建物が、日本各地に残りつつも数を減らしている。戦後の一時期にだけ流行したこの様式を研究した書籍も出版された。特徴的なデザインからは、昭和の団地に込められた思想もたどることができる。

三方向に「腕」が伸びて住宅になっている【写真:海老澤模奈人氏提供】
三方向に「腕」が伸びて住宅になっている【写真:海老澤模奈人氏提供】

昭和30~40年代の団地で流行

 まるで「三ツ矢サイダー」のような、奇妙な形をした団地住棟「スターハウス」という建物が、日本各地に残りつつも数を減らしている。戦後の一時期にだけ流行したこの様式を研究した書籍も出版された。特徴的なデザインからは、昭和の団地に込められた思想もたどることができる。(取材・文=大宮高史)

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 上から見ると、三ツ矢サイダーのサインかYの字のように、三方に分かれた構造が特徴的な「スターハウス」。団地といえば長方形のイメージを打破するこの様式では、三方の「枝」の部分に同じように住居を設け、真ん中に階段などの共有スペースを集約した。現在でもUR都市機構の常盤平団地(千葉・松戸市)、赤羽台団地(東京・北区)、香里団地(大阪・枚方市)など全国に残っている。

 このスターハウスの歴史と思想、保存のための取り組みをまとめた研究書『スターハウス 戦後昭和の団地遺産』が11月6日に出版された。編著者である東京工芸大学教授の海老澤模奈人氏への取材とともに、珍しい団地建築の歴史と現在をたどった。

 スターハウスが建設され始めたのは昭和20年代末期で、1955年に日本初のスタ―ハウス建築として、茨城・水戸市の県営釜神町アパートが完成する。

「狭い土地や斜面でも建てられること、三方向から光が当たって採光性がよいという長所がスターハウスにはあります。そしてこのデザインですから、団地の景観に変化をつけることができます。昭和30年代を通じて、日本住宅公団の団地や公営住宅で幅広く採用されました」

 なぜこんなスタイルの建物となったのか? 日本でスターハウスを発案したのは、市浦健という建築家。昭和20年代、戦災復興期に劣悪な住宅事情の改善が望まれるなかで公営住宅のワンスタイルとして現れた。これを当時の日本住宅公団や地方自治体が標準設計として採用して、全国各地の団地に建てられた。

「実は、通常の長方形の団地に比べると、スターハウスは壁面積が大きく建設費が割高になります。より効率よく建設したいなら通常の団地建築を建てた方がよいのですが、スターハウスで変化をつけようとしたところに、当時の建築家たちの発想や試みが反映されていて、戦後まもない時代の豊かな思潮をたどることができます。建物の間の空間も広く取られていて、自然の空間を活用したい発想があった時代でもあります。市浦健という建築家の発想と結びついていることも、当時の一般的な標準設計の集合住宅にはない珍しい例です」

 スターハウスは通常それだけで団地を形成する例は多くなく、長方形の団地棟とともに大規模な団地を形成することが多かった。無機質な団地の景観にアクセントを加えてきた。

文化財として生まれ変わるもの、今でも現役のものも

 高度経済成長期に入り、住宅事情が改善されていく1960年代までスターハウスの建設ブームは続いた。しかし住宅公団は64年をもってスターハウスの建設をやめ、住宅公団以外の各地の自治体が建てた公営住宅でも、70年代なかばには終えんを迎えたという。60年代には従前以上に住宅の供給量を増やすことが目標になり、主に建設コスト面で劣るスターハウスが敬遠されるようになったと海老澤氏は指摘する。60年代には団地自体が、より大規模かつ高層になっていった。

「スターハウスも本来は、大量に住居を供給するための設計なので、1戸の生活空間は狭いのです。『腕』にあたる住居部分も、互いの距離が近く視線にさらされやすいことも短所でした。70年代には住宅事情も改善されて1人1室が確保できるような、ゆとりある住宅が普及してきますから、そこで使命を終えたともいえます」

 役目を終えたスターハウスは解体されていったものの、実は現役の住宅として使われている団地も多い。松戸の常盤平団地は60年から入居が始まり築60年を越えているが、10棟が現役。「公営住宅では山口・香川など瀬戸内に多く残っていく傾向がみられます」(海老澤氏)という中で、日本住宅公団の後継のUR都市機構が保有する、赤羽台団地に残っていた3棟のスターハウスと板状住棟1棟が2019年12月に国の登録有形文化財に登録された。現在は新設されたミュージアム棟とともに「URまちとくらしのミュージアム」となっている。海老澤氏も有形文化財登録に先立ち、日本建築学会内でURへの保存活用要望書の提出に携わり、その後スターハウスの調査を始めた。

「戦後の団地が文化財になるという、画期的な一里塚ができました。実は、公営住宅法で想定された公営住宅の耐用年数は、スターハウスなどの鉄筋コンクリート造建築で70年を想定していますから、現代でも住宅として機能しています。さらにリノベーションによって公園や新しい公共空間に転用される可能性もあるように思います」(海老澤氏)

 住宅でなくともかつての団地建築を文化財として、あるいはワークスペースやミュージアムとして、人々が集う場として再生する試みも始まっている。

「スターハウスはポイントハウスという、長方形で横に伸びていくのではなく細長く縦に空間を作っていく団地建築の一種に位置づけられます。市浦健も当初より高層のスターハウスを構想しており、実際に10階建て以上の高層のものも建てられて現存しています。上に上に伸ばしていく、という発想は現代のタワーマンションにも通じるスタイルです。建築史においても現代に影響を残していると実感できる建物なんですね。ただ奇抜なのではなく、自由な時代の発想と、現代のマンションの先祖になっている文化でもあります」

 かつては全国に当たり前にあった団地もレトロな文化財になる時代がやってきた。

次のページへ (2/2) 【写真】リノベーションされた東京都内の赤羽台団地に残るスターハウス
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