【週末は女子プロレス♯129】東京女子卒業の坂崎ユカ、米AEW参戦で揺らいだ心 世代交代実感も目指すは“若手の懸け橋”
東京女子プロレスの坂崎ユカが12月で団体を卒業、海外に拠点を移し、今後はアメリカAEWを主戦場に闘っていくことになった。坂崎は10年前の2013年12月1日、東京女子の旗揚げ戦でデビュー。シングルの頂点であるプリンセス・オブ・プリンセス王座を3度、プリンセス・タッグ王座も3度獲得。東京女子一筋に団体の顔として活躍してきたが、10年の節目に生まれ育った故郷を離れ、単身、海外での勝負に出る決意を固めたのである。
12月で団体を卒業「欠場期間中から最後になにをやろうか考えてて」
東京女子プロレスの坂崎ユカが12月で団体を卒業、海外に拠点を移し、今後はアメリカAEWを主戦場に闘っていくことになった。坂崎は10年前の2013年12月1日、東京女子の旗揚げ戦でデビュー。シングルの頂点であるプリンセス・オブ・プリンセス王座を3度、プリンセス・タッグ王座も3度獲得。東京女子一筋に団体の顔として活躍してきたが、10年の節目に生まれ育った故郷を離れ、単身、海外での勝負に出る決意を固めたのである。
卒業は、5月8日におこなわれた会見で発表された。3日前の後楽園ホール大会ではSKE48の荒井優希とタッグで対戦。このときすでに、彼女は団体から去ることを決めてリングに上がっていたのだが、その3日後、秘めていた思いを会見にて口にした。12月までとしたのは、卒業ロードで後輩や仲間たちとの時間をたっぷり取りたいとの思いがあったからだ。
しかし、そのときからすでに首の痛みがあり、6月にはドクターストップがかかってしまう。3月から4月のアメリカ遠征で坂崎はROH女子王座に挑戦、東京女子のロサンゼルス大会では、盟友・瑞希とのマジカルシュガーラビッツでプリンセス・タッグ王座を奪回したものの、どうやらこの連戦で負傷したらしい。本人はそれほど気にしていなかったというのだが負傷以前からの蓄積ダメージもあり、検査の結果、試合は不可能との診断。卒業ロードに待っていたのが、まさかの、そして無念すぎる欠場だったのだ。
「(5か月近く欠場してしまい)長かったですね。無限のように感じました。欠場中、東京女子の大きな試合は見たりしたんですけど、見るとその後に落ちこんじゃうんですよね。精神状態がよくなくなる原因にもなってしまうのに、やっぱり見てしまう。そのたびに落ち込んでしまって、その繰り返しでした。しかもいつ復帰できるかもわからないし、もしかしたら12月以降になってしまうかもしれない。そうなったら卒業の延期も考えなくてはならなかったのかもしれないです」
しかし、不幸中の幸いか、10・27後楽園での復帰が決定。「一度決めたら変えたくない性格」とのことで、12月の卒業は変わらず。卒業ロードが大幅に短くなってしまったのは残念だが、短期集中で突っ走ることに決めたのである。
「復帰が決まったらもう楽しくなっちゃって、脳内爆発って感じでした。スーパーマリオでスターを取って、ずっと早まわしになってる状態って言うんですかね(笑)。しかも復帰一発目の試合が(瑞希と組んで)ハイパーミサヲ、原宿ぽむ。ホントに東京女子らしい歓迎の仕方をしてくれたので、ここで生まれてホントによかったなって思いました」
卒業ロードで世代交代を実感も「まだまだ譲れない」
ようやく始まった本格的な卒業ロード。まだまだ実感がわかないというものの、リングに上がるたびに「この子と闘うのはこれが最後かもしれないな」との思いで後輩選手と手を合わせている。東京女子では今年、新人が次々とデビュー。世代交代の波も感じている。
「そうですね。みんなが頑張ってくれてるのはうれしいです。でも、世代交代と言われるのには、正直複雑な部分もありますね。まだまだ譲れないという気持ちもあるし」
次々と新人選手がデビューする傍ら、東京女子では坂崎だけではなく山下実優、伊藤麻希も海外で活躍する機会が増えている。山下、伊藤が所属選手の立場で東京女子の名前を海外で広めていく一方、坂崎は海外に住むことである意味退路を断った。そもそも19年5月、AEWの旗揚げ戦に招聘(しょうへい)されたのが、海外志向へのきっかけだった。
このとき、本人を含め多くのファン、関係者が衝撃を受けた。鳴り物入りの新団体が海外経験のほとんどない坂崎に白羽の矢を立てたからだ。18年8月、アメリカのチカラプロレスに山下、中島翔子とともに6人タッグトーナメントに参戦したのが彼女にとっての初海外。そんな状況で坂崎は旗揚げ戦の女子6人タッグに登場。これで好印象を残したか、1か月後にも渡米し、里歩、ナイラ・ローズと3WAYマッチで闘った。翌20年1月には初のイギリス遠征をおこない、2月にもAEWに参戦し3試合に登場した。しかし、世界的コロナ禍により海外での試合が困難になってしまう。
その後、状況が改善されるとともに遠征が再開されると、21年7月、22年5月に4週連続で参戦、6月には志田光とタッグを組んだ。今年1月から2月にかけても4大会に出場。現地で試合をするたびに、彼女の心は揺れ動いた。
「単発だと継続した闘いができないし、AEWのストーリーに絡んでいけないんですよね」。たとえチャンスの波が来たとしても、捕まえる前に日本に戻ることになってしまう。“このままいたら、もっとできるのではないか”。“大きなチャンスをつかめるかもしれない”。“だったら腰を据えて自分自身を試してみたい”。そう考えても不思議ではない。
とはいえ、東京女子に所属しながら日米を行き来することも可能だろう。実際、DDTの竹下幸之介がDDTとAEWのダブル所属で結果を出している。しかも最近ではAEWの流れをそのまま日本に持ち込み、11・12両国でクリス・ジェリコとのシングルを実現させたばかり。東京女子はDDTと同じサイバーファイトのグループだけに、そういったアプローチも決して不可能ではないはずだ。
東京女子は「一生壊れてほしくない宝物」
もっとも、竹下といえどもすぐにAEWの本流に入りこめたわけではない。それについては坂崎も十分承知。だからこそ、「本腰を入れて向き合いたい」と思ったのだ。
そのためにも、タイトル戦線に絡みたいと坂崎は考えている。現在、AEW女子王座は3度目の戴冠を果たした志田からトニー・ストームに移動。トニーも3度目の戴冠で、8月27日イギリス・ロンドンで8万人の大観衆を集めた大会から同王座戦線がサラヤ(元WWEのペイジ)、志田、トニーと目まぐるしく動いている。いずれはここに坂崎も加わるか。日本では実現できなかったナイラ・ローズとのシングルも希望しており、対戦相手には事欠かない。すぐに結果は出ないかもしれないが、東京女子とはまったく異なる環境で坂崎がどこまで行けるか、注目したい。
そして、坂崎が東京女子のリングで試合をするのも、11・26名古屋、12・1後楽園「東京女子プロレス誕生10周年記念興行」、12・6北沢「東京女子プロレス誕生10周年記念興行~坂崎ユカ卒業スペシャル~」の3大会を残すのみ。名古屋ではマジラビvs荒井&宮本組のタッグマッチで、後楽園では“10周年記念スペシャル10人タッグマッチ”として坂崎が山下、中島、辰巳リカ、瑞希と組み、渡辺未詩&荒井&鈴芽&宮本&遠藤有栖組と対戦。そして卒業式となる北沢では、本稿執筆時点でカード未発表も、「欠場期間中から最後になにをやろうかけっこう考えてて、実現できそう」とのこと。彼女の脳内妄想がどれだけ具現化されるのか、楽しみだ。
では、彼女にとって東京女子とはなんだったのか。
「10年という節目がないと東京女子から出られなかったと思うんです。私にとって、東京女子とは一生壊れてほしくない宝物ですね。11年目からは、あえてそこを離れて自分のことだけを考えたシフトに切り替えようかなって。今後は(若い選手たちの)懸け橋になればいいかなと思います。私、お姉ちゃんなので(笑)」
坂崎の活躍に刺激されて海外に進出。そんな後輩たちが出てきてほしい。「負けたくないとより強く思って動き、準備してた方が勝つ。そういう人を応援したいなって思います」と坂崎。東京女子のお姉ちゃんは、海の向こうから背中を見せる。「そのためにも(AEWで)力を付けていきたいですね!」