森永康平氏、人生の分岐点で刺さった父・森永卓郎氏の言葉 増えた共演に「結果的にいい関係」

経済評論家・森永卓郎氏の長男で経済アナリストの森永康平氏が活躍の幅を広げている。レギュラー番組出演や複数の連載を抱え、親子共演も人気だ。父と同じ経済アナリストでも、その経歴はユニーク。9月には驚きの格闘技デビューも果たした康平氏に、父との関係やここまでの道のりを聞いた。

森永康平氏(右)が自撮りした父・森永卓郎氏とのツーショット
森永康平氏(右)が自撮りした父・森永卓郎氏とのツーショット

親子共演が人気 9月には格闘技デビューも果たす

 経済評論家・森永卓郎氏の長男で経済アナリストの森永康平氏が活躍の幅を広げている。レギュラー番組出演や複数の連載を抱え、親子共演も人気だ。父と同じ経済アナリストでも、その経歴はユニーク。9月には驚きの格闘技デビューも果たした康平氏に、父との関係やここまでの道のりを聞いた。

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 僕が子どもの頃、おやじは本当に家にいなかったですね。平日は朝6時ぐらいにいなくなっちゃっていましたし、帰ってくるのも夜中の1時とか2時だったので、子どもはもう寝ている。土日もパソコンの前でずっと仕事していたので、子どもながらに邪魔しちゃまずいかなと思って話しかけずにいました。化石取りや魚釣りに連れて行ってもらったこともありますが、遊んでくれたのは年に1、2回くらいです。母親と4つ下の弟と家族4人で暮らしていたのに、3人で暮らしているような生活でした。

 僕の幼少期は小児ぜんそくがひどくて、アトピーもひどかったので、あんまり運動ができなかったんですよ。当時はインターネットもスマートフォンもなくて、何もやることがなかったので、当時、三和総研(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に勤めていたおやじが、いらないレポートの裏紙を捨てないでいっぱい家に持って帰ってきたんです。それを、お絵かきでもしたらみたいな感じで渡されて、お絵かきしていたんですよ。

 当時は男子は球技をやるもの、という印象が定着していたので、休み時間に教室でお絵かきをしていると、からかわれるんです。それで嫌になっちゃって、またやることがなくなったんですけど、小学校5、6年生ぐらいのときにお絵かきしている紙の裏側に何が書いてあるのか気になって、読んでみたんです。全く意味が分からなくて、おやじに「この紙に書いてある内容が分からない」と聞いたら、分厚いマクロ経済学とミクロ経済学の教科書を2冊渡された。2冊で600ページぐらいある教科書で、分からない言葉を索引から逆引きして勉強しろって言われたんです。

 教科書を片手に、ひたすらレポートを読んでいました。大学は経済学部に入り、やっとプロから習えると思ったら、初学者向けの授業をやっている。僕は大学院でもうちょっとレベルの高いことやりたいなと思って、みんなが就活している頃には大学院のテスト対策をやっていたんですね。そのときおやじがたまたま家にいて、「お前、就活はどうなってるんだ」と聞いてきたので、「大学院に行くつもりだ」と伝えたら、珍しくそこは口を挟んできて、「学部卒ですぐ大学院に行って学者になると現場や社会を知らない学者になって使い物にならないから、いったん社会に出なさい。3年間社会人やってみて、それでもアカデミーの世界に戻りたいんだったら、会社を辞めて大学院入ればいい」と言われて、それはその通りだなってすごく腹落ちしたので、そのアドバイスには素直に従いました。

 就活期間中に就活していなかったので、今さら入れるところもない感じだったんですけど、ちょうど僕は20歳から株式投資を始めていました。使っていた証券会社はイー・トレード証券、現在のSBI証券なんですけど、その親会社のSBIホールディングスがまだ新卒募集をしていて、だめもとで受けたら、1次面接の面接官が証券会社の商品部長だったんですよ。「僕は20歳から使っています」と話をして、競合に比べてこういうところは使いづらいとかバンバン言っていたら、結果的にめちゃくちゃ企業研究してる学生に見えるじゃないですか。それでポンポンと面接をパスして、最後は(代表取締役会長兼社長兼CEOの)北尾(吉孝)さんの面接を経て、SBIホールディングスに入社しました。

 株を始めたのは僕が20歳になる前後に、おやじが雑誌の企画で3億円ぐらい稼いだデイトレーダーの人と対談する機会があって、そのデイトレーダーさんが書いた本をおやじがもらってきて、「お前みたいな大学生が数億円稼いでるらしいから読めば」と渡されて読んだんです。おやじに僕も株やりたいって話をしたら、大手は手数料が高いけど、イー・トレード証券は安いよってアドバイスをくれました。もしあのときにイー・トレード証券を勧められなかったらSBIに入ることもなかったし、デイトレーダーの本をくれたから株式投資を始めたし、そういう意味では、おやじとの接点はマジで少ないんですけど、人生の分岐点で意思決定をする際の材料をもらっていたと思っています。

SBI・北尾CEOとの思い出も語った【写真:ENCOUNT編集部】
SBI・北尾CEOとの思い出も語った【写真:ENCOUNT編集部】

 SBIに入社するにあたって、配属希望先をいくつか書けって言われたので、運用がしてみたいと話したら、「じゃあ運用会社は子会社にあるから、そこでアナリストやれば」と言われ、社会人人生は運用会社のアナリストから始まりました。

 SBIにはトータルで7、8年いました。ある時からエコノミスト業務も兼務するようになりました。とても面白かったのですが、1年やってみて、もう少し規模の大きな運用会社も経験してみたいと思い、運用会社の社長に辞めますと言ったら、北尾さんから電話がかかってきた。「本社に新しい事業部を作るから、そこで修行しろ」と言われて、本社に新しくできた部署に異動になったんです。でも、直後にリーマン・ショックが起きて、新規事業が全面停止になり、子会社の証券会社に異動することになりました。そこではエコノミスト業務をやっていたのですが、外国株式事業も兼務するように言われて、最終的には外国株式の事業室長となりました。

 その後、ジャカルタに1年半駐在して新規事業の立ち上げをしたあと、出張ベースでマレーシアやタイ、ベトナム、上海などアジア圏で仕事をするようになりました。おかげさまで英語で仕事することにも抵抗がなくなっていました。当時はまだ20代でミーハーだったこともあり、漠然と六本木ヒルズに入っている外資系金融機関で働いてみたいという憧れがあって、ヒルズに入っている外資系金融機関を何社か受けているうちに、インベスコという運用会社が内定をくれたので、SBIを退職することにしました。

 20代のうちに新規事業を任されたり、海外駐在をさせてもらったりしていたので、同期の中には転職するのはもったいないっていう人もいました。何回も人生を楽しめるんだったら、そういう人生があってもいいかなと思いますけど、1回きりしかないのに、30歳手前でチャレンジしなくなるのは、逆にめちゃくちゃもったいないなという気持ちでした。

 北尾さんにはお世話になったという気持ちしかありません。でも、過去にうちのおやじはライブドアがニッポン放送を買収するという話が出たときに、ホワイトナイトとして登場した北尾さんをメディアでバッシングしていたので、なんとなく気まずいというか、申し訳ない気持ちもありました。でも、北尾さんは、あるとき、「申し訳ないけど、俺はお前のおやじのことはよく知らんし、それはどうでもいい。お前に話があるから呼んでるだけであって、おやじのことは俺は知らん」と言ってくれたんです。世間的には怖い印象があるかもしれないですけど、僕は優しい印象しかなかったですね。

「うちは逆だな」。父との時間は増えている
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増えた親子の時間 「一緒に仕事ができる今の環境に感謝」

 その後は外資系金融機関を経て、楽天証券でロボアドバイザーというサービスの立ち上げを担当しました。それからフィンテックベンチャーの子会社の設立をするために単身で台湾に渡り、2年間台北で仕事をして、2018年に帰国。そして、金融教育ベンチャーのマネネを立ち上げました。

 自分が幼少期から経済を学ぶ環境にあったことで、社会人になってからかなりアドバンテージがあったという実感があったのですが、そもそもお金の知識って親の職業が何であれ、皆が平等に学ぶ機会があるべきだと考えて、これから日本でも金融教育が普及していくと思っていたんです。創業当初はまだ金融教育といっても批判的な意見ばかり浴びましたが、昨年ぐらいから日本でもよく金融教育という言葉を耳にするようになりました。そう考えると、ここでもおやじの影響があるのかもしれませんね。

 今は子どもの頃よりおやじとの時間は圧倒的に増えましたね。仕事で共演することも多くなりました。僕のYouTubeのチャンネルで、おやじと対談している回があるんですよ。そのときのコメントに、「うらやましい」というのがあった。なぜかというと、一般的な人は、子どものときはお父さんと一緒にいる時間が長いけど、成人以降はあまり話さなくなる、と。なるほど、うちは逆だなって。そういう意味では僕は意識してなかったけれど、結果的にいい関係だなって思っていますし、一緒に仕事ができる今の環境に感謝しています。

□森永康平(もりなが・こうへい)1985年2月5日、埼玉県所沢市出身。SBIホールディングス、楽天証券などを経て、2018年6月、金融教育ベンチャーのマネネを創業。23年9月、キックボクシングで格闘技デビュー。3児の父。

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