X JAPAN・HEATHさん、55歳で死去 YOSHIKI沈痛「あまりの悲しみで身も心もボロボロ」【コメント全文】

ロックバンド・X JAPANのベーシスト、HEATH(本名:森江博)さんが、大腸がんのため亡くなっていたことが11日、HEATHさんの公式サイトで伝えられた。55歳だった。YOSHIKIは「あまりの悲しみで身も心もボロボロで今は言葉が上手くまとまりません」と悲痛の思いを明かしている。

YOSHIKI【写真:ENCOUNT編集部】
YOSHIKI【写真:ENCOUNT編集部】

YOSHIKIが追悼のコメント

 ロックバンド・X JAPANのベーシスト、HEATH(本名:森江博)さんが、大腸がんのため亡くなっていたことが11日、HEATHさんの公式サイトで伝えられた。55歳だった。YOSHIKIは「あまりの悲しみで身も心もボロボロで今は言葉が上手くまとまりません」と悲痛の思いを明かしている。

 公式サイトでは、「悲しいお知らせをさせていただかなくてはなりません。X JAPANのベーシストであるHEATHが令和5年10月29日 大腸がんのため55歳で永眠いたしました。6月に病院での検査で大腸がんが発見され、闘病生活を送っておりましたが10月に入り容体が急変し、入院先の病院で息を引き取りました。ここに皆様からの生前のご厚誼を深謝し、故人に心から哀悼の意を表しますとともに謹んでご通知申し上げます」と訃報を伝えられた。

 葬儀は、近親者のみにて執り行う。後日、お別れの会を執り行う予定であることもアナウンスされた。さらに「生前、HEATH本人がすべてをリーダーであるYOSHIKIさんに一任したいと語っていたことをご遺族を通じてYOSHIKIさんご本人にお伝えし、ご承諾いただいております」と説明した。

 YOSHIKIは「まだ気持ちの整理がつかず、どう言葉にすればいいのかわかりません。YOSHIKIとしてのコメント、そして X JAPANのリーダーとしてのコメントをどのように区別すれば良いのかもわかりません。NYでの公演とイベントを終えた直後に、HEATHの訃報を聞きました。HEATHに会いに行くため、東京へ飛びました」と訃報直後に緊急帰国したことを明かした。

 そして、「HEATHは、HIDEに紹介されて1992年にX JAPANへ加入しました。ニューヨークのロックフェラー・センターで加入発表の記者会見を行い最初のコンサートは東京ドーム。最初のテレビ出演は紅白歌合戦。そんな凄まじい状況の中計り知れないプレッシャーを感じていたと思いますが彼はいつも最善を尽くして、X JAPANを支え続けてくれました。バンドを再結成した後は、アメリカ、ヨーロッパ、南米、アジアと世界中を一緒に回りました。TAIJIの最後となったステージで、彼と一緒にベースを演奏することを提案したときもHEATHは快く引き受けてくれました。彼は、バンドのメンバーとしても、人としても、本当に最高のベーシストでした」とこれまでの日々を振り返った。

 さらに、「特に、この1年は、今まで以上にHEATHとの距離が近くなってました。昨年の自分の誕生日、自分の番組に出てくれた時、収録後の控室で今までにないほど長い時間、色々なことを話しました。それ以来、明け方まで二人で何時間も電話で語り合ったこともありました。今年の8月20日には、僕のディナーショーにも来てくれました。まさかその日が、HEATHと一緒に立つ最後のステージになるとは思ってもいませんでした。HEATHの望みを叶えられなかったのは、全て自分の責任です。最後のお別れの場で、HEATHに謝りました。YOSHIKIとしては、あまりの悲しみで身も心もボロボロで今は言葉が上手くまとまりません。今立ち止まったら、これ以上歩けなくなる気がしてひたすらに、怒涛のスケジュールをこなしています」と沈痛の思いをつづった。

 一方で、「ただ、バンドのリーダーとしては、最後に果たさなくてはいけない責任が残っています。『しんみりしないでください。明るく楽しく見送っていただきたい』『メモリアルコンサートをYOSHIKIさんにやっていただきたい』これは、ご遺族より預かったHEATHからの言葉の一部です。これから親族の方たちと話し合い、HEATHの願いを実現させるしかないと思っています。そして、それを実現させるには、戦わなくてはならないことがいくつかあります。HEATHへの想いは、語ればきりがないです。感謝してもしきれません。心の整理ができたときに、改めて伝えたいと思います。HEATH、今までありがとう。そして、安らかに眠ってね。またいつか、一緒に音楽を奏でようね」とX JAPANのリーダーとして気丈に振る舞った。

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