「無関心という罪」デヴィ夫人がロヒンギャ問題に知らん顔の人々に苦言
避難女性が証言「通訳する人が困るぐらい声高にしゃべり始めた」
ロヒンギャの虐殺を巡っては、諸説ある。しかし、実際に、逃げてきた女性から生の声を聴き、想像を絶する当時の状況を察したという。
「ずっと黙っていた女性が『迫害された時はどうでしたか?』って言いましたら、急におしゃべりになりまして、通訳する人が困るぐらい声高にしゃべり始めた。それくらい迫害される、殺害される、虐殺されるところを見てきた。命からがら逃げてきた女性の頭の中には、自分たちの家族や兄弟が、いかにして虐殺されたかっていうことの思いがまだまだ頭の中に非常に残っているんだろうなという思いが致しました。ひと言もしゃべらなかった女性がその時だけはババババとしゃべり始めたので、これは大変な傷を負った人たちが多いんだなと、改めて思いました」
傷は子供たちの心にも刻まれている。90万人のロヒンギャのうち、過半数の55%が18歳未満の子供だ。
「大変行儀のいいお子さんばっかりでしたけど、その子供たちに『絵を書きなさない』って言って絵を書かせたら、ミャンマーの国軍に虐殺される絵ばかりなんですね。日本人の私どもが想像を絶する大虐殺です」とデヴィ夫人は訴えた。
精神面のケアは、課題の一つとなっている。AARは、トイレやし尿処理施設などの水衛生環境の改善に加え、女性や子供たちのサポート施設を建設し、生活を側面から支援している。
「食糧支援はできても、精神的な支援、要するに、大虐殺から逃れてきた人たちの恐怖に対しての精神的な苦痛をどうしたら和らげることができるか、女性のための施設や子供のための施設なんかは、そういったことにも心掛けているようです」とデヴィ夫人は話した。
祖国帰還の思いに理解も「ミャンマーに帰るのは無理かなと思います」
会見には、日本在住のロヒンギャも参加し、デヴィ夫人と意見交換した。今後のロヒンギャについて、デヴィ夫人は「ロヒンギャの人たちは見かけがミャンマーの人たちとは全く違います。色も褐色ですし、宗教がイスラム。ミャンマーのほとんどの人は敬虔な仏教徒ですから、そこからすでに宗教、民族、言葉がすべて違う」と前置きしつつ、「こんな迫害に遭って、何万人という人が殺され、命からがら追われても、ロヒンジャの大人たちは、帰りたい。そして、母国で生活したい。やはり、今いる難民のところは自分たちが生まれ育った緑豊かで水も豊かなところとは程遠いということで、どうしても帰りたい。しかし、私は個人の考えですが、ミャンマーに帰るのは無理かなと思います」との見解を表明した。
ただし、受け入れるバングラデシュも決して裕福な国ではない。ロヒンギャ難民と、地元民との軋轢という新たな問題も発生している。「バングラデシュ人として扱うことは無理という立場でいます。そのため、キャンプ内でバングラデシュの母国語であるベンガル語は習わせない。ミャンマー語と英語だけ」。国籍もなく、市民権もなく、宙ぶらりんな状態になったままのロヒンギャ難民に対し、日本人ができることは何かという問いが、改めて突き付けられる。
「河野(太郎)外務大臣(当時)が2回、ロヒンギャのお見舞いに行ってる。視察に。しかし、日本でそんなに報道されていないように感じる。せっかく日本の外務大臣が2年間のうちに2回も行っていて、3回目はアウン・サン・スー・チー女史(ミャンマー国家顧問兼外相)と会っているわけですね。日本の方々がロヒンギャの難民に対して関心を持たないということは非常に残念に思います」
日本のテレビ番組の報道姿勢にも苦言を呈したデヴィ夫人は、今後も難民支援に携わっていく決意を示した。