中村あゆみ「反骨心で生きてきた」 両親の離婚、上京…六本木で遊んでいた高校生がヒット残せた理由

シンガーの中村あゆみが、来年の40周年を前に初期の代表曲を歌うライブ『Rock Alive Tour 2023』が今月6日に大阪で幕を開け、7日には名古屋、11日には川崎で開催する。近年、中村は全国のママたちを応援するフェス『ママホリ』を立ち上げるなどプロデューサーとしても活動しているが、来年のデビュー40周年を前に「中村あゆみ誕生の裏側」を聞いた。インタビューには、40年間二人三脚で歩んできたマネジャーの石岡和子さんも同席。秘話も飛び出した。

デビュー前夜の思い出を語った中村あゆみ【写真:ENCOUNT編集部】
デビュー前夜の思い出を語った中村あゆみ【写真:ENCOUNT編集部】

来年デビュー40周年、マネジャーと振り返る二人三脚の歩み

 シンガーの中村あゆみが、来年の40周年を前に初期の代表曲を歌うライブ『Rock Alive Tour 2023』が今月6日に大阪で幕を開け、7日には名古屋、11日には川崎で開催する。近年、中村は全国のママたちを応援するフェス『ママホリ』を立ち上げるなどプロデューサーとしても活動しているが、来年のデビュー40周年を前に「中村あゆみ誕生の裏側」を聞いた。インタビューには、40年間二人三脚で歩んできたマネジャーの石岡和子さんも同席。秘話も飛び出した。(取材・文=福嶋剛)

 中村は3歳の時に両親が離婚し、父親と大阪で暮らしていた。だが、高1で福岡にいる実母のもとへ。高級クラブのママだった実母は「娘を歌手にさせたい」と思い、知人だった作曲家の平尾昌晃氏に預けた。しかし、東京・六本木での居候生活は長続きせず、16歳で独り暮らしを始めた。

中村「独り暮らしを始めた途端に義父の会社が倒産して仕送りが止まりました。日々の生活のためにいろんなアルバイトをした後、都内の貴金属店で外商のバイトを始めました。新宿、赤坂で働く水商売の女性が相手です。母親に相談して人脈や知恵を借りて必死でやっていたら、あっという間に営業トップになりました」

石岡さん「まだ16とか17の高校生なのに、高級な毛皮のコートを着て六本木のカラオケパブで遊んでいたんですから(笑)」

中村「反抗心が強くて生意気な娘だったと思います(笑)。今日を生きることで精いっぱいだったし、歌手になることもすっかり忘れていました。そしたら、カラオケパブで『あなたに紹介したい人がいる』と書かれたメモを受け取り、待ち合わせの場所に行くと石岡がいました。彼女はレコード会社の初代女性プロモーターをやっていたんです」

石岡さん「兄が加山雄三さんの事務所(加山プロモーション)にいて、『必ず売れる女の子がいるから絶対に会った方がいい』と言われてあゆみちゃんと会いました。アイドルの要素は全部持っているのに大人の魅力があったし、オーラもありました」

中村「それから10日後くらいに私の住んでいた部屋に泥棒が入り、怖くなって石岡に電話したら『すぐにこっちにいらっしゃい』と言ってくれたんです。泣きながら石岡のお母さんが経営していたお店に行きました。そしたら、偶然、(作家の)高橋研さんもお店にやってきたんです」

 高橋研氏はアーティストとして活動する傍ら、THE ALFEEの『メリーアン』(83年)での共作を皮きりに、美空ひばり、小泉今日子、沢田研二、矢沢永吉、おニャン子クラブなど、数多くの作詞、作曲を手掛けたことでも知られている。石岡さんたちにとっては願ってもない好機が訪れた。

石岡さん「あゆみちゃんの歌を聴いて彼女が帰った後、圧倒された兄と研さんが『あの子は普通じゃない』って。そしたら研さんが『彼女はロックシンガーとして絶対に売れる』と断言して『彼女を和製シンディ・ローパーにしたいから僕に(プロデュースを)担当させてほしい』ってその場で言ったんです」

中村「それで『歌ってほしい』とお願いされて初めは『高校行って働いているから歌をやる余裕なんかないよ』って言いました」

石岡さん「でも、私はそういう鼻っ柱の強い子が好きだったんです。それであゆみちゃんに『彼氏いるでしょ?』って聞いたら、『いるよ』って。ハッキリと答えるので、加山オフィスで預かりたいと思い、『加山雄三さんは分かるでしょ?』と聞いたら『テレビは見ないから知らない』って。その受け答えだけで、『この子はいける』と確信しました」

中村「あの頃は誰にも言えない反骨心で生きていたので、『音楽だったらそれをぶち壊せるかな』と思い、気が付いたらスタジオで研さんのレッスンを受けていました」

 高橋氏とのレッスンは「アーティストとは?」「ライブとは?」というところから始まった。佐野元春や尾崎豊のライブを見て肌で感じ、スタジオでは彼らの曲を鍵盤に合わせて歌った。

中村「研さんが『とりあえず、デモテープを録ろう』と言って、スタジオで鍵盤に合わせて『ガラスのジェネレーション』を歌って、ラジカセに録音したんです」

石岡さん「その時のあゆみちゃんは、大げさじゃなくて野生児そのもので『この子って狼に育てられたんじゃないの』っていうくらいギラギラしていました。だから、『やっぱり、この子は世の中に出ていく人なんだ』と思いましたし、研さんも必死に彼女と向き合っていました」

中村「そしたら、とんとん拍子でレコード会社と契約が決まったんです」

石岡さん「大手のレコード会社よりも、新しいレコード会社で一番手を狙ったんです。そしたら、ハミングバード(現ワーナーミュージック)の担当が手を挙げてくれて、熱心なスタッフに恵まれたんです」

中村「『俺たちが中村あゆみを売らなくて誰が売る』と言って、血まなこになって走り回ってくれるスタッフを見て『私の居場所はここだ』と確信しました。私も中途半端なことはできないと覚悟を決めて仕事を辞めて彼氏にも『申し訳ない』と言って別れてもらいました」

 中村は1984年9月5日、ファーストシングル『Midnight Kids』でデビュー。いきなり、タイアップ(毎日放送・TBS系ドラマ『やさしい闘魚たち』主題歌)を獲得した。3か月後に2枚目のシングル『ぼくのスノビズム』を発売し、今度はCMタイアップが付いたがチャートには反映されなかった。

中村「1年目は全然売れなくて、貯金も底を付き、母親に『もう、無理かも』と電話したら、『あなたは売れるから大丈夫。一生懸命歌いなさい』と言われてそれを励みに頑張りました。そして、人生初のライブで全国を回り、母のいる福岡にも行きました。ステージに立ったことがなかった私は研さんに『MCって何をしゃべるの?』と聞いたら、『学校で友達としゃべってる調子で良いよ』と言われました。最初のMCは『今日はよろしく! そういえばこの前、好きな男の子いたんだけど別れちゃってさ』って(笑)」

石岡さん「突拍子もないことばかり言うもんだから、周りも『面白い』と感じるキャラクターだったと思います」

中村「そしたら、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)と音楽教養番組の『ベストサウンド』(NHK教育テレビ)のレギュラーが決まり、直後に『翼の折れたエンジェル』(85年)がリリースされたんです」

40周年を前に80年代の代表曲を披露【写真:(C)WOWOWプラス、撮影:深野輝美】
40周年を前に80年代の代表曲を披露【写真:(C)WOWOWプラス、撮影:深野輝美】

40周年を迎える前にもう1度過去と向き合った

 3枚目のシングル『翼の折れたエンジェル』は日清食品カップヌードルのCMソングに採用され大ヒット。一躍、全国区となった。そこから快進撃が続き、息つく暇もなく走り続けた。

中村「デビューして8か月で売れて、大切なことを学ぶ前にみこしを担がれてそのまま進んでいった感じです。そこから苦労が始まりました。初代マネジャーだった石岡の兄が周りにヨイショされてどんどん仕事をオッケーしてしまい、とうとう私はパンクしちゃったんです」

石岡「あゆみちゃんがあまりにも辛そうで見ていられなかったので、兄に進言したんです。そして、今度は研さんともギクシャクしてしまいました」

 デビューから続いた中村と高橋のコンビは、9枚目のシングル『Rolling Age』(87年)で解消された。以降、石岡さんがマネジャーを務め、中村も作詞作曲を手掛けるようになった。

中村「ブームも去っていき、私も活動休止や結婚、出産、離婚、子育てと次第に音楽から離れていきました。でも、不思議なくらい必ず私の人生のターニングポイントに石岡が登場するんです。娘と2人で石岡のことを『バンビ』って呼んだりして、娘にとってのおばあちゃんですよ(笑)」

石岡さん「お互いに顔も見たくない時期もありました(笑)。でも、ずっとあゆみちゃんを気にかけていたし、『いつかまた会いたい』と思っていました」

中村「シングルマザーとして娘を育てるためにふたたび歌い始めようと思い、石岡に『一緒にやるよ』と言って復活しました。私にとって音楽は好き嫌いとかじゃなく生きていくために必要なものなんです。そうやって39年歌ってきて、あらためて高橋研という偉大なプロデューサーへの感謝の気持ちが出てきました。そして、研さんに作ってもらった曲をもう1度ちゃんと愛してあげた上で40周年を迎えたい。そう思いました」

石岡さん「何もなかったあゆみちゃんが、ここまで成長できたのも研さんとの出会いがあったからこそです。ビジネス的な理由で別れましたけど、今でも連絡を取り合う仲なんです」

中村「それで今回、研さんへの敬意を表して、11月に開催するツアーでは、研さんの曲ばかりを昔のまんまのアレンジで歌います。大阪と名古屋は研さんの曲だけで構成して、川崎では私の曲も加えたベストな選曲になります。人生はやり直せないけれど歌はやり直せる。今までとは違う感動があると思います」

 出会って40年。最後に2人にお互いの存在について聞いた。

石岡さん「私にとって、あゆみちゃんは親分かな。全てを引っ張っていく力は今でもすごい。40年も一緒にいれるなんて、幸せな70歳です。(笑)」

中村「石岡をこのまま引退させちゃったらボケが始まるから(笑)。まだ動ける間は時々いたわりながら一緒に走ってもらわないと困る。そんな大切なパートナーです」

□中村あゆみ 1966年6月28日、大阪府生まれ。84年にメジャーデビュー。85年、3枚目のシングル『翼の折れたエンジェル』が日清カップヌードルのCMに起用されて大ヒット。2度目の結婚後、99年に長女を出産。現在はアーティスト活動のほかママを応援するフェス『ママホリ』のオーガナイザーなど、プロデューサーとしても活動。

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